第40話 黒伯爵と銀の髪 24

 ◇エピローグです。


 ――――――――――――――――――――


 先日の王妃の誕生パーティーに使われた大広間の壁には、新たに大きな絵画が掛けられた。先の内戦の折、行方不明となっていたものだが、この度メイヤー伯爵の領地宅で見つかり本来の場所に戻されたのだ。運搬から搬入を任されていたアンは、やっと息をつく事が出来た。感慨深げにゆっくりと鑑賞する。


 橙や黄色といった明るい色味の背景に、崩れ落ちた城の廃墟、そこに逞しい体躯の騎士がすらりとした長剣を天に向かって捧げ持つ。視線を辿れば美しい女神の姿だ。はっきりとした輪郭線でなく、近寄るとぼんやりとした絵に見えるが、離れて観るとそれは素晴らしい煌めくような印象を持つだろう。


 ほう、と溜め息を吐いて、うっとりと飽くことなく見つめ続けるアンを、ジークフリードは誇らしげに眺めていた。王太子殿下夫妻だけでなく、国王陛下も彼女の仕事を評価している。今、ウォルフォード公爵の住んでいた離宮を、美術館にしようという計画が進んでいるが、その仕事を任されることになっているのは勿論、アンだ。その事を非常に誇りに思うジークフリードだった。仕事が折り重なって忙しくなり、例え二人で過ごす時間が少なくなったとしても。こうして飛躍を続ける彼女を眺めるのを、喜びとしているのだった。


「お前の奥方は、なんというか、凄いな」

「当然です。私の妻はこの上もなく優秀ですからね」


 目を細めて嬉しそうにアンを見ている自分の政務補佐官を、エドワードも満足して見ていた。部下の幸せは自分の幸せにも繋がるのだ。そうだな、と言いつつ、側で腕を組み仁王立ちして絵画を眺めるエカテリーナを引き寄せた。


「そんな顰めっ面して、どうしたのかな?」

「うん、これはサリーフィールド西方辺境伯のところにあったのが偽物だったんだよな?」

「その筈だが?」

「……やっぱり、さっぱり、見分けがつかん」


 モランを尋問したところ、元々は西方辺境伯の処に本物があったそうだ。内戦のごたごたで王宮から略奪してきたらしい。そして、どうしてもこの絵が欲しいと言ったメイヤーに、フォルカーがモランに模写を作らせて売りつけたのだとか。勿論辺境伯には内緒だと、その代わりかなりの金額がフォルカーの懐に入った。


 そのフォルカーだが、モランとの間にその時の金の遣り取りから揉めていたようだ。画商のデュムラーと連絡が取れなくなったことを受けて、フォレスト伯爵、モラン、フォルカーの三人で会合を持った時にもモランと争い、お前を棄てると言われて逆上してナイフで刺したと供述した。どうやらフォレスト伯爵に手を出そうとしていたのを嫉妬したことも理由の一つらしい。


 フォレスト伯爵には男色の気はなかった。それどころか激しく嫌悪していたとモランは話した。商売上どうしても話さなくてはならない他は、口もききたくないといった状況だったと。自分やフォルカーを見る眼は、虫けらを見るが如く蔑む眼差しだったという。


「同性愛者は同じ人間だと思っていない節があったよ」


 そう言ってモランは嫌そうに口を歪めた。それはそうだろう、自分の意思と関係なく、母の面倒を看る条件で身体を求められたのだ。何の後ろ盾もない十代の彼にはそれを遠ざけることが出来なかった。前フォレスト伯爵が突然死んだのはもしや? と関係を知る者は皆思ったらしいが、そこは急な病だったと判明している。


 モランは殺人と麻薬売買の罪で、極刑に処される予定である。


 外交官である身分を最大限利用して、東方の国に居たデュムラーと連絡を取り合い、麻薬を密輸入していたメイヤー伯爵は結局見つかっていない。しかし麻薬に関わったとして爵位は剥奪、麻薬売買に加担していた次男のルパートと三男のルーファスは今は王城に収監されて、極刑が避けられないだろうという。嫡男だったラドクリフは本当に何も知らされていなかったことが判明している。嫡男だけは犯罪行為に加担せずとも居られるようにとの配慮だったのか。王太子のエドワードは彼の才能を惜しみ、平民に落ちた彼を名を変えさせ、こっそり地方官として取り立てることにした。


