第3話 魔女様はとんでもねぇ
クロロス侯爵家は全力でビオン様の呪いを解く方法を探している。
もちろん、そんなつもりはなくても乳飲み子を呪ってしまった魔女も、必死に呪いの解き方を探していた。
この呪いは前侯爵様にかかったままならば、
裏切られた怒りで強い呪いをかけたせいで、乳飲み子に負担が大きく呪いに触れることもできない。なんとかほかに呪いを解く方法がないかを探しながら、魔女はビオン様が成長するのを待っていた。
前侯爵を全力で呪った魔女は、ビオン様の解呪のため数年に一度クロロス家を訪れる。
私がクロロス侯爵家へ勤めだして二年間。早いもので私も十七歳。ビオン様は十二歳になられた。その期間音沙汰はなかったが、ビオン様の成長を確かめに近いうちに訪れると先触れがあった。私が侍女長(私に声をかけた次期侍女長。出世しました)から報された予定を告げると、ビオン様はすっかり脅えていつも以上にシーツお化けになってしまった。
「いやだ…会いたくない…」
「まあビオン様。魔女様は呪いを解く方法を探されているのでしょう?」
「キルケはいつも、言葉では申し訳なさそうにするけど、僕を見て喜んでるから会いたくない…研究に必要だからって髪を切って血を抜いていくんだ。すごく楽しそうに…」
「まあ…」
おいこら諸悪の根源。楽しそうにしちゃだめでしょう。
確かに研究…呪いを解く研究に役立つのかもしれないけれど、態度がちょっとあれである。
「それにキルケが来たら、部屋に兄上も、ほかの使用人も、来るから」
ビオン様は出不精だ。
部屋から全く出ず、出たとしても中庭にしか出ない。
中庭とはビオン様が日の光を浴びるために用意された場所で、限られた者しか場所を知らず立ち入る時間も決められている。中庭に面した壁には窓をつけない徹底ぶりで、ビオン様も安心して日光浴が出来る場所だ。
ちなみに中庭に出るには部屋の柱にある彫刻に隠された通路を利用して、誰にも会わず誰にも知られず中庭の石像の台座から出る。庭師はほかのルートで中庭に入るらしいが、常にビオン様とご一緒している私も庭師と遭遇したことはない。流石侯爵家、時間管理は徹底していた。ちなみにビオン様が移動するこのルート、掃除するのは私のお仕事。
つまり何が言いたいかというと…ビオン様は本当に、世話役の私としか顔を合わせないように生活している。
たとえ相手が
使用人と顔を合わせて、悲鳴を上げられたら。青ざめた顔で対応されたら。呪われた姿を見せることで母のように心を病んで―――儚くなってしまったら。
ビオン様は脅えられて遠ざけられることに慣れていて…だからこそ近づくことがとても怖い。脅えられるのも、脅えさせるのも怖い。
シーツの中で丸まって身を守る小さな少年。この二年で背丈は伸びたけれど、まだ庇護される小さな子供。
私はそっと丸まった背中を撫でながら、柔らかく声をかける。
「きっと当日は気疲れしてしまいますから、おやつはビオン様の好きなドーナッツにしましょう。蜂蜜をたっぷりかけた、温かいミルクを出しますね」
「…一緒に食べて」
「よろしいのですか?ありがとうございます」
「一緒に居て」
「もちろん、当日もメンテは傍におります」
「うん、ちゃんと居て」
「はい」
「ちゃんと、がんばるから…」
「はい」
ちらりと、シーツの合間から黒目がちの目が覗く。そろそろ伸びてきた小麦色の手が、私の袖を掴んだ。
「応援して」
「はい」
頷けば、ビオン様が丸まっていた体勢から身を起こす。はらりと、白いシーツが後ろに落ちた。
ボサボサだった黒髪は私が定期的に整えて、今では艶も出て毛並みのよい猫のようだ。でも黒目がちの目尻が少し下がっていて、目元は泣きそうな子犬みたい。小麦色の肌も清潔で、私が拵えた衣服も成長途中の少年にぴったりの大きさ。
私が育てましたとどや顔をしたいけれど、私にとって可愛い坊ちゃんは他人にとって醜悪な毛玉なのだと思うとやりきれない。
不安そうに私を見上げるビオン様の額に手を伸ばす。失礼して、指通りのよい前髪をかき分け、丸みのある額にそっと唇を寄せた。
「頑張って、ビオン様」
頑張れ。いい子ね。よく頑張った。すごいわ。大丈夫よ。
母親が子に、励ますよう慰めるよう褒めるよう口づける。愛しいと伝わるように。あなたを想っていると伝わるように。背中をそっと押せるように。あなたなら出来ると応援するように。
この二年間、おはようお休みの挨拶だけでなく、ことあるごとにこうして柔らかく口づけた。母が子に与えるように、姉が弟をなだめるように。あなたが愛しいとわかりやすい愛情表現だったから。立場なんか知るか。ビオン様と私しか居ないんだから構うもんか。それよりこの坊ちゃんを可愛がるほうが大事。
はじめは戸惑いの方が大きかったビオン様も、今ではこうやってねだることが出来るようになっていた。とってもいいこと。私がビオン様を大好きなのだと理解してくれたということだもの。
おっと待って。事案じゃない。慈しみの心です。事案じゃないから。
額に
そのままビオン様も背伸びして…事故の傷が残る、私の額に口づけた。がんばる、と小さく告げながら。
よっしゃ私も頑張るぞ―――と気合いを入れたのだけれど。
まさか初対面の魔女様から、サイコパスなお言葉を授かるとは思わなかった。
それは昼食を終えてすぐ。先触れのあったとおりの時間帯に、魔女様はやってきた。侯爵様と少数の使用人を引き連れて。なんだか騒がしかったけれど何だろう。
人が来るとわかっていたので、ビオン様はシーツに包まりビクビクしていた。流石に世話係の私はお側に控えるだけ。それだけのはずだったのだけれど。
現れた魔女は奇っ怪な格好をしていた。
レモンイエローのデイドレス。踵の高い編み上げブーツ。いいところのお嬢さんといった服装だが、それを着ているのは…長い白髪を靡かせたしわくちゃおばあちゃん。
しゃんと背筋を伸ばし、飛ぶように軽やかな足取りでビオン様の部屋にやってきた。その後ろから現れた侯爵は制止させようと声をかけ続けているし、使用人たちも不思議そうにはしていない。つまりあのおばあちゃんがあの格好なのは前々からと言うこと…というかあのおばあちゃんが魔女様だとすると。
え、あれ? 魔女様は元々前侯爵様の浮気相手…。
おっと待って? もしかして私、見えちゃいけない
魔女様が隠している本来の姿、見えてます!?
瞬時にお口にチャック。余計なことは言わずにビオン様のお側に控えた。
シーツに隠れたビオン様は小刻みに震えている。急にたくさん人が来て、様子を窺うことも恐ろしくなってしまったらしい。廊下の外から騒がしかったですから、入室した彼らもビオン様の姿はシーツお化けにしか見えないはず。シーツお化けの中身がわかっているので、使用人は顔を上げないし侯爵様も無理をおっしゃらない。
ただ飛び込んできたおばあちゃ…魔女様は、爛々とした目でこちらを見ている。
…そう、爛々とした目が。目が…こっち見てますね?
魔女様はなぜか、シーツお化けのビオン様ではなく…傍に控えている私を凝視して。
「君の目を抉らせて!」
とんでもねぇ発言を繰り出した。
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