第50話 『天凱喪乱神籠命縁起』始末


私を呼ぶ声がする。


 遠くから、何度も。それに

応じて私の中で 何か が増大して

ゆくのがわかる。

      それは嵐にも

似た、巨大で広大で、膨大な感覚。


一方で、それに抗う強い感情が、

私の中で烈しく渦を巻く。



「顕子さん。」いつの間にか、

私は御厨に抱き留められていた。

[あそこには、何がいるの?]

彼ならば答えられる筈だ。


私自身も知らない 全ての

顛末 を知る男。


「貴女は知らなくていい。」

「何故です?私にも知る権利が

ある筈です。」「駄目だ。」

「どうして!」「理由は言えない。

貴女は余計な言は考えずに…。」



    突如、意識が飛んだ。






どれだけの時間が経ったのかは

わからない。一瞬とも永劫とも

思える時間を経て、私はゆっくりと

閉じていた目を開く。



薄暗い空間だった。何処かの大きな

屋敷の、奥の間のような。

 足元には畳が敷かれ、目の前には

見事な枝垂桜が金地に描かれた

大きな八枚続きの襖絵があった。

暫し見蕩れていたけれど、

 私はこの襖を開けて、次の間に

進まなければならない様な気がして

蒔絵の施された桟に手をかける。


新たな空間も又、同様に薄暗く、

目の前には先程と同じ日本画の様な

壮麗な襖絵が現れた。今度は青々と

繁茂する草木の中、清漣とした水を

湛えた池を泳ぐ魚と、岸辺に遊ぶ

鳥の姿が描かれている。

私は又、襖の桟に手をかける。


紅葉が美しい錦を織りなす山の中を

川が滝へと流れる。燃えるような紅

黄金に橙色の木葉が。

そして私は迷わず次の間に出る。


何故か、これが最後だと

私にはわかっていた。



深々と降り行く雪の夜の構図。

木々は黒く枝を張り、降り積もる

雪を受け止めて。雪は綺羅星の流れ

降るが如く、美しく 白銀 に

輝いている。


この先に一体 何 が待ち受けて

いるのか。


 只、何故だか無性に懐かしい。


私は暫し逡巡しながらも、この襖の

桟に手をかける。



「顕子。」


近くで名を呼ばれてハッとする。

声のする方へ振り向くと、一人の

女性が佇んでいた。


「お母様。」


どうしてだろう。私よりも若い

その人を。


「…顕子。次の間 に行く前に、

貴女に確りと聞いておいて欲しい

事があるのです。」

彼女は、私にそう告げた。


「私は、御杖代 の系譜でしたが

『國護』に嫁いだ。そして、頭領の

篤胤様との間に貴女をもうけた。

 それを悔いた事は一度もない。

ましてや、不幸だったと思った

事もない。只、貴女に……。」


彼女はそう言うと涙を流した。

この人が私の 母 なのか。そう

思うと胸に迫るものはあったが。


   どうしたら良いのか

 わからなかった。


私が『國護』に生まれて、本当に

良かったのだろうか。

私は母が誇る家系に必要な 神を

見る目 を持たず、そればかりか

消して しまうのだ。


「ごめんなさい、顕子。貴女しか

いなかったの。◾️◾️が貴女を

依代 に所望された…だから。」


彼女がそう言った側から、私の

頭の中に膨大な 過去の記憶 が。

まるで急速に解凍されたかの様に

甦って行った。

 これは誰が見た記憶なのだろう。


 恐ろしい天変地異。荒ぶる神に

蹂躙され逃げ惑う人々。


 祈り 叫び  騒めき


   必死に抗う者たちの死闘。


両親の苦渋の決断。


          そして、闇。



「     。」


私は絶叫していたのかも知れない。

いつもの 悪夢 など、到底

足下にも及ばない。

この先にはまさにその 根源 が。

恐怖と混沌 があるのだろう。


 けれども。



「顕子。」母が又、私の名を呟く。


「…お母様。私は『國護』の娘で

あると同時に貴女の、『斎王』の

系譜でもあるのですね。」


「ええ。貴女には本来、神を見る

目 と、神の聲を聴く耳 がある。

だからこそ、自らの語る言葉 を

持ちなさい。

 私は御杖代にはなれなかった。

けれども迚も幸せでした。貴女も

自分が最も欲する 在り方 を

選んで欲しいのです。

 私は、誰が何と言おうと貴女を

支持します。」

 母 はそう言うと、凛とした

微笑みを見せた。


「この先に座すのは、世の全てを

遍く照らす 御方です。貴女との

会話 を望まれています。」




「謹んで、承知致しました。」



私は母の顔をしっかりと、目と心に

焼き付けた。


 もう二度と忘れない様に。



そして、雪の白銀に輝く最後の

襖を開く。




途端、真っ白い光が満ちる。




 ヨ ク ゾ  マ イ ッ タ 


ア キ ル ノ ヒ メ ミ コ  




強い光がハレーションを生み、

光繧に阻まれたその 容貌 は

視覚に於いては決して叶わない。



  『國御霊』◾️◾️






「畏み、畏み御願い申し奉る。」











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