第2話 呪われた子供
本当に、同情を禁じ得ない。
我が子に、しかも生まれて間もない乳飲み子に呪い移しを行った前侯爵があまりに非道すぎる。
そんなわけで、侯爵家では全力でビオン様の呪いを解く方法を探している。何も悪くないビオン様を屋敷の奥深くに隠しながら。
…悪くない。悪くないけれど、人はやはり視覚情報から得るものが印象を一番操作するわけで。
同情的でありながらも、使用人たちはその呪われた姿に脅えていた。
「あの粘つくような毛を見ただけで怖気が走る」
「毛の間から淀んだ真っ黒い目が覗いた時なんて悲鳴を上げかけたわ」
「泥みたいな肌を見るたび、本当に私たちと同じ人間なのか疑わしくなる」
ビオン様は悪くないけれど、見た目が恐ろしすぎて誰も近づけないのが現状だった。
乳飲み子の時は、夫人が可哀想な我が子のために頑張ったらしいが、すぐ心を病んで儚くなってしまった。
ビオン様と十歳年の離れた兄である現侯爵様は、
ビオン様の世話は代替わりを繰り返しながら年老いた乳母が世話役を務めていたのだが、その乳母も体を壊してしまった。
新しく世話係を探していたけれど、なかなかうまくいかず…そうして最近、私がやってきた。
私は私で、貧乏故に嫁ぎ先が見つからず、しかも事故に巻き込まれて顔に傷を負うなんて貴族令嬢として失格過ぎる状態に陥っていた。両親は元気だけどお金がない。四人の弟妹のためにも私が働きに出るしかないと、ダメ元で世話係を募集していた侯爵家に乗り込んだ。年齢身分を一切問わないなんて美味しすぎる一文があったので。絶対裏があると思ったけれど食いついた。
うまい話には裏がある。今回の裏は、世話をするのが呪われた異形の姿をしたご子息だったという点。
ビオン様は何も悪くない。何も悪くないけれど、呪われたお姿はとても恐ろしい。
恐ろしいから、周囲はビオン様の世話係になった私に対して、とても同情的だ。貧乏なお家のため、呪われたご子息の世話を健気に続ける少女と思われている。
貧乏は間違っていないけれど、同情される謂れはない。
なにせ私には、呪われている坊ちゃんが―――可愛い坊ちゃんにしか見えないのだ。
「あの粘つくような毛を見ただけで怖気が走る」
―――確かに誰も手入れをしない伸びきった黒髪はボサボサだったわ。
「毛の間から淀んだ真っ黒い目が覗いた時なんて悲鳴を上げかけたわ」
―――黒目がちの子犬みたいな目はむしろこっちに脅えていたわね。
「泥みたいな肌を見るたび、本当に私たちと同じ人間なのか疑わしくなる」
―――小麦色の肌って私にとってはむしろせいへげっふんげふん…―――いえいえ好ましい点なのだけど。
そう、私には可愛い坊ちゃんにしか見えない。
ボサボサの黒髪に、脅えた子犬のような目の、小麦色の肌をした少年にしか。
散々周囲の人間に化け物だ異形だと脅された後だったから、正直拍子抜けした。だけどこれが私にだけ見えるビオン様の本当の姿なのだろうとすぐ察せた。
というのも、私の目はちょっと特別仕様なもので。
昔から、私の目には偽りが通じないのだ。
事情を知っている家族と勝手に「真実の目」なんて呼んでいるが、私の目がどうなっているのかは誰にもわからない。家族以外に相談したことがないもので。
我がメルヴィン子爵家の遠いご先祖様に「真実の愛で夫の呪いを解いた聖女」がいるらしいというぼんやりした情報から、もしかしたら聖女様の力を受け継いだのではなんて慌てたけれど、ただ目がいいだけで誰かの怪我や病気を治せる訳でもないので、我が子爵家は私の目について貝のように口をつぐんでいる。何せ貧乏なので、恩恵よりも面倒事に繋がりそうな情報は開示できなかった。本当に目がいいだけだし。
―――目がいいだけだから、事故に遭っても逃げられなかった。
乗合馬車が横転して、沢山の人が怪我をして…衝撃で点滅する赤い視界の中、子供の泣き声や誰かの叫び声を聞きながら、私は指一本動かせなかった。自分の身も、誰かの身も守ることは出来なかった。
私には、誰かを助ける特別な力も、自分を守る特殊な能力もない。
