第39話 黒伯爵と銀の髪 23


「さて、そろそろ次の人物に登場願おう」


 大仰にそう言い放った黒伯爵が侍従に合図すると、扉が開いて意外な人物が入ってくる。


「…っ! ルーファス・メイヤーじゃないか? お前、何処に居たんだ?」


 アルが声を上げた。主の命を受けて探していた人物がいきなり現れて驚いたのだ。


「いったい何の茶番なんだ? このメンバーは何なんだ?」


 ルーファスは入ってくるなり不審そうな顔をして言う。それはそうだろう。其々がお互いに思っていることだった。


「しかも、アン・トレイシー、お前なんでここに居るんだよ?」

「私だって不本意です。貴方には二度と会いたくなかったですから」


 いきなりの拒否の言葉に一瞬怯んだが、近寄ってくると嫌そうにしているアンの横にわざと座った。


「ちょっと、アンに触れたら許さないよ?」

「セシル・トンプソン、お前は黙っとけ。たかだか男爵令嬢に意見などされる謂れはない」

「あんたね、どれだけ毒されてるのよ? これから先、男も女も爵位だって関係なくなる時代が来るんだよ?」

「まあまあ、セシル嬢の言いたいことも分かります。しかしこの国はまだまだ意識改革は進んでいないですからね。さて、君の役割はトレイシー嬢を陥落させることだったね?」

「……ああ、あの夜会前から父上にそう言われていた。全く好みの範疇じゃなかったからやる気なかったけどな。あのドレスアップした姿は良かったぜ。せっかくエミリー・グランドに媚薬の入った果実水を用意させて上手く飲んでくれたってのに。王太子の手下さえ入って来なければ今頃は、」


 舌なめずりしそうな勢いでアンの姿を見ているルーファスに、彼女はここへ来たことを少しだが後悔し始めた。また同じ轍を踏んでは、ジークフリードに何を言われるか分からない。


「戯れもほどほどにして下さい。いったい私に何をさせるつもりだったというのですか」

「モランの模写に箔を付けるために、王立文化研究所のアン・トレイシーの鑑定書があれば売り易いと辺境伯から頼まれたんだ。もしも上手くいけば、俺も父上に認められる筈だった。……なのに、どうして子爵位のくせに俺の願いを断るんだよ、上位貴族の言うことを聞けよ」 

「私にはもう、婚約者が居ます。お付き合いは出来ませんし、そんな偽の鑑定書など脅されたって絶対に書きませんよ」

「はっ? 婚約者? 居ないだろう?」

「あの時は婚約していませんでしたが、今は婚約者が居ますのでご遠慮頂きたいですわ」

「ルーファス、君、彼女がウィンチェスター公爵令嬢だと知らなかったんだね?」

「何だって? じゃ、相手はあの王太子の補佐官か!」

「そうだよ、アンは、ジークフリード様の婚約者で、ウィンチェスター公爵令嬢だよ。あんたの言い草が正しいなら、筆頭公爵家のご令嬢であるアンは、たかだか伯爵三男程度の令息の言うことなんぞ聞かなくてもいい筈よね」


 大いに嫌味を噛ましてセシルが言い放った。本気で驚いているルーファスにアンや彼女も驚いた。伯爵家の人間なのに、この情報の無さはどうしたことか。つまり、あの後隔離されていたということだ。


「君は気の毒に、お父上であるメイヤー殿から相手にされていなかったからね」

「……ああ、どうせ俺は妾腹だからな。それでも、貴方は俺に役割をくれた。それは感謝している。例え麻薬の売買だろうと」

「麻薬、ね。そう言えば、君はあの印の紙を失くしたんだったか」


 ルーファスは、イーゼルに置いてあるスコイエの贋作を指差した。


「その絵、その絵の裏に隠していたんだ、なのに何処かへ消え失せた」

「仕様がない人ですね。大事な物なのに、失くすなど言語道断だ。君はいつも詰めが甘いな」


 ルーファスの顔に朱が差した。


「煩い。黙れ。どうせ、あの時話したように、もう取引出来ないんだろう? それに父上が行方不明じゃ、家もどうなるか分からない。逃げる元手が欲しいんだ、それくらいは譲歩してくれよ」