「本当に家族が申し訳ないことを……。殿下の温情に感謝致します。この身は生涯地方官の仕事を通じて王家に捧げます」


 そう言って頭を下げ続けたラドクリフは、ジークフリードとアンに見送られて寒さ厳しい北方辺境伯の処へ旅立っていった。無理矢理のように留学の時期を変更させたことを気に病んだジークフリードは、ラドクリフと握手を交わして、困ったことがあれば力になると約束した。


「やっぱり無理に交代したんですね」

「……、否定はしない。君が心配で」


 アンは、ふうと溜め息を吐いた。本当にこの人は過保護だ。それを受け入れているわたくしも大概だけど、とそっと自嘲した。またもやルーファスに掴まりナイフを突き付けられた身なので、アンにも文句は言えなかった。


 ジークフリードはパーティーに参加し危険な目に合ったアンを叱るというよりも、セシルとアルを責めた。半分は自分に向けた怒りの矛先を、二人に向け八つ当たったに近い。二人は護衛という立場なので、勿論責任は重い。叱責を受け続ける二人を、許してあげて下さい、わたくしも悪いのですから、とアンが涙目で以て訴えると気が晴れたかのように二人を解放した。


 それに加えてセシルは、父親であるトンプソン卿からもそれは激しく叱られた。護衛対象と一緒になって危険な場所へ行くとは何事だ、言語道断だと。それもアンのとりなしで、結局はセシルの謝罪をトンプソン卿は受け入れた。娘が心配なあまり思わず激昂したが、手を振り下ろすタイミングを逃していたのだ。後にアンに対してこっそりと謝罪をしたトンプソン卿であった。


 サリーフィールド西方辺境伯は、あの後尋問され、西方の国との関係性を洗いざらい話した。あわよくば、独立も視野に入れていたらしい。贋作はその資金の為であった。だがフォレスト伯爵に指摘されたように、もうそういう時代ではないと彼は悟っていた。二代前からの呪縛に実は苦しんでいた辺境伯は、妻であるメイヤー伯爵の娘は離縁し、辺境伯の地位を甥に譲り、自分は自ら軟禁状態に入った。王家としては罰を与える機会を逸した恰好になったがそれをそのまま受け入れた。今回の件で西方との間に緊張が走ることになるやもしれず、辺境の地を長く不安定にしておくことは出来ないと判断したのだ。贋作を売って得た金を今回の麻薬によって健康を害された人々の救済に充てるようにと命を出し、それを懲罰とした。


 五日間ほどフォレスト伯爵に拘束されたアルは、メイヤー伯爵の邸宅内のことを見聞きした情報を多くもたらした。まず、捕まった時の部屋に飾ってあった絵画である。あの絵にすっかり心酔していたメイヤーやその一派が、城下でばら撒かれたビラを作っていたこと、絵画の前で時々会合を開き、銀髪のフォレスト伯爵をまるで人形扱いで王家奪還の象徴としていたこと、麻薬売買はその資金としていたことが分かった。メイヤー伯の邸宅にはシュバルツバルト侯爵家の騎士団が入り、アルの証言から徹底的に調べ尽くされた。多くの者が拘束され、メイヤーと信条を同じくする人間も捕らえられた。今は害が少ないとはいえ、放置すると王家に徒名す可能性があるからだ。上位貴族でも遠慮なく断罪し、粛清していった。


 フォレスト伯爵の、アルに対する扱いは丁寧だったという。少しばかり親戚縁者への情を持っていたのかも知れないとアルは思っている。麻薬のことは許すことは出来ないが、一族に迎えられないのは本気で残念だった。商売の才覚も勿論だが、貴族としての教育も十分で、人としても魅力的な人物だったからだ。セシルもアルも、フォレスト伯爵はただその見た目で巻き込まれただけだと考えている。だから、心情的にどうにも捕まえる事が出来ずに逃してしまった。あんな見事な銀の髪でなかったら、彼は普通に、それこそ真っ当に生きていたのではないだろうか。念のために各方面にはフォレスト伯爵の手配書が回されているが、もうこの国には居ないだろうとアルは踏んでいる。


