第34話 黒伯爵と銀の髪 18


「セシル、お茶を淹れてください」


 修復室に戻ったアンは、落ち着かないセシルに仕事を与えようとわざと言いつけた。如何にも挙動不審な目付きのセシルはだが、素直にアンに従った。


 先日王都で買い求めた特別だという茶葉を取り上げる。お湯を沸かしていつもよりも丁寧にお茶を淹れ、一つはアンの前に、一つは自分の前に置いてからソファに沈み込んだ。


「……私には話してくれないのですか? 一昨日辺りから、というかエデルの街より帰ってきてから何やら様子がおかしいように思っていましたけれど?」


 俯いていたセシルが反射的に顔を上げる。


「……、そう見えた? アンには敵わないなあ」


 カップを取り上げて香りを楽しむ。いい香り、と呟き、ゆっくりと味わった。向かいでアンもカップを取り、お茶を口に含んだ。その時、さほど時間を置かずにジークフリードが入ってきた。


「待たせた。それで? セシルいったい何だったんだ?」

「申し訳ありません、ジークフリード様。……皆さまの前で言っていいものかどうか分からず、こちらにお願いしました」

「謝らなくていい。何があった?」

「それが、……」


 セシルがいざ話し始めようとした時だった。唐突にアンがセシルを見て低い声で唸るように叫んだ。


「セシル、このお茶、飲んではいけません!」


 え?、と思う前にアンはセシルの手からカップを取り上げる。その様子を見て、ジークフリードも呆気に取られた。


「これは、――王妃様の誕生パーティーで出されたお茶と同じものですか?」

「え、そ、そう。ブレンド名が同じだから、多分、そう」

「確実に何か混ざった味がします。あの時戴いた茶葉とは違う……何かの薬草? とにかく違います」

「……私には、分からない、普通に美味しく感じるけど?」


 ジークフリードは思い出していた。エドワードが麻薬の摂取方法の説明を医官から受けていた時、その場に一緒に居たのだ。そう、紅茶と共に混ぜて飲むという方法があったではないか。煮出すよりは遥かに効力は薄まるが、飲み続けると徐々にそれなしではいられなくなると、もっと濃いものを望むようになると医官は言っていた。


「――二人共、そのまま触るな。トリア、すまないが殿下を呼んできてくれ。セシルが行くよりも君が行った方が手っ取り早い。その間にセシルと話がある」


 頷くとアンは出て行った。さて、とジークフリードはセシルと向かい合う。


「聞かせてくれ」

「――アルが帰って来ないんです」


 手を絞るように組み、不安げに視線をあちこちへと移して落ち着かない彼女を、ジークフリードは睨め付けた。


「どうして早く報告しない? こういうことは早ければ早いほど対処し易くなるのだが」

「でもっ! アルの指示でこういう時は三日間は様子を見てくれと常々言われていたので。今日は二日目ですが、今回はどうにも胸騒ぎがして仕方ないんです」


 セシルはそう言って、店の店員から渡されたアルのメモをジークフリードに差し出した。彼は、表面上の『こちらで急用が出来た。先に王都へ帰ってくれ』という文章の他にシュバルツバルト侯爵家だけで通用する印を見て取った。


「……確かに、潜入する、先に帰れ、とあるな。メイヤー伯爵の邸へ一人で行ったのか?」

「アルと別れたのは、エデルの街にある『踊る仔馬』というティールームです。そこで急にいなくなって、このメモを店員から渡されて、」

「そのティールームで何かあったか……、そう言えば以前、マイクやトリアに茶葉をお土産にと買ってきていたな、『黒馬』の紅茶だったな」

「そうです、王都に引けを取らない品揃えのお店でした。メイヤー伯爵肝煎りだと話してました」


 ここでもメイヤー伯爵の名が出てくる。三男ルーファスの気になる言動を思い出す。ヴィクトリアが襲われたとき、彼の様子は何かの薬の作用としか思えなかった。アルは、探していた銀の髪の人物を彼の領地で見かけたと言っていた。四十半ばのメイヤー伯爵は外交官としてはかなり優秀な人物だと聞いている。だが、外交官ならば、皇国や他の国に出掛けることもあるし、伝手もある筈だ。そして紅茶は主に皇国から買い入れている品だ、そう言えばパーティーで出会った黒伯爵と称される人物は、皇国出身だと誰かが噂していなかったか。何か繋がりそうで繋がらない。もどかしく思いを巡らせていると、アンがエドワード以下あの場に居た全員を引き連れて戻ってきた。


