第26話 神籠


ひづるの祖母の家からの帰京は

どういう訳だか室長の御厨と

一緒になった。

      マジで最悪だッ! 


これは彼女ではなく、私自身の

心の声だ。


あれから。どういうつもりか

御厨も『鬼塚旅館』に一泊した。

翌日改めて顔を合わす事となった

が、元々がこっそり休暇を掠めて

来た身だ。非常に気まずい空気に

なったのは言うまでもない。

 一方の御厨はというと、淡々と

しながらも、何処となく張り詰めて

いるような、それでいて何処か

安堵している様な。矛盾した空気を

身に纏っていた。



帰りの電車の中でも当然、会話が

弾む筈もなく。

 此処にきて、ひづるが酷く気を

遣うのを、多分、初めて私は目に

している。

「みかん、いりますか?室長。」

どうした?ひづる。そう思いつつ

私は密かに自分だけ、変に気まずい

空気の外に逃れ出る。

「いえ、結構です。」

「…そうですか。飲み物、とかも

ありますけど?」

「お気遣いは無用です。」

御厨も大概、大人気ないな、などと

思っていると。


「鬼塚さんの御実家、昨日は

物忌み日 でしたよね。」

突然、彼がそんな事を口にした。


「物忌み日?」つい、口を挿む。

「あ、うん。婆ちゃんの祈祷が

ある前後はお客さん入れないの。

今回は、国ちゃんの件が…あ。」

そこで、ひづるはハッとした顔で

口籠る。

「で、どうでした?結果は。」

したり顔で御厨が聞いてきた。


彼は私の 悪夢 の事など

知らない筈だ。


ひづるの祖母から聞いたのか?

いや、プロの祈祷師である彼女が

守秘義務を蔑ろにするとは到底、

思えない。

ましてや、ひづるの祖母である。


「御厨さんは、何かご存知の事が

おありなんでしょうか?」


在来線の長閑なボックス席は

御厨に対して私達が向かい合う。

多分、無意識に私は彼を睨んで

いたかも知れない。

 列車はもう既に市街地を走り

あの感動的な梅の花霞は見えなく

なってしまった。


「…貴女のことは。私には皆目

わかりませんよ。」

 彼は、そう言った。


「私が知るのは『國護』の歴史。

それこそ教科書レベルの話です。

寧ろ貴女の方が詳しいでしょう。

そうそう、御父上から良しなにと

言付かっています。」

「父がですか?」 驚いた。

「ええ、篤胤さんには会議の席で

お目にかかりましたから。ご多忙

にも関わらず精力的にご発言されて

いました。御壮健そうでしたよ。」

 それはそうかも知れないが。

又しても何とも居心地が悪くなる。


     と、ひづるが。


「あの、『國護』って教科書に

堂々と載っちゃってるんですか?

アタシ、あんまりマジで勉強して

来てなくて記憶にないんだけど。

それって、ヤバくない?」

いや、載ってないよ ひづる。

 そう思って御厨の顔に視線を

移すと、額に手をやりながら口元を

歪めて耐えている。

 この男もこんな事で笑うのか?



そんなこんなで何もかもが

有耶無耶となり。


 私は内心、安堵していた。


何か、途轍もなく恐ろしいものを

先送りにして、束の間の安寧に

戻された事に。

 それでも私の中の 何か が、

気付かれる機会を虎視眈々と

狙っている。

その矛盾は、いつかどちらか

重い方へと振れて覆るのだろう。


只、私の人生は、まだ間違いなく

 こっち側 にあるのだ。



それでも、ひづるの故郷に行けた

事は、本当に良かったと思う。

あれほど美しい景色を、この目に

焼き付ける事が出来たのだから。







 一方で。


東京の分室に残って古い文献に

目を通していた辻浦武史は、とある

古文書の一つに目を留めていた。


『承德三年●●より出土した』と

あるだけに状態が酷く悪く、PCの

テキストデータに整えられて尚、

欠損や汚損部分によって殆どが

判読不能になっている。

 古い木簡に施された文字の列は

文章の体を成してはいたものの、

彼の目にはそれがよく見慣れた

フラクタル次元解析を連想させた。


そして、辛うじて判読可能な文字を

見つけて目を奪われる。


 だから気が付かなかった。


画面の中から、彼を見つめる

暗い 影 たちに。





彼が見ていた其処には、辛うじて

判読の出来る


 喪乱 鏖伐 天凱 巫覡 焉極 

   爻断 神籠  不死山


そして 國護 の文字があった。

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