 黒伯爵に恋慕して逃してしまったセシルは、暫く何も手が付かない様子でぼんやりとする時間が増えた。アンは心配だったが、こればかりは心が癒えるのを時間をかけて待つしかない。時折、エカテリーナと三人で『女子会』と称してセシルを慰める夜通しのパーティーを開いている。学生の頃にこういう友だち付き合いをしてこなかったアンは、実はとても楽しんでいた。ジークフリードとしては、共に過ごす時間を削られる羽目になるので不満げだったが。


「今夜の女子会へは勿論参加致します。ジークフリード様が快く許してくださいました。旦那様は、わたくしをとても大事にして下さいますのよ」


 公爵令嬢モードでそうエカテリーナたちに嬉しそうに話すヴィクトリアを見て、どうして拒否など出来ようか。誰よりも妻が愛おしいジークフリードは結局のところ、彼女の可愛いお願いには逆らえないのだった。


 ◆


「俺さ、今回の一件が片付いたら、一度皇国へ戻ろうと思っているんだ」


 セシルが修復室にて事務仕事に専念していた時、二人きりになるとそう打ち明け話を始めた。アルはしかしそっぽを向いたままだ。


「いろいろ反省してさ、親父の、いや父上の手助けをすることにしたよ」

「……そうなんだ。皇国へ帰るんだね」

「セシル、――お前、一度ここを離れて一緒に来ないか?」


 セシルは固まった。一緒に、ということは、シュバルツバルト公爵家へということだ。


「だ、駄目だよ、私は只の男爵令嬢でしかも元は孤児だよ? こんな人間が公爵家に行ける訳ないじゃん」

「駄目かどうかは俺が決めることだ。お前なら構わないよ。大歓迎だ」

「でも、……そんなこと、急に言われても。だいいちアンを置いていけないよ」

「ほんっとにヴィクトリア様が好きなんだな、妬けるよマジで。別にすぐに結婚してくれと言ってる訳じゃない。お前もいろいろあっただろう? 少し離れた方が楽になれるかと思っただけだ」

「……あの、ちょっと待って? 結婚って、それ、どういうこと」

「そりゃ、ちょっとは考えてくれると嬉しいけどな」

「えっ? 本気なの?」


 アルは、照れ隠しに緩くうねった黒髪をがしがしと掻いた。


「当代当主が成人されるまでは、父上の補佐をするつもりだ。無事に成人されたら、そうしたら、……こっちに戻ってくるから俺と結婚してくれ」


 何でもないことのようにさらりとセシルに告げたのは、求婚の言葉。驚きで目を見開いたセシルはどうしていいか分からずに、目を泳がせておろおろしている。


「そうは言ってもセシル、お前幾つになったっけ? 早めにしないと行き遅れになるな。やっぱりすぐに結婚するか」

「何よ、その言い方! それが結婚しようと思う相手に対する態度?!」

「……怒っていてもいいから、そうやって元気で居てくれよな」


 いつものお茶らけた雰囲気は鳴りを潜め、真摯な眼差しでアルはセシルを見つめている。すると彼女の顔がみるみる赤く染まっていく。少しは脈があるようだと、アルは喜びを隠さず目を細めてそっとセシルを引き寄せた。


「私、アルブレヒト・フォン・シュバルツバルトはセシル・トンプソン男爵令嬢に誓いを立てます。いつ如何なる時も、セシル嬢だけを見て、大切にし、一生涯愛し続けます。だから、私と結婚してください」


 あまりに唐突な言葉にセシルは何も言えずに、ただ為すがままに抱き締められていた。


「……セシル、せっかく恰好付けたのに、何とか言えよ」

「アル、――似合ってない」


 はは、と乾いた笑いを零してアルは、次はちゃんと正装して口説くからな、と言った。


 上目遣いに見上げたセシルは、うん待ってる、と潤んだ瞳で囁いた。


 ――― Ende ―――




 ◇後書き

 溺愛ハピエンの本編とは似ても似つかないものになりました。伏線回収編、これにて完結です。ここまで長いものを書いたのは初めてで、自分の中ではなんとか納め切ったつもりで納得しております。

 ここまでお読みいただきありがとうございました。

 キャラに愛着が湧いていますので、そのうち番外編を書く予定です。


 ではその時まで(^^)/~~~

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