第33話 黒伯爵と銀の髪 17


「それで、エドワード殿下は私に何をお求めなのでしょうか?」


 王太子の執務室へ入室しさらりと挨拶を交わした後、コリン・ロンズデール秘書官は、上司である国王から指示されたから来たのだと、詳しい内容は知らされていないようだった。王の秘書官として長いキャリアを持つ四十絡みの彼は怪訝な様子を見せた。


「十年前のことをちょっと思い出して貰いたいんだ」

「十年前、ですか、……それはもしや『贋作茶会』事件に関することですか?」


 いつかこういう日も来るだろうとは思っていました、そう言いつつ古い記憶を思い出すように天井を仰いだ。エドワードを始め、側近たちと王太子妃エカテリーナ、それに今回はアンも呼ばれていた。


「――確かに私がウォルフォード公爵から詳しい話を聞いて、それを調書として纏め上げました。読んだ陛下は、当時の公文書庁長官だったウィンチェスター公爵に指示して、機密書類として公文書館の地下へと納めさせたのです」

「納めさせた、ね、要するに隠蔽したんだな」

「そうとも言いますね」


 ほろ苦く微笑した後、ロンズデールは居住まいを正した。


「内容が内容ですからね、王族の一員として、認める訳にはいかなかったということです」

「……そうして、アトリエを潰す為に罪を捏造したと?」


 アンの冷ややかな声が飛んだ。当然だ、そのお陰で伯父は命を散らしてしまった。身に覚えのない贋作を作っていたと弾劾され、大事にしていたアトリエも潰され、自身の性志向も全面的に否定された。しかも身内である国王自らの仕打ちだ。どれ程無念だっただろうか。伯父に思いを馳せると涙が滲み、手が震えてくる。アンは震える右手を左手で抑え込んだ。


「ウィンチェスター令嬢、貴女の言いたいことは良く分かります。我々にも当然罪の意識はありましたし、それは今でも思います。でも当時はそれが正しい道だと考えました」


 国王自身の指示でもある。ロンズデール自身もそれに従っただけとも言える。


「ですから、今ここでは貴女に謝罪するつもりはありません。陛下のお気持ちを察してあげて欲しいとだけ申しておきます」


 アンも分かっている。十年も前のことだ。伯父は亡くなり、もう戻ることはない。今更謝罪を受けたとしても詮無いことなのだ。ジークフリードが彼女の肩を引き寄せ、宥めるように何度も背中を撫でた。涙を見せまいとして彼の肩口に顔を埋める。


「……別に君の立場をどうこう問うつもりはないんだ。今更そんな事実を暴いたところで不愉快な話題が蒸し返されるだけだからな。知りたいのはそこではない」


 そう言ってエドワードは一枚の絵姿を王の秘書官に差し出した。


「この人物の素性が知りたい。先日森で見つかった遺体の絵姿だ。どうも昔の贋作茶会の関係者ではないかと主張する者が居るんだ」


 手渡された紙を暫く見ていたが、ふむ、と記憶を探っているようだった。


 暫くジークフリードの肩口に顔を埋めていたアンはふと顔を上げて、その時初めてその絵姿を見た。そうして驚愕したように息を呑んだのだった。


「――っ! 殿下、それは? 遺体、と言いましたか?」


 涙の残る眦を決して、彼女は顔を真っ直ぐにエドワードに向けた。


「この人は、昔伯父のアトリエに出入りしていた画商の右腕だった男です。名前は、ええと、」

「ああ、そうだ、名前はフォルカーと言った筈だ。彼は裏帳簿を持って行方を晦ましたとされています。だから贋作売買に関して確実な証拠を掴む事が出来なかったのです。画商はヨハネス・デュムラーと言い、国外追放になりました。皇国に渡ったところまでは掴んでいますが、今は何処に居るのかは分かりません」


 ほら、トレイシー嬢に絡んでもらった方が早かったじゃないか、とケアリーはジークフリードを腕で小突いた。彼女は関係者も関係者なのだから、さっさと引き入れた方が話が早かったよと。


