第32話 黒伯爵と銀の髪 16


 ウィルフレッドは結局、夜通しヴィクトリアと話し合った末に、エドワード王太子に謁見を申し出て、父ウィンチェスター公爵から託された話をする決断をした。いつもの側近たち五人にエカテリーナ王太子妃を加えたメンバーが集められた。ジークフリードも勿論初めて耳にする内容で、ヴィクトリアの受けた心の痛みを思い居たたまれなくなった。


「大丈夫だよ、ジーク。我が妹はそんなに柔じゃないからね」


 話し終えて肩の荷が下りたのだろう、出されたお茶に口を付け、いつもの柔和な笑顔に戻って宥めるように言う。


「知りたかったことがはっきりして腑に落ちた、却ってすっきりしたと言っていたよ。また話を聞いてやってほしい」

「ウィルフレッド様、……ありがとうございます。私も漸く理解出来ました。思いも依らない真相ではありましたが、国王陛下とウィンチェスター公爵閣下のお二人が情報を隠蔽したとしたら、まず表立っては何も出来ませんね」

「そういうことだな。しかし、故人であるウォルフォード公爵の秘密を暴きたい訳じゃない。大事なのは昔の事情よりも今の事件だ。あの森の中の死体が誰かどうしても知りたい。あの頃のことを知る人物に話が聞きたい。私が陛下にお願いするとしよう」

「――殿下の温情に感謝いたします」


 そう言ってウィルフレッドは立ち上がり、エドワードに対して改めて膝を折り深く礼を取った。ジークフリードもウィルフレッドに並び立ち、同じく一礼した。


 ◆


 失礼します、と侍従の案内で王宮の奥、私的な客を迎える小さな客間に通された。そこにエドワードは先客の姿を見た。


「陛下、本日は謁見の申し込みを受けていただきありがとうございます。……シュバルツバルト侯爵、邪魔して申し訳ない」

「息子よ、そう堅苦しくしなくても良いぞ。エグムントとは他愛の無い話をしていただけだ」


 軍部の最高顧問と単なる雑談というわけではないだろう。ジークフリードの父であるシュバルツバルト侯爵エグムントは、王の盾と呼ばわれた傑物で、国王セオドリックの信頼も厚い。だからこそ、エドワードの訪問理由を予知してわざわざ呼び寄せたのだと思えた。


「エドワード殿下、うちの愚息は、ジークフリードは役に立っておりますでしょうか」

「勿論だよ、ジークがいないと私はたちまち書類に埋もれてしまうことになる」

「はっはっはっ、役に立っているなら結構結構。どんどん使ってやってください」


 周囲に大いに期待されていた騎士職を蹴って文官になったのだから遠慮無くこき使えと言って笑った。なかなかの上機嫌だ。隣で国王のセオドリックも笑っている。


「それで? ――要件は何かな」

「宰相のエグルストンから報告が上がっているでしょうからでご存じでしょう、ずばり単刀直入に申し上げます」


 息を大きく吸い込んで腹に力を込めた。そうして、十年前の贋作茶会のことを知りたいのだと率直に述べた。案の定、二人共が眉を顰めて怪訝な顔をする。


「騎士隊に残っていた報告書は読みました。だがあれは不完全だ。父上がウィンチェスター公爵と細工をしたんですね」

「――ウィルフレッドに話を聞いたのか?」

「はい。話してくれました」

「そうか、バレたか」


 セオドリックは悪びれずにはっきりと肯定した。


「十年前は、――いや、今でもだが、同性同士の恋愛は歓迎されるものではない。ましてやローレンスは王族で私の叔父だ。これは立派な王家の醜聞だったから、公表させる訳にはいかなかったのだ。分かってくれるか」


 だから騎士隊の不完全な捜査資料だけを残して、王の側近の取った詳しい調書は隠蔽したのだと明言した。


 ローレンス・ウォルフォード公爵のアトリエは、男性同士の同性愛の温床だと話が広がるのを王家として恐れた。あながち全くの嘘ではなかったから、理由を付けてでも、贋作の仲介をしていたという罪を捏造してでも、閉鎖させなければならないと当時はそれしかないと思い込んだ。


「その決断のお陰で王家の体面は守られたが、叔父を亡くしてしまった。……私の大いなる罪だ」


 セオドリックは項垂れた。それは国民の目には決して晒してはならない姿だった。陛下、と侯爵が優しく声を掛け、宥めるように肩に手を乗せた。それを見て、父も苦悩したのだとエドワードは理解した。


「――長く内戦の影響を引き摺っていたのが漸く、明るい未来を熱望できる時代が来たと、その象徴として芸術文化面を発展させようと考えたのだ」


 そして、自らの文化財保護や芸術支援政策の一環で、絵画に代表される芸術品を購入するのが流行になっていた。そこに起きた贋作事件だった。自分が贋作を掴まされたかもしれないという不安、誰が贋作を購入したのかという疑心暗鬼で、皆して社交界で探り合いをしていた。全てをつまびらかにするのは、貴族たちの体面を傷つけてしまい、そのことがきっかけで王家への反発の恐れがあったから、どうにも憚られたのだと言った。二代前の内戦後のごたごたが漸く落ち着いてきて、経済的な発展の途中にあったあの頃。軍備増強ではなく平和的な芸術文化の面での底上げを期待し、自分の施策を成功させたいという思いも強くあったからこそ、真実を誤魔化しぼやかしたのだと。


