第31話 黒伯爵と銀の髪 15


 セシルは先日買い求めた紅茶の茶葉を修復室の中身の無くなった缶に詰め替えていた。どうやって作っているのか透かしの入った美しい紙に包まれたそれを開くと、それだけでもふわりと高貴な香りがする。本当に上等なものだと感心していた。同時に自分相手に微笑む黒伯爵を思い出していた。何故だろう、自惚れでないとしたら、あの人は私の瞳を覗き込むように真っ直ぐに見つめてくる。あんなことをされると勘違いしてしまうではないか。というよりも、もうすっかり心を奪われている。あの人のことは何も知らないに等しいのに。


「――セシル、お前、大丈夫か?」


 今日も修復室に入り浸るアルが声を投げ掛けた。彼女は見るからに動きが止まってぼんやりしている時間が増えている。一緒に買い物に出掛けてから、益々酷くなったように思う。リチャードに一応報告をしたのだが、免疫ないからなぁ、と頭を抱えていた。そういうリチャード本人だって女性関係には奥手で免疫がないのだが。これではヴィクトリアの護衛として役に立たない、補助的に自分も護衛に就くと無理矢理のように理由を付けて申し出た。セシルの気持ちが何処を向いているか、気が気ではなかったのだ。自身の思いに気付かないふりをするのはもう限界だった。大丈夫じゃないのはアルも一緒だった。


 実家を飛び出してからのアルは、皇国を出て暫くは諸国を旅していたが、王国へ入国してすぐ、待ち構えていた実父の従兄であるシュバルツバルト侯爵に捕まった。その時から主に面倒を見てくれたのはセシルとリチャードの父トンプソン男爵だ。母を薬物中毒で亡くし、父や家に嫌気が差していたアルブレヒト・フォン・シュバルツバルトは、アル・ブレンナーとして王国で生きていくことを受け入れた。公爵家の人間としてではなくただのアルとして見て欲しかったので、トンプソン男爵家には出自について話してはいない。当然セシルも知らないことだ。


 慕う黒伯爵が実は皇国のシュバルツバルト本家の血を引いているらしいと分かった時、彼女はどう思うだろうか。アルも同じく、シュバルツバルト家の人間だと分かったら。分家とはいえ公爵令息であるアルブレヒトを受け入れて貰えるだろうか。……男爵令嬢に過ぎない、それも孤児だったセシルは、きっと拒絶反応を起こすに違いない。爵位なんぞで人間の価値を諮られて堪るものか。そう思うのだが、生まれついてからの価値観を簡単には覆せない、それは重々承知だ。彼自身も囚われているのだから。実家への思いをすっぱりとは切り捨てられない自分が何よりの証拠だ。


 二人して物思いに耽り、時間が過ぎていく。お湯を沸かしてお茶を淹れたセシルが、アルの元へとカップを持ってきた。


「ねえ。……自分で気付いてないかもだけど、アルも何だかおかしいよ」


 人のことばかり心配しないで自分のことも労わってね、とセシルもソファに座った。


「……そうか? 任務のことを考えていたからかな。今度は何とかメイヤー伯領地の邸宅に潜り込みたいんだ。変装でもしてさ、……お前も来るか?」

「そうね、前は中途半端になっちゃったからね、……アンの予定を確認して日にちを決めてもいいなら」

「ああ、よろしく頼む。女連れの方が何かと便利なこともあるからな。お前だと自分のことは自分で守れるし」

「えへへ。アルってば珍しいね。褒めてんの? 嬉しいな」

「便利だって言ったんだよっ! 勝手に良いように解釈するな」


 他愛の無い軽口の叩き合いが、酷く空虚なものに思えた。アルはくっきりと自分の気持ちを自覚した。セシルが好きだ、と。


 ◆ 


 前と同じく馬で、今度はシュバルツバルト家の馬だが、駆けて昼過ぎにはエデルの街に辿り着いた。セシルとアルの二人は、普段着でラフな恰好をしている。設定は駆け出し商人の新婚夫婦、なのでお揃いのスカーフを首に巻いている。演技だからと言いつつアルの左腕をセシルが取って、わざとらしくべったりとくっついていた。


