第8話 延灯


 ふと、視線を感じて振り返る。


「どうかしたの?」怪訝そうな顔の

鬼塚が訝るように視線の先を追う。

確か、彼女は『怪異を見る』という。

だが、どういう訳か件の火の玉は

見えてはいないようだ。


「あ…いや。向こうは一体どう

なってるのかな、って思ってね。

設備なんかも、きっと最先端で

色々と凄いんだろうな。

僕の研究室とは大違いだよ。」

 つい話題を逸らしてしまったが、

それは自身の 正気 を留めると

同時に、望月の過剰な緊張をも

解いたように見えた。

「研究室って、それは科捜研とか

鑑識とか。そういう所の?」

 が、迂闊だった。

今や自分は研究者ではなくて、

警視庁は公安部の人間なのだ。

「ええ…まあ、そんなもんです。」

曖昧に笑って誤魔化す。


「で。曰くを作った、ってのは

一体どういう事? 詳しく聞かせて

貰えるかしら。」さすが、鬼塚は

自然体だ。


当初こそ、この場を主導していた

太田はといえば、今は成り行きを

見守るスタンスで、先程よりも幾分

距離を取りながら遠巻きに観察

している。


 ふと、独り車に残った国森の

事が気に掛かった。



「ここで起きた事件や事故は

逐一、自動で警察に通報されます。

さっき、そちらの刑事さんが

仰っていた自殺者の最初の一人が

山縣先生だったんです。」

 折角、少し緩んだ緊張の色を

再び表情に乗せて望月が言った。


 と、その時だった。


 暗い廊下の奥から嗤い声が

微かに聞こえてきた。いや、そんな

気がした。


     もう火の玉は見えない。


代わりに幾何学的な闇がどす黒く

蟠っている。


「…で。まだいるんだよね?

そのナントカ先生が。」鬼塚が、

眉を顰めてじっと彼を見据える。

いや。彼女の視線は、その背後を。

「ええ。」答えに迷いがない。

微かに震えているが恐怖ではない。

強いて言えば、 怒り?


「山縣先生は、僕から全てを

奪って死んだ。いや、奪う為に

死んだんです。」

 

胸の奥で、何かが小さく痛む。


「特許を取った研究は、元々僕が

温めていたものでした。

 山縣先生は指導教官の名目で、

それを横から掠め取ったんです。

わざわざ起業して、僕をCEOに

据えたのも、きっと贖罪か何かの

つもりだったんでしょう。

でも、そんな事。僕にとっては

本当はどうでも良かったんだ!」


 

刹那、建物内の電源が落ちた。



「……くそ。閉じ込められた!」

太田の声。



研究室を備えた建物故に。

機密性を高めた結果、電気の供給が

断たれればドア一つ開かなくなる。

 同時に、窓も全てが遮断。

絶望的な暗闇の中に閉じ込められた

事には違いない。


慌てて携帯を指で探ると、

絶望的な暗闇が幾らかは

マシになった。


「落ち着いて下さい、望月さん。

予備の電源は?」落雷などで

停電しても本来ならば予備電源に

自動で切り替わる筈だ。


「それより。囲まれてるよ。」


近くで緊迫した鬼塚の声がした。

「か、囲まれてるって。何…に?」

「呼んだのかねぇ。その先生、

さぞかし人望があったとみえる。」

太田の声が反対側から、まるで

揶揄するように響いた。


        と、火の玉が。



暗く閉ざされた廊下の向こうで

再び灯った。そして列を作りながら

ゆっくりとこちらに向かって

近づいてくる。


葬列のような、酷く凶々しい光景。


「これで少しは保つ。」太田の声に

呼応するようにライターの火が

燈明のように閃く。

          その瞬間。


目の前に真っ黒い、人のような

何か がいた。


本来ならば目のある辺りから、

じくじくと赤い漿液を流しながら、


      嗤っていた。






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