 ロンズデール秘書官が退出してから、皆で頭を突き合わせてアンの話を聞いた。


 当時、伯父ウォルフォード公爵のアトリエには何人かの画商が出入りしていたが、一番深く関わっていたのは、今は行方知れずのヨハネス・デュムラーだと言った。


「気が付いたらそこに居るというほど、顔を出されていました。確か皇国に妻子を残してこちらには商談も兼ねて滞在しているのだと仰っていたと覚えています。私にも君は絵の才能があるとお声掛けして下さいました。伯父とも親しくお付き合いをしていて、……でも何時からか、伯父に距離を置かれるようになっていました。兄の話を聞いて分かったのですが、アトリエで修行していた画家の模写を、レプリカとして売ろうとしていたのだと思います。それを伯父が頑なに嫌がった」


 だから始めは真筆だと騙して売ろうとしていたのではなかった筈だとアンは続けた。あくまでレプリカとして売ったらどうだと熱心に伯父を説得していたと。


「でも伯父は頑として受け付けなかった。そうこうしているうちに、模写が少しづつアトリエから無くなっていったのです」

「そいつが模写を本物だと偽って売り捌いていたということか」

「ええ、多分。それも皇国で、です。国内で贋作を売れば確実に足が付きます。画商も限られた人数ですし、絵画を扱う所はそんなに多くありません。愛好家同士の付き合いもありますから、誰かが有名絵画を購入したという話は割とすぐに広がります。でも元々皇国の人ですから、あちらで売るのは簡単だったのでしょう」


 それが、どうしてだか危険を冒して王国内でも商売をし始めた。そうしてアンの指摘から贋作売買が発覚したのだ。


「生意気な私の指摘で、結局伯父を苦しめる羽目になったのです。……陛下やロンズデール伯爵ばかりを責められません、私のせいでもあるのです……」

「違うよ、トリア。それは違う。悪いのは君じゃない、その画商だ」

「そうだ、トレイシー嬢、ジークの言う通り、違うぞ。君が指摘して発覚したのは確かだが、悪いのは君じゃない。伯父さんを騙して、贋作を作って売った画商が悪いんだ」


 そうですね、と力なく微笑んだアンは、いろいろな思いを逡巡させていた。伯父も儚くなり、きっかけとなった自分を攻め続けた、母も精神的に病み体調も崩した。しかし、そんな罪の意識からもうそろそろ自分を開放してもいいのじゃないだろうか、そう思える程の年月が経っていた。


「ヴィクトリア、もう自分を憐れむのは止めなさい」


 憐れむ、という強い言葉を敢えて遣って、エカテリーナはアンを抱き締めた。王家の人間として私が謝罪しよう、と続けた。彼女は当時のことを知らない全くの部外者だが、だからこそ気遣いがアンの心の奥底まで響き届いた。


「エカテリーナ、ジークが睨んでいるよ」


 わざと揶揄うようにエドワードが言う。


「ヴィクトリアは私のものだからな」


 エカテリーナはアンの背に回した腕を緩めることなくそう挑発するように言い放った。ジークフリードは諦観の面持ちで自分の妻を抱いている王太子妃を見遣って、溜め息を吐いた。


「……不本意ながら、妃殿下にお任せします。……殿下、遺体の正体が割れたので、次の手を考えましょう。行方不明だった男がどうして王都の郊外で死んでいたのか、しかも麻薬の割符を持っていたのか、考えなくてはなりません」

「そうだな、……」


 皆で考えを巡らせているときだった。部屋付きの侍従が客の来訪を告げた。


「セシル・トンプソン男爵令嬢がお見えです。お急ぎだそうです」

「許す。通せ」

「エドワード殿下、失礼を承知で参上いたしました、シュバルツバルト補佐官にお話があります」

「どうした? セシル」

「内密にお話ししたいのです」


 ジークフリードは眉を顰めた。こんな強引に殿下の執務室に押し掛けるようなことは普段は絶対にしないセシルが、わざわざ来たからには何かが起こったに違いないと踏んだ。


「――では私と修復室に戻りましょう。そこでお待ちしますので」


 アンは妥協案を提示した。セシルの必死な願いを瞳の中に見たのだ。


「分かった。ここでの打ち合わせが終わったらすぐ行くから、少しだけ待っていてくれ」


 エカテリーナの腕の中を離れ、アンはセシルと連れだって退出していった。

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