「既にかなりの額を融通している筈ですよ。それに、王都の店の『最後の憩』を任せると言ったのに拒否したではありませんか」

「王都だぞ? 危険だろう? 俺は近衛騎士団に目を付けられているんだ!」

「フォレスト伯爵、貴方の店である『最後の憩』でセシルが買ってきた茶葉には麻薬が混じっていました。王太子殿下が今日、お店に踏み込んで捜索している筈です。言い逃れは出来ませんよ」


 アンはきっぱりと言い切った。その横でセシルは切なげな思いを抱えていた。アンはルーファスに向き直る。


「ルーファス様、貴方も関わっていたのですね。どうして、そんなことを」

「煩い、公爵家のお嬢様には分かる訳ない」

「貴方の兄上のラドクリフ様は優秀な方です。あの方を兄に持って、どうしてそんな真似が出来るのですか」

「お前はっ! そういうところが、堪らなく嫌なんだ。まったく、可愛げのない女だな」

「――真っ当に生きてきた君には分からないだろうな。ルーファスのように親に顧みられないこともなく、私のように容姿ばかりを大事にされて本質を見て貰えないこともなく」


 黒伯爵は立ち上がり、ふらりとアンに近づいた。


「私の祖母は王国の王女であることを誇りに思っていた。王家の象徴の銀の髪をそれは大事にしてらしたそうだ。娘である母も見事な銀髪で、それは父の稼業に役立った。私もそうだ、見世物にされていたのも同然だ。しかも」


 急に言葉を切って、天を仰いだ。涙が滲んだように見えた。


「メイヤー殿は私の髪の色を見て、たいそう喜ばれた。王国へと招き入れたいばかりにフォレスト伯爵と引き合わせた。フォレスト伯爵も私の容姿がお気に召してね、時折、身体を求められて相手をさせられたよ。未だに夢に見る。多くを与えても貰ったが、奪われたものもある」


 その場に居た全員が黒伯爵の唐突な告白を聞いて目を見開いた。


「こんな髪色など、欲しくなかった。母は誇りに思えと言ったが、私には無用のものだ」


 さて、そろそろ潮時かな、と呟く。


「今日、店に王太子の手が入るのは分かっていた。これでもいろんな所から情報が入ってくるのでね」

「だったらどうして、こんなところで茶会など開いてるんだ?」


 アルが詰め寄った。そう、まるで罪を告白をする為のお披露目会のようではないか。


「言ったでしょう? 終わりにしたいんですよ。もううんざりしているんだ」


 唖然としている面々の耳に、遠くから喧騒が聞こえてくる。部屋に居た護衛も動き出した。


「――お迎えが来たようですよ、ウィンチェスター公爵令嬢」

「俺はどうなる? 俺も終わりか? そんな、嫌だ、放っておかれるのは嫌だ!」


 そう叫んだルーファスは立ち上がってアンの腕を掴み、一緒に来いと脅した。それを見て、セシルとアルも慌てて立ち上がったが、何処に仕込んでいたのか、ナイフを持ってアンの首に刃先を当てている。二人はルーファスと睨み合う格好となった。


 辺境伯とモランはと言えば黙って立ち上がり、騒ぎに応じてそっと逃げ出そうと部屋の隅に移動していた。


 そんな周りの状況を見ながら、全く無粋なものだと呟くと、黒伯爵はジャケットに手を差し入れて何かを取り出した。時を置かず、部屋の扉が荒々しい音を立てて開かれた、刹那。大きな音と閃光が走り、皆の視界を奪った。続いてもう一度爆発音が聞こえて、今度は煙が充満する。誰か窓を開けてくれ、という叫び声が聞こえたかと思うと、動くな、全員手を頭に上げてその場に座れ、という厳しい声が飛んだ。アンはその声を王太子の側近クレイグの声だと聞き分けた。これで皆が捕まれば、麻薬のことも贋作のこともはっきりする、そう思った。後はルーファスが諦めてくれたらいいと。


 風が入ってきたらしい、徐々に煙は薄れてきた。状況が目視出来るようになると、部屋に居た護衛や辺境伯は勿論、モランも捕らえられていた。アンはルーファスに腕を掴まれたまま、引き摺られるように窓際へと移動させられる。


「近づくなっ! こいつが怪我をするぞ!」


 めちゃくちゃにナイフを振り回している。息が荒く、すっかり興奮状態だ、アンは冷静に事態を見ていた。ルーファスが疲れるまでこのままでも何とかなるだろうか。クレイグ様がどうにかして下さるだろうか。彼が私を傷つけるとは何となくだが思えなかった。ただ単にここから逃げ出そうとしているだけだと。そして、何処までも哀れな、とも思っていた。