自称真実の目が呪いに対しても通用するとは思っていなかったけれど、自称真実の目のおかげで私は本来のビオン様の姿を視認することが出来た。なので、悍ましい姿を一切見ることなく、ビオン様のお世話を続けられている。問題ない。
…あぁでも、ひどい姿は見た。初対面のビオン様は大変見窄らしかった。
なんと言ってもひどかった。侯爵家のご子息とは思えない荒れ具合だった。
外見が。
誰も触れたがらないから髪も肌もボロボロで、異形に見えるから手入れが出来ず、髪は伸びっぱなしだし、小麦色の肌には汚れがこびりついていた。着ている服の大きさも合っていないし、ボタンだって掛け違ったまま不格好に身につけて。
おっとこれはいかん。
呪いとかの前に病気になってしまう。むしろ今までよくぞご無事で。
私に脅えるビオン様もなんのその。私は風呂を沸かしてボサボサの髪を整えて、震えるビオン様に誂えた服を着せて―――満足げに頷いた。
「うん、可愛いわ」
ボサボサの髪は、仕方がないので短く切りそろえて。
汚れていた体は、ゆっくり時間をかけて垢を落として。
痩せ気味なのはしょうがない、余裕あるシャツのボタンをしっかり留めて。
少しでも栄養が補えるよう、暖かいはちみつレモンを飲ませれば、青白い顔色がやっと色づいた。
可愛い。ちょっと痩せ気味だけど、小さいけれど、可愛い男の子だ。
はちみつレモンを飲んでいたビオン様は、私の言葉にぎょっとしたように顔を上げた。
「…かわいい?」
「ええ、可愛いわ」
可愛い私の坊ちゃん。
そう言って、弟妹にするように額にキスをした。
ビオン様は目をまん丸にして小さな手で額を押さえた。きょときょと私の顔を見上げて、何が起こったのかわからないという顔をする。その様子から親愛のキスを受け取ったことがないとありありと察せられた。ですよね。多分、おでこの場所も不確かな見た目だろうし。切なくなる。
「可愛いわ」
だからもう一度、今度はもっと強く唇を押しつけた。
このとき私はやりきった満足感から、貴族令嬢としてというか使用人としての言動をすっかり忘れていた。不敬だ何だとか、その時はさっぱり忘れて行動した。もう弟たちを相手にしている感覚だった。汝は弟。
じわじわとビオン様の褐色の肌が熱くなる。わかりにくいけれど、赤面しているみたい。よくみると、黒目がちな目が潤んで。あら。
えぐえぐと声を押し殺して泣き出したビオン様を、弟妹と慰めるのと同じ心境でぎゅっと抱きしめた。
それから…もちろんすぐにとはいかなかったけれど、ビオン様は私に懐いてくださった。一人の子供として今まで受け取ってこなかった愛を求めているのだろう。
仕方がない。生まれて間もなく前侯爵(父親)のせいで呪われて異形になり、その所為で母親は儚くなった。祖父母と年の離れた兄はビオン様の存在を疎まず哀れんで居るが、愛しているかと言われると不明。領地経営と呪いへの研究で、ビオン様個人と接する時間はさほどない。
一応、雇い主であり屋敷の主人である現侯爵様(ビオン様の兄)はビオン様のご様子を気にしているようで、侍女長経由で定期的に様子を報告している。月に一度は顔を見せに来るが・・・それがただの義務なのかはわからない。嘘のない行動のようだけれど、流石に愛があるのかは嘘を言わない限りわからないわ。
ちなみに侯爵様がビオン様(異形)の姿に脅えているのかはわからないけれど、疎んでいないのは言動でわかった。世話係(私)に弟を頼むと一言告げた言葉に、嘘はなかったから。私に嘘偽りは通じないので。
ビオン様とも本来ならばこんなに馴れ馴れしく接することは許されないのだが、世話役の大義名分のもと愛情たっぷりお世話をするつもりだ。世話役ってそういうの違う?知らない!
私にとってビオン様は可愛くて可愛くて仕方がない、弟妹たちと同じくらい愛しい男の子だ。
私は理由はわからないし原理も不明な真実を見抜く目に感謝しながら、懐いてくれるビオン様のお世話に精を出していた。
魔女がやってくるまでは。
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