第45話 鏖伐


その知らせを聞いた時、私は

全身の血が凍った様な気がした。

いや、逆に一瞬にして沸騰し、

気化してしまったのかも知れない。


 とにかく、酷く混乱したのは

間違いないだろう。



父の國護篤胤が、簶守凪啓に

刃物で刺された。


簶守の凪啓は父を刺した後すぐに

捉えられたが、自ら舌を噛み切って

事切れたという。




その 事実 に私の中の 理解 が

全く追いつかないまま。今、空路

門司を目指していた。


「国ちゃん大丈夫だよ、大丈夫。」

ひづるの言葉は、とても優しくて

私の騒ついた心を幾らかは宥めて

くれたが、自分の中の何か大きな

 モノ が、微かに蠢くのを

感じずにはいられなかった。


不安は、ゆっくりと溶けて

   恐怖へと変貌してゆく。



「顕子さん。」


御厨の声が私を現実へと引き戻す。

「犯人は、今確保した様です。」

彼は時折、不思議な事を言う。

それは彼の 能力 に起因するの

かも知れない。


  『天眼通』


彼の御役目は『物集』という。

世の様々な事象を瞬時に知るもので

当代の御厨忠興はその 能力 が

突出しているのだそうだ。



「犯人…って。簶守の凪啓さんでは

ないのですか?」


その事実も俄には信じられない。


父が最も信頼を置き頭領代行まで

任せる程の人物である。


「実際に手を下したのは彼ですが、

本当の犯人は彼に憑依していた

モノ です。」「憑依…?」

「三門優也の亡き母、三門緋紗子。

貴女の御母堂である脩子さんの

従姉妹です。」「…何故。」

 会った事はなかったが仲の良い

従姉妹だったと聞く。憑依、と

言うからには彼女も又、母同様

鬼籍にいるのだろうか。


「何故、その人が私の父を?しかも

凪啓さんを使ってまで…ッ。」

つい荒げそうになる声を必死で呑み

込み、唇を噛む。

 父の事もそうだが、凪啓さんの

無念を想うとやり切れない。実際、

彼は汚名を着せられた挙句に

殺された事になる。


「彼女は貴女の御母堂が『國護』に

嫁いだせいで早世したと逆恨みして

いた様です。

 しかも、自分の祀った モノ が

皮肉にも『封』の緩みに関与して

いた。神贄の優也を 返された 事

そして自身の 仮宿 でもあった 

神憑器『緋衣御前』が解体された

事で 怨霊 となってしまった。」

 御厨はそう言うと、沈鬱な表情を

引き締めて続けた。


「凪啓さんから抜け出した彼女を

辻浦が追って捕らえた。今は太田も

現地に合流して咒で縛っている。」

「父は…今どういう状態ですか?」

「篤胤さんは今、手術の最中です。

成湫さんも京都から急ぎ向かって

くれています。あの人はそれこそ

祈祷のスペシャリストです。」


彼の言葉は心強いものだったろう。


 でも、今の私には何処か遠い

ところから聞こえた。


もし、父に万一の事があれば。

『國護』はどうなってしまうのか。

自分には『國護』を継ぐ資格も

能力もない。




 突然、機体がガクンと下がった。



機内の其処彼処で悲鳴が上がる。

「…ッ。なに今の…!怖ッ!」

窓側の席に座るひづるが、誰に

言うでもない抗議の声を上げる。

 同時に、上の棚から酸素供給の

マスクが下りてきた。不測の事態に

自動で出てくる様になっている

ものだろう。


「顕子さんッ。」通路を挟んだ

御厨が突然、私の手を握った。

「え…?」

「…ヤバいよ…何…あれ…。」

ひづるが窓の外を見て、


       震えている。


私は右手でひづるの手を握った。

窓の外は、眼下に白い雲を湛えて

青い地平が広がっているだけだ。


「ひづる、何が見えるの?」

「…い、嫌だ。嫌、恐い…!」

彼女はそう叫ぶと、頭を抱えて

座席に座ったまま突っ伏して

しまった。

「…顕子さん、見るな。窓の外に

目を向けてはダメだ。」

 御厨の声は冷静ではあったが、

動揺を隠しきれていない。


高度が落ちたからか、それとも

乱気流が発生したのか。

 あれほど明るかった窓の外は

俄に翳ってゆく。



 ワレ  ヲ  ミヨ


突然、頭の中に声が響いた。

「見ちゃいけない!」御厨が

更に私の手を強く握りしめる。


一体、何が起きようというのか。


「顕子さん、私を見て下さい。

目を逸らさないで。声に気を

取られては駄目です。」



ワレ   ヲ   ミ ヨ


 ワレ ノ  コエ  ニ


コタエ  ヨ



声は呼ぶ。何故か懐かしい様な

不思議な気持ちで、私は。


「私が、貴女をお守りします。

何があっても!だから見るな!

耳も貸すな!…顕子さんッ!」






御厨の叫びは、何処かとても


遠くから聞こえた。






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