第42話 番外編 これからもずっと (前編)
結婚式に至るジークフリード側からの心情を描きました。
思いのほか長くなったので、前後編に分けます。
◆
我が侯爵邸の庭園で開かれたお茶会でのことだった。母の旧友だという嫋やかな夫人に連れられてきた幼い女の子が、俺の前で見事なカーテシーを行ってみせた。それを見て周りは、なんと可愛らしいこと、と一斉に褒めそやす。
「ジーク、この子にお庭を見せてあげて欲しいの。お願い出来るかしら?」
「はい、母上」
これは多分、息子がエスコート出来るかどうか見定めているのだろうと考えて、騎士の振る舞いを真似して左手を胸に置き、右手を女の子に差し出した。
「お手をどうぞ、お姫様」
「……ありがとうございます」
俺の顔をじいっと見つめていたその子が、喜びで綻ばせて輝かんばかりの笑顔を見せた。
「ジークフリードです」
「ヴィクトリアと申します」
この時、俺は八歳。ヴィクトリアと初めて出会ったのだった。
「ね、可愛いでしょう? 大きくなったら絶対ジークのお嫁さんにしちゃう。娘が欲しいのよ」
「ロウィーナ、気が早過ぎるわよ。うちのトリアはまだ五歳よ? ほら、ジークも困ってるわ」
「良いわよね? ジーク」
「母上、僕はまだ八歳です。結婚のことを言われても困ります」
「だって、こんなに可愛いんだもの」
「確かに可愛くはありますね。美人とは言えませんが」
思えば酷い発言だった。だが許して欲しい。俺の美人の基準は、母のロウィーナだったのだ。結婚前は、いや結婚してからも、社交界の華とも白百合の君とも謳われている人だ。子どもを二人産んでもなお、その美しさに陰りなどなかったのだから。
「こ、こら、ジーク、なんてことを……ごめんなさい、エリザベス」
「大丈夫よ、ロウィーナ。普段美しい貴女を見てるんだから、仕方ないわ」
エリザベスと呼ばれた令夫人は、そう言って俺を庇ってころころと笑ってくれた。筆頭公爵家の奥方だというのにたいそう穏やかで優しい方だ。見た目に反して破天荒なところのある気取らない性格の母と仲が良いのが不思議なくらいだった。
その日のヴィクトリアは、どうやら緊張していたらしく、ほとんど喋ることはなかった。だが、色とりどりの花を見るのが楽しいのか、大きな目を見開いたり細めたりしている様子は、見ているだけでこちらも思いの外楽しい時間となった。
こうしたお茶会には親世代の関係から、同世代の子女が集まりがちだ。母に似た容姿の俺は、要らぬ興味を引くようで、見知らぬ令嬢から妙に懐かれたり、令息からは気に入らないとばかりに喧嘩を吹っ掛けられることも度々だった。
だから俺の容姿に関して何も言わず、俺に手を引かれて花や木々をうっとりと見ているヴィクトリアに素直に好感が持てた。母とエリザベス様はその様子をしっかりと見ていたらしい。二人は何やら約束事を交わしていたのだった。
◆
「とうとう明日ですね」
「そうだな。待たせてごめん」
「いいのです。やってもやらなくてもどちらでも良かったのは、わたくしもですから。……だって、今更感ありますもの」
まあ、そうだ。留学する前に両家の許可も王家の許可もサインも貰って、書類はすでに整えて提出済みだ。しかも一緒に暮らしているのだから、周りも婚約者どころか夫婦の認識だろう。婚約してから準備の為に同じ邸で過ごすことはあっても、普通は同衾することはない。だが、全てすっ飛ばして一緒にいるのは俺の我儘だけではない、と思いたい。それは彼女も望んだことだった。
「でも、二人きりで、と言いましたのに存外に大掛かりになってしまって困りました」
「それに関しては、……すまない、と思っている。あの場所を使う許可を貰いに行ったら殿下にバレて、どうしようもなかったんだ」
薄い肩を引き寄せてつむじに口付けを落とした。嫌がらずに肩口に頭を預けてくれる。可愛い。このまま抱き上げて部屋へと運んでしまいたい。しかし今夜はそうはいかなかった。
『新緑の眩しい中、半分朽ちて、蔦が這い、苔生している様が堪りません。わたくしここで式を挙げたいです』
ドレスの準備が出来たら二人だけで式を挙げたい。彼女はそう言った。そんな些細な願いごとを叶えるのは造作もない。それに場所は半分朽ち落ちた小さな聖殿が良いと言う。以前二人で遠乗りに出掛けた際に見かけた、王家の領地内に在るものだった。予定の詰まっている王都の大聖殿で盛大に式を挙げるのが、そこいらのご令嬢方の憧れだというのに、小さな廃墟が良いと言うのだ。こういうところが好ましく、ますます愛おしい。出会ってから長いのに、いつまで経っても愛おしさの上限が分からない。
◆
ヴィクトリアの才能を目の当たりにしたのは、出会いから一年ほど経った頃だった。エリザベス様に頼まれて、庭に居る彼女を探しに行った時だ。美しく整えられた場所ではなくて、邸宅の影に聳える大きな木の根に腰掛けて熱心に何かを観察していた。それはもう、微動だにしないくらいに熱心に。
