序章 永遠に望んだ夢を(2)


 がむしゃらに走って、ユートは気がついたら森の中にいた。

 目の前には大きな岩がある。何度か依頼で前を通った事がある、見覚えのある岩だった。


「はぁ……はぁ……喉が渇いた」


 炎天下の中、ずっと走り続けていたのだ。身体が熱い。


「そういえば、この先に湖があるんだったな。確か、飲めるくらい綺麗な水だったはず……」


 このままでは脱水で倒れてしまう。ユートは記憶を頼りに道を歩む。

 二十分後、太陽光が反射してキラキラ輝いている湖に到着した。

 全身から汗が流れ出ている。ユートは早速水を飲もうとして、


「ふ、ファング・エレファント!?」


 慌てて木の後ろに隠れる。

 十五メートルほど離れたところに、長い鼻と牙を持った巨体の群れがいた。


(やばい、距離が近すぎる……!)


 喉が渇きすぎていて周りが見えていなかった。心臓がバクバクと音を立てている。

 彼らは穏やかな気質の魔獣だが、縄張りに侵入した相手には容赦がない。この距離では、見つかれば確実に襲われるだろう。

 そうなれば、今の自分ではひとたまりもない。ユートは呼吸を止めて、必死に気配を殺す。


 暴れ回る心臓の音が耳に痛い。寒気すら覚えるほどの緊張——。

 だが、幸いにもファング・エレファントはこちらを認識していないようだった。


(た、助かった……)


 安堵に力を抜いたユートは、そっと魔獣たちの様子を伺う。

 彼らも暑いのだろう。ファング・エレファントは、その長い鼻を使って水を汲み上げ、自分たちの身体に浴びせていた。

 ユートは何とはなしに、その光景を眺めていた。本当に、ただぼうっと。


 ——そして、気づきは唐突に訪れた。


「自分の身体に、かける……?」


 ふとした閃きに、心臓が跳ね上がる。

 果たしてどうなるのだろう。

 もしも、「弱者」である自分に『反転』の魔法をかけたら。


「——反転せよ」


 呪文を唱える。光のエフェクトがこの身体を包み込む。

 そして次の瞬間、こちらに気づいたファング・エレファントの群れが突っ込んできた。しかし、


「遅い……あまりにも遅すぎる……!」


 ユートは軽々と群れの間をすり抜けると、そのまま地面を蹴って森の奥に向けて駆け出した。五秒ほど走ってから振り返る。ファング・エレファントの群れが、もう見えなくなっていた。


「す、凄い! これが『反転』の真の力なのか!?」


 自分の「弱さ」が反転していた。ユートはグッと拳を握り締める。

 ——そのとき、強化された聴覚が微かな少女の声を捉えた。


『……誰か、助けてっ……!』

「悲鳴っ!? あっちからか!」


 ユートは森の中に飛び込んだ。声が聞こえた方角に向かって道なき道を駆け抜ける。

 景色が目まぐるしく移り変わり、木々が拓けたその先でユートは目を疑った。


「ブルードラゴンだと!?」


 崖の下にいたのは巨大な竜だった。その口に光が集中し、ブレスが放たれた。

 射線上にいるのは一人の少女。地面に座り込んで震えていた。

 眩い光弾が迫る。その小さな身体が、光に呑み込まれようとしていて——。


(させるかっ……!)


 ユートは瞬時に狙いを定めた。


「——反転せよ」


 瞬間、光弾が逆流して青き竜に直撃した。光が爆発し、巨体がのけぞる。

 ユートはその隙に地面を蹴って、崖から少女の眼前に降り立った。

 竜が体勢を立て直してこちらを睨みつける。その口に再び光が集中し始めた。

 先ほどとは桁違いの輝き。竜は本気でこちらを仕留めようとしているようだ。


 ——だが、それは悪手だ。

 竜が特大のブレスを解き放つ。ユートはニヤリと笑った。


「——反転せよ」


 その一言で決着がついた。

 竜は自身の光弾に撃ち抜かれ、眩い光の爆発に呑み込まれて消滅した。

 後には、静寂が残されていた。


(よっしゃあ! ブルードラゴンを倒したぞ!)


 竜を単独で撃破するなんて、過去誰もなし得なかったはずだ。高揚感と達成感に満たされながら、ユートは後ろを振り返る。

 呆然としている少女と目があった。


(や、やばい……めちゃくちゃ可愛い……)


 緑色の長い髪と大きな瞳。年齢は恐らく十八の自分より少し下。十四、五歳くらいだろう。


「あー、えっと、大丈夫か?」


 ドギマギする心臓を誤魔化して、ユートは少女に問いかける。

 彼女はハッと肩を揺らしたかと思うと、次の瞬間ユートに抱きついてきた。


「うわっ!? ちょっ!?」


 女の子に抱きつかれたのは初めてだったので、カアッと頬に熱が集中する。

 だが、すぐに少女が泣いている事に気づいて、ユートは落ち着きを取り戻した。


「……もう、大丈夫だ」


 少女の頭をぎこちなく撫でながら、優しい声で伝える。

 しばらくすると彼女は泣き止み、そして我に返ったようで、


「あ、私、何を……!? す、すみませんっ!」

「あー、気にするなよ。怖かったんだろ?」


 赤面して離れる少女に、ユートは内心で名残惜しく思いつつも笑いかける。


「何だったら、もっと抱きついていても良いんだぜ?」


 冗談めかして言うと、少女も頬を染めたまま笑みを浮かべた。可愛い。


「あの、私、ティエラ・リーフと言います。助けてくれて、本当にありがとうございました」


 正面から礼を言われると、何だかむず痒い気持ちになってくる。


「俺はユート・フォンダンだ。それで、何でブルードラゴンに追われてたんだ? 竜なんて、この辺りに出るもんじゃないだろ?」


 ユートは照れ隠しついでに話題を変えた。だが、大きな疑問であった事も確かだ。


「そうなんですか? 私、村の外の事をほとんど知らなくて……」


 ティエラは困惑した表情で答えた。


「王都に向かっていたら、突然あの竜に襲われてしまったんです」

「王都に? 一人で向かってたのか?」

「ええ……」


 頷いたティエラは、悲しげに目を伏せた。

 どうやら深い事情があるようだ、とユートは推察する。


「困った事があるなら話してくれ。俺で良ければ、力になるぞ?」

「ユートさん……」


 ティエラは期待と不安を混ぜ合わせたような顔になった。

 ユートはそんな彼女にもう一度頷いてみせる。

 それで、ティエラも決心がついたようだ。彼女は静かに口を開いた。

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