第35話 久邇衛


御厨忠興は、その日のうちに

蜻蛉返りで門司から戻り、又

その足で幾つかの所用をこなして

きたと後から聞いた。

 彼と漸く顔を合わせたのは翌日の

午後をかなりまわった頃だ。


三門優也への接見の件は、御厨の

元にも伝えられていたのだろう。

私は、出勤早々の彼に執務室へと

呼び出された。


「この度は出張お疲れ様でした。」

ソファに座るよう促されるや、

私の口からは無意識のうちに何故か

そんな言葉が出てきた。

「あ…ああ、貴女こそ。留守中は

御苦労でした。」ほんの少し、彼の

表情が意外そうに緩む。が。

「三門優也の実家に行っていたと

いうのは、本当ですか?」

「ご存知でしたか。まぁ、貴女を

お呼びしたのも、実はその件でも

あります。」

そう言って御厨は居住いを糺す。


「…あの時。魚津のホテルの

ロビーで、彼は貴女に何を話そうと

していたのか。貴女はどこまで

話を聞いたのか。先ずは改めて、

それを確認しておきたい。」

「どういう事でしょうか?」

俄に不安が頭を擡げる。

「確か貴女の御母堂についての

打ち明け話の様でしたが。」

「ええ。それは。」

あの距離でよくわかるものだと、

思わず感心した。しかも戸外から

帰って来たばかりの時に。


「三門の母親と私の母が従姉妹で

彼は私の 又従兄弟 だと言って

いましたが…それだけです。すぐに

御厨室長達が戻って来られて。

 彼が私の又従兄弟というのは、

本当なのでしょうか?」


 彼は私よりも 私の周辺 を

識っている。きっと母の事も。


「ええ。三門優也は確かに貴女の

又従兄弟には違いありませんが、

我々『掃部』集団の 仇花 という

位置づけにはなります。

 御役目は代々一子相伝。三門の

『神門阜』は既に彼の兄が担って

いる。だからこそ、彼には自らの

存在を肯定する為のストーリーが

必要だったのでしょう。」

 御厨はそう言うと、三門優也の

母親である 三門緋紗子 と

私の母の話を始めた。


三門緋紗子と私の母は一つ違いの

従姉妹だったという。

 家柄に格の違いこそあれ共に

巫覡の血筋。当の従姉妹達は

仲が良く、それこそ本当の姉妹の

様に育って行った。

 だが、母に結婚の話が持ち上がり

それが『國護』との縁談であった為

自然と 疎遠になった のだと。


 至極、どこにでもある様な。

だが、何かしっくり来ない話を。



「御厨さんは、私の母に会った

事はありますか?」


自分でも何故だかわからない。

でも 聞かなければ という

不思議な感情が湧いた。


「…あります。とても綺麗な、

そして強く、高潔な方でした。」


「……。」その瞬間、何故か


  涙が。


「私には母の記憶がないんです。

そこだけ抜け落ちたみたいに。

 物心がつく前に亡くなったと、

誰かから聞いた覚えはあるんです。

でもそれが父なのか、他の者から

なのかも曖昧で…。

 それに幾ら多忙で会話がないとは

いっても、何で私は父に母の事を

一度も尋ねなかったのか…!」


そしてあの、繰り返し見る

          悪夢 は。


私の感情は一気に溢れ出した。

御厨忠興は只それをじっと黙って

聞いていた。

 そして幾分、私の感情の昂りが

収まったと見るや漸く口を開いた。


「貴女の御母堂は、既に他界して

います。ですが、貴女を今でも

守っている。貴女が、闇に呑まれ

ないように。」

「……闇に。」

「そうです。貴女は『國護』に

生まれた。よって貴女も又、重要な

御役目を担っている。」

「私が……御役目を?」

「先日の代々木八幡宮で貴女は

暗渠の荒御魂を撃破した。だが、

代々木八幡に対しては何の影響も

及さなかった。太田や辻浦の

御霊に対してもそうです。

 顕子さん。貴女は諸刃の剣。

それを正しく保持しているのが

御母堂の強い遺志だ。貴女を

守りたいという想いが、それを

可能にしている。」


彼はそう言うと、じっと私の

目を見つめた。


 そして小さく何かを呟いた。




御厨との会話は結局、それで

終わりとなった。



本当に私が知りたかった事、

そして彼が本当に伝えたかった事は

多分、交差しないまま。

 それでも私は母の 為人 が、

語られた事で、すっかり満足して

しまったのかも知れない。



今まで何が何でも三門優也と話を

しなければと思っていたのに。



何だかそれも、どうでも良い事に

思えた。




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