第32話 憑喪守


暗く長い廊下を行く彼の心も

又、深く暗い闇の中にあった。



自分の立ち位置を理解して尚。

御厨忠興にはどうしても詳にして

置かねばならない事があった。


それは幾度となく喪られてきた

近しい者達に対する己の責務で

あり、『斑鳩三塔の長』たる

自らへの戒めの為でもある。




渋谷の 荒御魂 は巧妙過ぎた。


元々が『川姫』の類だ。蔑ろに

葬られた激しい怨みと怒りの念が

近隣の奉祀される神への嫉妬と

成ったもの。

 だが、何故 いま ここに来て

それが噴き出す事となったのか。



辻浦の失踪もそうだ。


彼の使っていたパソコンの閲覧

履歴から、承德三年に伊豆は三島

より出土した、俗に言う

『天凱喪乱神籠命縁起』の資料が

見つかったが、それは決して人の

眼に触れてはならないもの。

つまりは或る種の 咒 でもある。



そして最も決定的なのは、長年

自らの 右腕 としてきた太田の

あり得ない 失敗り だ。


そもそも何故、辻浦の居場所が

暗渠であると断定したのか。


日本随一の『結界師』である彼に

於いて、土地の因果を見誤る事は

決してない。しかも『隠讔司』の

鬼塚ひづるを伴っていた。


彼等を襲ったのは、間違いなく

神 だろう。しかし、暗渠より

成ったばかりの荒御魂ではない。


 もっと  異質 な。




神とは本来 森羅万象 であると

共に、意志など一切持たぬものだ。

 故に人々は畏れ、そして敬う。





長い廊下の終。御厨忠興は、目の

前にある堅牢な木造の扉を開く。

 同時に、咽せ返る様な白檀の

微温い香が暗い廊下へと溢れ出す。


「何者か。」誰何する広い堂の

中もまた暗闇が支配する。


「物集筆頭、御厨忠興と申す。」


彼が名乗ると、闇が動く気配が

した。衣擦れの音、そして耳障りな

何かが軋む音がギィギィと鳴る。


「物集の長とな? 妾に何用か。」

「此度の、東京の一件。貴女が

何事か御存じかと畏み参った次第。

子息が絡んでいるが故に。」

「愚か也。」闇がまた濃度を増す。

濃縮された毒のような闇。

 同時に又、ギィギィ ギィギィと

酷く耳障りな音が響く。


  相手は『神憑器』とは言え

 所詮は 物 だ。


いっそ打ち壊してやろうか。


だが、彼は一つ息を吐き心持ちを

整える。


 大概、大人気ない


穏やかに移り行く車窓の景色を

思い出して、心の中で苦笑する。

 そんな身も蓋もない評価を

受けた事は生まれてこの方一度も

ないが、それも強ち間違いでは

ないのかも知れない。


彼は身を引き締めると共に、

闇の更に奥へと視線を凝らす。

 『神門阜』は自らも身を置く

『斑鳩三塔』の一塔である。

古きより 神門の司 として

存在し、その御役目は只管に

神門 を管理するというものだ。

 広義に於いては『封』も又、

同様に 神籠の門 とする

向きもあるものの、実際は全く

別のものだ。

 


「貴女の愚息が、私の配下の死に

絡んでいる。だが背後にいるのは

少なくとも 神 レベルのもの。

 私は、それを詳にすべく、今

此処に罷り越している。」

「物集の長よ。妾は存ぜぬ。」

「門を、開けられたのか、否か。

あの愚息への厳重抗議もあるが、

先ずは、それを伺いに参った。」


闇が更にギィギィと音を立てる。

いや、闇の中の ソレ が。

「まさなり は何処におる?」

「女衒の真似事をして警察に

勾留されている。」

「…何と。おのれ、何と愚かな

事を…! まさなり めが!」

「貴女が仕置きをするよりは

まだ人道的に扱われる。」

御厨忠興はそう言うと、闇の中に

ず、と身を投じた。


堂の中を暗闇にしているには訳が

ある。この中にある 門 が

明光を嫌うのだ。

 門 即ち、死して尚、妄念に

囚われ続ける哀れな女の御霊が

神門の家の 最要 に取り憑いて、

それは『緋衣御前』という世にも

醜悪奇怪な 神憑器 となった。

 元は神門優也の母親でもあった

神門緋紗子 の成れの果てだ。


「まさなり を返されよ!

愚かなれども我が子。確と妾が

仕置くが故!」

「門を、開けたか否か。先ずは

それに答えられよ!」

彼の声は闇の中を響き渡る。

「愚息を返すのが先じゃ!」

ギィギィと耳障りな軋み音は更に

耳朶を不快に震わせる。

「うるさい!打ち壊されたく無くば

さっさと吐け!」


大人気ない それも今は心強い。


門の管理 とは即ち、決して

それが開かぬ様、厳重に見張る

事でもあるのだ。

 この狂女の御霊が図らずも

神門 と融合してしまった事で

管理自体は容易にはなったが。





「物集様!お待ち下さい!暫し、

何卒、暫し御猶予を…!」



だが闇の中の緊張は、外からの

光と共に破られたのだった。



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