「ジーク、どうした?」

「殿下、どうやら紅茶に麻薬が混ざっているようです」


 そう言いつつ、お茶の入ったポットを差し出した。受け取ったエドワードは鼻をポットに近づける。匂いは普通に高級茶葉と思われる香り高いものだ。さて味は。


「味は、確かめないで下さいよ。トリアが言うからには間違いありません」

「――お前が言うなら信じよう。どうも惚気にしか聞こえないんだがな」


 そう苦笑しつつ、後ろに控えていた護衛騎士のクレイグにポットと茶葉の入った缶を医局へ持っていくように指示を出す。それからアンに向かって気遣う言葉を掛けた。


「大丈夫かい? 飲んだんだろう?」

「お気遣いなく。一口ですので、大して影響はないと思います。煮出した訳じゃありませんから」

「流石だね、絵画の鑑定だけでなく、舌も極めているのかな?」

「……ただ食いしん坊なだけですわ」


 間違いなく公爵令嬢としての生い立ちが関係しているとは思われるが、揶揄っている場合ではない。ジークフリードは銀の髪を振りたてた。


「殿下、お願いがあります。メイヤー伯爵に話を聞きたいので、召喚しては貰えないでしょうか。それから、うちの家の者が一人、メイヤー伯爵領で行方不明になっています。探させる許可を頂きたく」

「それは、王立騎士隊を出した方がいいか? それとも近衛騎士団か」

「いえ、我が家の私設騎士団を使います。父に頼んでセシルの父親であるトンプソン卿に出て貰います」

「――お前の家の“影”だな」

「はい、……行方不明になった者もその一員です」


 そうしてジークフリードは、アルの素性をエドワードに告げた。銀の髪の男のことも加えて話しておく。それを聞いてエドワードは苦虫を嚙み潰したような顔になった。


「皇国の公爵家の人間とはね、……万が一のことがあれば、それは国際問題に発展しかねないな」

「そこまでは、ないと思います。今本家の当代当主はまだまだ幼く、アルの父親が代理をしています。私の両親が補佐しているような状態なので、余裕はありません。ですが、……」

「身内に何かあれば、そりゃ恨まれるだろうよ」


 黙って聞いていたマイクロフトがぼそりと呟いた。それを聞いてジークフリードも口を噤んだ。


「とにかく、探らせよう。イライアス、近衛から口の堅い者を選んで何人か手勢を連れてトンプソン卿と合流してくれ。必要なら私の御印を使うと良い。それから先にメイヤーを捕まえよう。マイク、話がしたいと先触れを出してくれ」


 承知致しましたと、イライアスとマイクロフトがそれぞれの行き先に向かっていった。


「――セシル? 大丈夫かい?」


 先ほどから声を上げない様、両手で口を塞いで端で話を聞いていたセシルに、エカテリーナが労りの声を掛けた。その横でアンもセシルの背中を宥めるように擦っている。知らなかった、と呟きを落とした。


「――知りませんでした。アルが、……公爵家の人間だったなんて」

「セシル、……私も知らなかったわ」

「てっきり平民だと、あんな口のきき方だし、それに王都生まれだって言ってたのに、……お貴族様、それも高位貴族だったなんて、……しかも皇国のシュバルツバルト公爵家と言えば、私だって知ってるほどの古いお家柄で、」

「セシル、アルは直系ではないんだ。だが、本家はどうも跡継ぎに恵まれず、人が少なくて。だから継承権的に言うと、――三番目になる」

「そんな人が! どうして! 王国で“影”なんてやってるんですか?!」

「あいつは、古めかしい因習に縛られた家を嫌って、飛び出してきたんだよ。あちこち放浪していたのを、俺の父親に捕獲された訳だが」


 目をいっぱいに見開いたまま、呆然としている。かなりの衝撃を受けたらしく、ふらふらとしてアンに掴まった。慌ててエカテリーナが近寄ってソファに座らせた。


「……いつもなら、例え一人で潜入捜査しに行っても、一日もあれば戻ってきていたんです。アルは十分に鍛えているし、素手での格闘だってあんなに強いから、心配なんてしたことなかった……でも、」


 如何にも不自然なメモだけを残して一人、店を出て行くなんて、どうにも信じられなかった。一緒に潜入しようと打ち合わせていたのに。ぼそぼそとそう囁くと、顔を覆って俯いてしまった。


「セシル嬢、少し時間をくれないか。何とかすると約束しよう」


 それだけ言うと、エドワードたちは執務室に戻っていった。残されたセシルの背に腕を回してアンは寄り添い続けた。

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