そおっと後ろから近づいてみると、膝の上に置いたスケッチブックに何やら描いている。それは彼女の年齢を思うと驚くほどに精巧な絵だった。まるでそのまま図鑑に載せても遜色ないほどの素晴らしさだ。
「……ヴィクトリア嬢、母上様がお呼びだよ」
驚かさないようにと小さな声でそう言ってみたが、返事はない。何度か声を掛けてから、軽く肩をつついた。さすがに気付いたようで、こちらを振り向いて俺を認めると、ぱっとスケッチブックを閉じてしまった。
「何描いてたの? 見せてくれる?」
「は、恥ずかしいので、嫌です」
「見てみたいな。お願いします」
そう丁寧にお願いしてみると、少しだけですよ? と開いて見せてくれた。そこには視線の先にある風に揺れる草花が丁寧に描かれていた。
凄いね、見たまんまじゃないか。そう素直に褒めると、照れたように、ありがとうございますと頬を染めた。
俺はそのまま他のページも繰って別の絵も見ていった。それらは本当に見たままを写し取ったように見える出来栄えで、絵心の無い自分にもその素晴らしさが良く分かった。何枚か繰っていき、他は草花だったり風景だったりだったが、人物が描かれたところで手が止まった。そこには、我が母と彼女の母が顔を寄せ合い話をしているところと、その下に明らかに俺だと分かる顔が描いてあった。
「あ、そこは見ちゃ駄目です!」
乱暴にぱたんと閉じて俺の手から抜き取り、走り去ってしまった。そうして勢い余って石に躓き、転んでしまう。そこへエリザベス様が心配なさったのだろう、ちょうどお出でになったところで、あらあらと言いつつ、自分の娘を抱き起した。
「ごめんなさい、僕が悪いのです。無理にスケッチを見たから」
「大丈夫ですよ。トリア、恥ずかしかったのね。この子は自分が美しいと思ったものを閉じ込めたくて描くんです。きっと貴方を気に入ったのね」
泣きべそをかきながら、ヴィクトリアは顔を真っ赤にして母親に抱きついていた。
「僕の顔を、ですか」
なんだ、この子もか。そう残念に思った。この子も俺の表面だけしか見ていないのかと。
「カッコいいお兄ちゃんだものね? トリア」
「それだけじゃありません。優しくして下さいました」
母親に顔を埋めたまま、ヴィクトリアが小さく囁くように呟いた。それを聞いて心が温かくなった。この子は見てくれだけでなく、本当の自分を見てくれるんじゃないかと期待したのだ。あの見事な絵のように、物の本質を見抜くに違いないと。
そうして俺が十歳になった頃、彼女と婚約する運びとなった。何よりも我が母ロウィーナの意向が強く働いたのだが、喜んでそれを受け入れた。その頃には彼女は俺を「ジーク兄さま」と呼んで懐いていたし、俺も「トリア」と愛称で呼ぶことを許されていた。他の令嬢のように媚びを売ってくることもなく、一緒にいると安心出来たのだ。それだけで十分だと思った。
「愛しています、トリア。僕と結婚してください」
「ジーク兄さま、求婚をお受けします」
彼女の前に跪いて手を取り、フリだけでなく本当に気持ちを籠めて口付けた。誓いの言葉は母親たちが用意したものだったが、想いは本物だった。これからは俺だけの姫君になるのだと思うと誇らしかった。ヴィクトリアに相応しく在れと、勉学にも剣術にも本気で励むようになった。
この頃、未来の王太子とともに国を担う側近見習いの一人として、王城へも召されることとなった。目の回るような忙しい日々を過ごすようになり、婚約したとはいえ、彼女と会う機会は少なくなってしまった。代わりに手紙のやり取りが増えていく。その度に添えられる彼女のちょっとしたスケッチに心を癒されたものだった。
◆
はっきり言って、憮然としていた。俺は、トリアを、愛でていたい、だけなのに。
「どうして殿下たちと過ごさなきゃならないんですか」
「そう言うなよ。独身最後の夜だ」
「独身、というのも語弊が」
「ま、何でもいいや、飲めれば」
飲みたい口実に使われ、酒の肴にされてしまうのが分かっているが、今夜だけは仕方ない。はああと空々しく溜め息を吐いてやった。こんなでも寿いでくれているのだから、付き合うとするか。
「エド、私はヴィクトリアたちと一緒に過ごすからな」
エドワード殿下の奥方、エカテリーナ王太子妃殿下がこちらを向いて手を振っている。実はもう酔っているのかもしれない。見せつけるように、俺のトリアを抱き締めているのだ。エカテリーナ様はどうしてだかヴィクトリアをお気に召していて、隙あらば自分だけの侍女にしようとしている。一応彼女の仕事を考慮して無理は言ってこないが、子どもが産まれたら乳母になりなさい、などと言っているらしい。全く油断も隙も無い。