 そうこうしているうちに、ルーファスの後ろの大きな掃き出し窓が唐突に開かれた。同時に、ナイフを棄てろ、という聞き慣れた声がした。


「……うっ!」


 ルーファスが唸り声をあげる。いつの間にかアンと彼の間には長剣が差し込まれてきらりと刃が光る。ナイフを弾かれ、アンを掴んでいた腕が捻り上げられた。


「無事か? トリア、怪我はないか?」

「……ジークっ!」


 ルーファスが怯んだ隙に、ジークフリードは容赦なく彼を壁側に蹴り飛ばした。空いた腕でアンを引き寄せ抱き締める。アンも手をジークフリードの背に回して安心した途端に、今さらのように身体が震えてくる。


「良かった、間に合った」

「ジーク、あなた、……ご、ごめん、なさい」

「いいんだ、トリア、俺も悪かった」


 右手に剣を、左手にアンを抱えたまま、部屋に入ってきた騎士隊に全員とりあえず捕縛するよう指示を出す。


「外から近づいた時、中に君が見えて、肝が冷えた、……仕事の打ち合わせだとばかり思っていたから油断したよ。まったく、俺に一言も無く黙ってパーティーに参加するなんて」

「ご心配お掛けしました、……申し訳ありません」

「まさかセシルも一緒に来ていたとはな。あいつ、止めなかったのか」

「ジーク、セシルは悪くありません。わたくしがお願いしたのですから」

「責めてるわけじゃない。ただ、……黙って行かないでくれ。何かあったら、俺は自分が許せない」

「わたくし、勝手を致しました。お怒りならわたくしが」

「そうじゃない、トリア。黙ってないで俺にも相談してくれ。二人で最善を探そう。君を押し留めるのが間違いだったんだ。本当にすまない」


 周りでは辺境伯をはじめとして、捕縛された男たちが騎士隊に引っ立てられていく。ジークフリードはクレイグと確認しながら細かな指示を飛ばす。庭園の方でもパーティーの客を引き留め、聴取が始まっているようだった。


「さて。ジーク、俺はこいつらを連行するけれど、お前は彼女とゆっくりしていてもいいぞ?」


 クレイグが揶揄う言葉を投げた。近衛の騎士や騎士隊の面々に見守られた状態で、ジークフリードに抱きかかえられたままになっているのに、アンは気が付いた。分かり易く顔に熱が集まってくる。胸板を押し戻して離れようとするが、解放しては貰えず、更に腕に力が入るが分かった。仕方なしに隠したくて彼の肩口に顔を埋める。何やら周りの視線が生温い。


「なあ、トレイシー嬢がジークフリードのお相手だったのか? あいつの婚約者って確か、どこぞの公爵令嬢じゃなかったか?」

「お前知らないのか? 彼女がウィンチェスター公爵令嬢らしいぞ」

「マジかよ? 俺、トレイシー嬢に憧れていたのに」


 などという会話が漏れ聞こえてくる。ジークフリードはというと、相変わらずの冷たい不愛想な面持ちで周りの騎士たちをひとわたり眺めた後、一転蕩けるような笑みでアンを見下ろし、わざと音を立てて頬にキスをした。


「……っ、ジーク! 皆さまの面前で何なさるの」

「どうしていけないんだ? 君は俺のものだ、ちゃんと見せつけておかないと」


 そうして耳元へ唇を寄せて、今夜は寝かさない、覚悟して、と囁いた。それを聞いて頬を赤く染めながらも眉間に皺寄せたアンを、愛おしそうに見つめるジークフリードだった。


 ◆


 閃光と煙で目晦ましされた後、セシルは当たりを付けて窓へ向かって足を出していた。直前外から忍び寄るジークフリードが見えていたから、アンは大丈夫だろう。だったら私は、黒伯爵を捕まえる。


 煙が薄らいできたとき、窓が開いてひらりと外へ出て行く黒伯爵が見えた。同じルートを辿ってセシルも外へと飛び出した。後を追って全力で走った。彼は軽々と柵を飛び越え、隣接する林の中へ入っていく。木々の影に馬が繋いであった。