 そうまでして守ったものが、十年を過ぎて成功したかと言えば上手く行ったとは手放しで喜べないのが現実だ。もう少し何とか引き上げたい気持ちもある。その思いは本物だが。


「そう思い通りには上手く行かないものだ」


 上からでは駄目だろう、こういうものは広く行き渡らせて、裾野を広げる必要がある。日ごろエカテリーナやアンの主張する、貴族のみならず平民への教育の重要性をエドワードは思う。


「エドワードよ、私の代だけでは無理なのだ。後はお前に託したぞ」

「父上、そういうお話は早いですよ。まだ退位する気はありませんよね? 私もまだ気楽な王太子で居たいですから」

「まあ、そうだな。もう少しやらせてくれると有難い」


 そう言って、セオドリックは一人の側近の名前を告げた。筆頭秘書官のコリン・ロンズデール伯爵、ウォルフォード公爵の調書を直接取った人物だと言う。


「分かりました、ありがとうございます、父上」

「コリンにも話を通しておく。いつでも話を聞きに行くと良い」

「感謝します。……ところで、父上の叔母上様、ヴィクトリア嬢の母上であるウィンチェスター公爵夫人は、このことをご存じなのですか」

「いや、知らない筈だ。……叔父上が自害されてからそのことを聞いての落ち込みようが激しくて、話す処ではなかった。私との話し合いで納得ずくで隠蔽したものの、ジャイルズは、ウィンチェスター公爵は粛々と引継ぎを済ませて早々に公職から退いた。あれは静かに、……憤っていたのだと思う」


 まだまだ働き盛りな年齢だった筈の公爵が、嫡男ウィルフレッドに王都を任せてさっさと領地に引っ込んでしまったのはこの為か、とエドワードは納得した。単に夫人の体調を慮ってと言う訳ではなかったのだと。


「父上、私も別に全てを明らかにしようとは思っていません。ただ贋作茶会の関係者が絡む事件の内容を知りたいだけなのです。どうかご理解下さい」

「分かっている、お前を信頼しているよ」

「しかし、いつかはローレンス・ウォルフォード公爵の無実を明らかにした方がよろしいのではないでしょうか。せめて機会を作って話し合いの場を持たれては」

「そうだな、……墓場まで持っていくには重過ぎるからな、そうしよう」


 肩の荷を少しだけ下ろせた安堵からか、息を大きく吐いて息子を見つめて弱々しく笑みを浮かべた。それは国王としてではなく、弱みを見せた父親のものだった。セオドリック自身も自覚があるから苦しんでいる。それは為政者として必要なことだったかもしれないが、心に刺さった棘でもあった筈だ。エドワードも王太子としての相応の覚悟を求められた思いがした。


「話は変わりますが、――このビラはご存じですか?」


 エドワードは、先日城下に撒かれた、今の王家は髪の色が相応しくないというとんでもない内容のビラを、セオドリックに手渡した。横から侯爵も覗き込んでいる。上半分に扇情的なメッセージが、下半分には絵画を映していた。廃墟となった城を背景に、銀の髪色を持つヒーロー然とした人物が剣を捧げ持ち女神を崇め讃えている。


「はっ、馬鹿々々しいですな。髪の色で国を治められるのならこの上なく楽ですがね」


 侯爵は息子ジークフリードと同じことを言って顔を顰めた。


「私の髪は、銀髪だった父ではなく、母所縁のものだ。王妃のベアトリクスは金髪だが、エドワードには私の髪色が作用したようだな」

「だからと言って、別に悲しんでる訳じゃありませんよ。父上寄りのこの蜂蜜色は平和の象徴だと思っていますからね。ただ、この手の輩にしてみれば、侯爵とジークのような銀髪でないと王族とは認められないのでしょう。このビラの絵のような人物が理想的な王だと言いたいのかもしれません」

「この絵は、どこかで見たような気がするな」

「歴史書の挿絵になってますよ。ジークの奥方によると、我が王家初代国王の絵姿らしいです。二百年前ほど前に描かれたもので、ここ王宮に飾ってあったそうです。内戦のごたごたのうちに何処かへ持っていかれたらしく、今は所在不明なのだとか」

「ヴィクトリアは自慢の嫁です」


 普段はあまり表情を変えない侯爵が頬を緩めて嬉しそうな顔をする。


「彼女の優秀さは重々分かってますよ。一目見てすらすら答えるんだから大したものです。このビラを作った人物は実際にこの絵を見たんですかね? 何人か捕まえて尋問しますか?」

「それには及ばぬ。取るに足らん下らぬ主張だ。……だがいつ何時、狂信的な思いに繋がるかもしれん。西隣の国にきな臭い動きもあるからな。一応様子を見ておく必要があるだろう。エグルストンに言って手入れさせておこう」

「私が承りましょう。忙しい宰相の手を煩わせることではありません」

「そうか、頼んだぞ」


 シュバルツバルト侯爵は、王家の色である銀の髪をさらりと振って、二人に礼を取った。


 ――――――――――――――――――

 ◇ビラの絵は、先日観に行ったターナーのイメージです。

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