第31話 眷閥


都内を含む関東圏に大雨を齎した

線状降水帯は、そのまま暫くの間

留まっていた。


渋谷川の氾濫は、暗渠であるが故に

近隣への影響は少なかったものの、

二名の死者 を出す痛ましい事故の

記録として後世に残る事となった。


暗渠には既に辻浦の姿があったが、

後の検死により、水が出た時より

ずっと以前に亡くなっていた事が

わかった。

 また、太田に関しては、死因を

溺死と判断されはしたものの、

突然の強大な水の力による圧迫が

少なからず影響を与えた事も付帯

されたのだった。



そして私は、唯一あの惨状の中を

生き延びた鬼塚ひづるが収容された

病院の個室にいた。

 彼女が助かったのは奇跡的だと

皆は口にしたが、それでもひづるは

未だ目を覚さない。

 


何かを能動的に考える、という

行為を私は忘れてしまったらしい。

 それだけではない。全てが全て、

何もかもが無駄に思えた。



トントン と。 控えめにドアを

叩く音に、私は現実の世界へと

引き戻される。


病室の扉が開いて、そこには

見覚えのある人達が佇んでいた。


 ひづるの祖母と鬼童丸


「国ちゃん!」ひづるの祖母は

足早に室内へと入ると、私を

抱きしめた。

「ありがとうな、ひづるにずっと

付いててくれたんやね。でも

大丈夫や。この子の事は鬼共が

絶対に守り抜くよって。」

「鬼が。」「せや。ウチらの血は

鬼を付き従わせる。隠讔司は元々

そういう御役目なんよ。」

 彼女は言いながら、ひづるの

額をそっと撫ぜる。

「国ちゃんも、大変な御役目を

背負わされとるけど、大丈夫や。

アンタにも堅い護が仰山おるしな。

それにウチらだっておるよ?

それ、忘れんといてな。」


 ひづるの祖母はそう言うと、

もう一度、私の身体をしっかりと

抱きしめた。

 そして御詠歌なのか、静かに

詠唱を始めた。

 大きな体躯をした鬼童丸がそれに

追唱する。



あの時、御厨に連れ出されて

代々木八幡宮正面を背にした時。

私の中で、何か途方もなく大きな

感情が湧き上がるのを感じた。


 激しい憤り、苦しみ、悲しみ。

それを凌駕する程の激しい

          何か を。


  怖くはなかった。

           ただ。




『代々木八幡宮に於かれては

          恙無し』


後でそう知らされたが、私の心は

少しも晴れなかった。








ひづるの病室に彼女の祖母と

鬼童丸が訪ねてきてから一日が

経って。

 彼女は漸く目を覚ました。


どれ程の悲しみが彼女を襲ったか。

それを思うと、嬉しい知らせにも

私の心は重たくて、一刻も早く

彼女に会いたい気持ちとは裏腹に

病室に着いたのは昼近くだった。



病室には既に先客があった。


「…御厨さん。」

彼も又、太田という大切な片腕を

失っている。部下の辻浦もだ。

「……。」

いつもと変わらぬ彼の表情も、

それに反する問いかけへの無言も。

この時ばかりは私にも容易に

推して測れた。



「国ちゃんも、ありがとね。」


声は、彼の後ろから。

いつの間にかベッドに半身を

起こしたひづるが、こちらを

真っ直ぐに見つめていた。


「アタシ、もう大丈夫だから。」

そして彼女は毅然とそう宣言した。

「ひづる。」

「太田さんも、辻浦も。今も

変わらず私達の側にいるし。

国ちゃんには見えてないかも

知れないけど。でもアタシには

ハッキリと見えてる。」

 瞳には涙が。だが毅然とした

表情は、決して崩れない。


「アタシは『隠讔司』の末裔。

だから、これからは御厨さんの

言う事よりも、こっち優先して

貰うから。いいよね?」


 ひづるは部屋の隅に向かって

そう言うと、涙に濡れた顔に

いっそう晴れやかな笑みを

作った。



 そして、今まで聞いた事もない

厳かな声で宣言した。




「我が真名は 隠讔司姫角出。

太田敏朗、辻浦武史。其方らの

無念、我れが全て負おうぞ。

 故に。此れを以て其方らを


     我が眷属となさん。」




















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