「アルってば、何照れてんのよ?」

「……ちょっと、近過ぎる。もう少し離れろよ」

「何よ、設定は新婚だって決めたの、アルじゃん」

「……お前の、思ったよりも大きいな、当たってるんだよ、胸……」

「……っ! やーねっ、やらしー!」

「あのな、、、」


 文句を言い合うそんな様子も端から見ていると、立派な新婚夫婦のそれに見えているようだ。すれ違う街の人たちの生暖かい視線を受けながら、ゆっくりと歩いてメイヤー伯の邸宅へと向かった。それはかなり立派な建物で頑丈な石造りの典型的な辺境にある要塞に見えた。古くはここの領地を治めた領主のものだという。グリーンヒル王国は、いくつかの領地の寄せ集まりを、一つの王家が支配している形を取っているが、昔はそれぞれに領主がいてこうした城を構えていたその名残だと思われた。


 塀に沿って中を伺いながら歩いていると、やがて大きな門に行き当たった。アルが前に来た時と同じ、しっかりと武装した門番が二人、両脇に控えている。中にも巡回しているような動きをする騎士の姿もある。穏やかな街に反して少々物々しい感じを受けた。


「ふうん、ちょっと厄介な感じだね」

「だろ? ――とにかく作戦会議だ、腹ごしらえしようぜ」


 ぐるりと回ってから前回も利用したティールーム『踊る仔馬』へと入った。


「やっぱりこのお店、品揃えが凄いよ」

「あのラベル、前に王都で買ったものと同じなのか?」

「そうだよ。王都のお店よりも種類が多い」


 とりあえず何か食べようと、適当な軽食を注文した。さっそくお茶が出てきたが、渋みが少なくあっさりとして食事に合う味わいだった。濃厚なクリームスープにパンとサラダの食事もとても美味しいものだ。このお店、王都にも出店しないかなあ、とセシルは本気で願った。


 食事が終わり、持ち帰り用の茶葉を頼む。


「では、ご注文のお品をお包みしますので、そのままお待ちくださいね」


 柔らかな声色で以前も接客してくれた女性が微笑んだ。その間にちょっと小用、と言ってアルが立ち上がった。


 セシルは一人で残りのお茶を口に含んだ。この『黒馬』ラベルのお茶は、冷めても美味しいと思う。確かに普段使いには少しばかりお高いが、貴族ならばまず遠慮無く買えるお値段である。紅茶の茶葉は、王国では生産出来ず、基本的には全量南方の国からの輸入品だ。それが皇国へ運ばれて紅茶に加工されブレンドされたものがこうして王国へと運ばれてくるのだ。最近皇国では、珈琲という黒くて苦い液体の嗜好品が流行り始めているらしいが、王国ではまだまだだ。そのうちにこちらへも流行が届くだろう、だがセシルは紅茶が好きだった。


 さて、アルとはこのまま商人のフリをしてメイヤー邸に何かを売り込みに行ってみようか、そんな話になっていたが、ちょっと通用し無さそうだなと心許なく思っていた。他にもいろいろ考えを巡らせているうちに、そこそこ時間が経っているのに気付いた。何処まで行ったのか、もしや一人で乗り込んだのか。不安に駆られ、立ち上がってカウンターへと向かった。


「すみません、私の連れが何処へ行ったかご存じないですか? 化粧室だと思っていたのですけど」

「……そう、ですね、私に場所を確かめておられたので、……ちょっと見てまいりましょう」


 カウンターで待機していた女性の店員が奥へと入っていった。暫くして帰ってきた店員は、セシルに小さなメモを差し出した。


「どうやら急にご用事が出来たとのことで、奥の扉から出て行かれたそうです。お客様にはこれをお渡して欲しいと」


 セシルは店員からその紙を受け取り、開いて書いてあるものを読んだ。


『こちらで急用が出来た。先に王都へ帰ってくれ。 アル』


 何でもない文章だが、セシルは穴の開くほどじっと見てから顔を上げ、会計をお願いしますと財布を取り出した。先ほどの軽食代とお土産の茶葉の会計を済ますと、もしも店に連れが寄ることがあればメモを見てすぐに帰ったと伝えてくれと伝言を残して店を出た。


 見送りをされている間は、にこやかに手を振ったりしていたが、見えない位置に来ると彼女の顔は一転険しいものになった。そうして再びアルの残したメモを広げてため息をついた。

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