「でもヴィクトリア様には早く寝て貰わないと、明日のお化粧のりが……」
「セシル、大丈夫だ。何ならうちの凄腕美容メイドを貸すぞ。私の顔を見なさい。メンドクサイ顔付きをこんなふうに王妃風にしてくれるんだ、凄いだろう」
それは自慢しているのか、嫌味なのか。微妙なところだと思うのだが、北の生まれのエカテリーナ様は色白美人には違いない。殿下は北の国に短期留学していた時にエカテリーナ様を見染められた。行動を共にしていたから知っている。あの時はいろいろ大変な思いをした。ヴィクトリアに決して言えないこともたくさんやらかしている。
「なあ、ジーク。何なら今から娼館へと繰り出すか?」
馬鹿なことを聞いてくるのは、先日漸く婚約者とキスをしたと嬉しそうに語っていたクレイグだ。いいのか婚約者のいる身で娼館に行っても。俺の冷たい視線に気付いたのか、わざと咳をして誤魔化そうとしている。
「行くわけがないだろう。俺はトリアだけでいい。それよりもその台詞、マーガレット嬢に聞かせてやれ」
「本当に。私が告げ口しておきましょう」
厳しい顔してクレイグを睨んでいるのは妻帯者のケアリーだ。クレイグは焦ってイライアスに抱き着いている。こいつら絶対にかなりの酒が入っているな。
「……殿下、いつから飲んでいるのですか」
「固いこと言うなよ。お前の祝いだ、今日くらいいいだろう? 独身最後の夜だしな」
返事をしたのは、つい先日皇国から戻ってきたばかりのアルことアルブレヒトだった。明日はとうとうセシルに求婚するらしい。そちらがメインで、多分俺の結婚式などどうでもいいのだろう。そう文句を言うとへらへらと笑った。隣でマイクロフトが睨み付けているのは気のせいではない。マイクもセシルを望んでいたのだ。
「へへ、羨ましいだろう」
別に人の求婚事情を羨むことなどないのだが。明日結婚式を挙げる当人に言うことか、それが。
「ヴィクトリア様はお綺麗なのは分かってるし、とうに夫婦同然じゃないか。初夜とか今更だし、もう新鮮味も無いだろう?」
「……お前、今から皇国へ帰れ」
「やだよ。セシルにカッコよくプロポーズするって約束したから」
「人の結婚式を何だと思ってる。別の日にやれ」
冷たいこと言うなよな、と背中をばしばし叩かれた。
「じゃ、俺たちはこっちへ行くぞ」
殿下が率先して歩き出す。仕方がない、こちらを見ているトリアに手を振ってからそれに従った。
◆
そうして十三になった頃、例のお茶会騒ぎが起こった。
お茶会の主宰は皇国へ養子に入った父の従兄弟に当たる方だった。贋作を売りつけられたことが発覚すると、その頃はまだ意見する元気のあった本家の重鎮たちが、口を挟んできたのだ。王国の出来事とは言え、我がシュバルツバルト家を愚弄したのも同然だと。所詮は分家だ、本家の圧に押されてヴィクトリアとは婚約を解消することになり、今後一切付き合うことの無いようにと宣告された。
今はとにかく様子見をしようと父は諾々とその意見に従った。婚約したからこそ安心していたのに、突然解消すると言われて納得出来なかった俺は、両親を責めた。彼女は筆頭公爵家の令嬢だ、それだけでも十分に価値がある。油断していると別の誰かの元へ嫁がされてしまう。
焦った俺は、いっとき解消したように取り繕い、時期を見てまた婚約を結び直したいと両親を説き伏せた。同時に、公爵家に同じことを願い出たのだった。部屋に閉じ籠りがちになった彼女とは会わせて貰えなかった上に、ウィンチェスター公爵は王宮に詰めたままで、エリザベス様の具合も良くないという。対応してくれた兄のウィルフレッド様は、まだ子どもの言うことだからと馬鹿にしたりはせずに、ヴィクトリアへの想いを語る俺に真摯に耳を傾け向き合ってくれた。そうして、時が来たらどうかもう一度、婚約を申し込んでやってくれと仰って下さった。
彼女にどれ程の釣り書が届いていたのか、本人は知らない筈だ。婚約解消された彼女に価値を見出した家は多く、年齢に見合う令息は勿論、筆頭公爵家と繋がりが持てるのならと立候補する人も数多くいたし、遠く隣国からも話が来ていたようだった。だが、ウィンチェスター公爵は娘を守る為に盾となり、それらの申し込みを一蹴した。それは都合良く有難いことだったが、別に俺を認めていた訳でも優遇してくれた訳でもなかった。
彼女を守る力が欲しい。その一心で、学業に取り組み、剣術に励み、王太子の側近に取り立てて貰えるようひたすら努力を重ねた。父は当然のように騎士になって欲しかったようだが、それよりも王佐を目指した。物理的な力よりも政治に物申せる力を求めた。全てはヴィクトリアを手に入れる為に。
◆
後編へと続きます
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