「――フォレスト伯爵!」

「やあ、セシル嬢、良く分かったね。……このまま黙って行かせてくれないかな」


 髪は乱れてはいたが、いつもと変わらない愛想のいい笑顔だった。これに絆されてはいけないとセシルは気を引き締める。


「どうか、思い留まって下さい。全てを王太子殿下に話して下さい。殿下はきっと温情を下さいます」

「悪いね、もうどうでもいいことだし、話すことはさっき全て話したよ。それよりも、」


 馬を引きつつセシルに近づいて、美麗だが寂しげな笑みを浮かべて、一緒に来ないか? と囁いた。


「そんな、私、行けませんっ」

「これまでこんな気持ちになったのは君が初めてだったんだけれどな。残念だ。やっぱりあっちの彼の方が良いかな?」


 ふと後ろを振り向くとそこには息を切らしたアルが立っていた。彼もすぐにセシルを追って部屋を飛び出してきたのだ。


「セシル嬢、想いを寄せていたのは本当だし、私の自惚れでなければ君も少なからず慕ってくれていたよね? 嬉しかったよ。でもここで終わりだ」

「お前の勝手な言い分はどうでもいい。セシルを傷つけるな」

「シュバルツバルト公爵家の君も、真っ当に生きてきたんだろうな。羨ましいよ」

「だったら、お前も羨んでないで、そう生きていけばいいじゃないか」

「もう遅い。外面ばかりを求められて疲れたよ。祖母や母の呪いももうたくさんだ。これで失礼するよ」

「――最後に一つ、聞かせてくれ、どうしてうちの紋章を使ったんだ?」

「それは、……ただの嫌がらせだよ」


 黒伯爵は、薄っすらと笑みを浮かべ馬に飛び乗って駆け出した。だがセシルもアルも動かなかった。というよりは動けなかった。彼を捕まえて、罰を与えるのはどうにも違う気がしていた。そして、王家の醜聞、加えて皇国のシュバルツバルト公爵家の醜聞とも成り得る。そう思うと、全貌を白日の下に晒すには抵抗を覚えていた。主人の意向に添わないのは分かっていたが、二人共黙って立ち尽くすばかりだった。


「――なあ、セシル? お前、アイツが好きだったんだろ? 良かったのか、一緒に行かなくて」


 駆け出した馬の土埃が見えなくなって暫くした後、アルがぽつりと呟いた。音もなくセシルの横に立ち、肩に手を回した。彼女の頬を涙が伝って落ちている。それには気付かない振りをして、ただ横に寄り添っていた。


「まさか。この状態じゃ、お尋ね者になっちゃうよ。それに、アンが居るもの、アンを置いて行けない」

「お前な、トレイシー嬢にはジークが居るじゃないか」

「だって、アンは私を、大切なお友達だって言ってくれたんだもん」

「そうか、ただの護衛対象じゃないってことだな。良かったな」

「うんっ、うんっ」


 でもね、とセシルは言葉を紡いだ。私多分、好きだった と。アルが覗き込むと泣き笑いってこんな顔なんだなという顔を見せていた。敢えて、誰を? とは問わずに、両手を彼女の背中へと回してそっと包み込んだ。


「俺にしとけよ。……お手軽だろ?」

「えっ、どこがよ?! シュバルツバルト公爵家の継承権第三位だって聞いたよ? どこがお手軽なのよ?」

「う、誰だよ? それバラしたやつ」


 そんなことを知っているのは主ジークフリードだけだ。あの野郎、と口の中で毒づいた。


「とりあえず、今夜は俺が慰めてやる」

「……やだ」

「遠慮しなくていいぞ」

「馬鹿言わないの」

「そう言わずに、一緒に居てくれ……お願いします」

「……ふふ、」


 いつしか涙も止まり、慰めを与えてくれた相手をセシルは見上げた。声を出さずに、ありがと、と唇が形作った。アルもいつもの不愛想な面持ちではなく、嬉しそうに微笑んだ。セシルはそっと身を引いた。


「さ、戻ってジークフリード様に報告しなきゃ」

「そして、叱責を受けるんだな」

「そうだねー、怒られるよねー。それもだけれど、捕まってからの話聞かせてよね?」

「う、俺も怒られるの確定だ。トレイシー嬢に取りなしてもらわなきゃな」


 じゃれ合うように言葉を交わしながら、二人は辺境伯のタウンハウスへと歩を進めた。


 ――――――――――――――――――――


 ◇お疲れさまでした。

 明日、最終話です。

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