第30話 黒伯爵と銀の髪 14
◇同性愛を忌避する表現が出てきます。
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「とうとうその話が出たんだね。実のところいつ来るかと恐れていたんだよ」
ジークフリードから殿下たちの会合の内容を聞いたヴィクトリア・アンが、実家のウィンチェスター公爵家タウンハウスで兄のウィルフレッドを問い質すと、眉を下げてふわりと笑って驚くようなことを話し始めた。
「父上が公職から退いた時に私に引導を渡されてね、どうしたものかとずっと思い悩んでいたんだ。だからそちらから聞いてもらえて肩の荷が降りたようだよ、トリア」
有難いよ、何なら今から殿下の元へ話しに行くけど、などと言う兄を、ヴィクトリアは信じられない面持ちで見つめた。
「……お兄様、わたくしずっと不思議でしたの。確かに政治の中枢からは外れておりますし、社交界でも地味な存在とはいえ、我が家は筆頭公爵家です。どうしてあんな中途半端な報告書しか残っていないのか、公爵家が関わった一件ならばもっと調査をされていてもおかしくないのに、取り寄せて閲覧出来た書類は、不完全で、」
「お前の言う通りだ。父上が母上のお気持ちを考えて、亡くなった伯父のローレンス・ウォルフォード公爵のことを伏せたかったんだよ」
『贋作茶会』と後に呼ばれたあの集まり。
伯父である公爵におだてられ、得意になって生意気盛りだったヴィクトリアは、あの頃伯父の邸宅に毎日のように顔を出していた。大きな部屋に美術館の如く壁一面に飾られた有名無名のたくさんの絵画を眺め、自らも絵筆を取り、出入りしていた若手の画家たちから手解きを受けていた。伯父のアトリエには、四、五人ほどの将来有望だと伯父が推す若い画家が常時住み込みで絵を描いていた。その頃には始まっていた国王主宰のサロン展に出展するオリジナルを描く画家も居れば、勉強の一環だとして、著名な画家の作品を模写することも盛んに行われていた。
日々眺めていれば、ヴィクトリアには描いた人間のタッチが大抵分かるようになった。同じ作品を模写していても、ちょっとしたタッチの違いで印象の変わるものも多い。この絵はこの方が描いたもの、と当てて回るのも彼女にとっては楽しいお遊びだった。
邸内の図書室には公爵家の伝手を辿り、各国の高価な画集が集められていて、それを眺めるのも大好きだった。伯父の妹である母エリザベスも、嫁ぎ先のウィンチェスター家に居るよりも華やかさのある実家のウォルフォード家が居心地が良かったらしい。頻繁に訪れては、帰りなさい誤解を受けると困るからと伯父に文句を言われ続けていた。
伯父のアトリエには画家だけでなく、画商や同じく絵画鑑賞を趣味とする貴族たちも出入りしていた。貴族たちは伯父のコレクションが羨ましいと口々に褒めそやした。だからと言って伯父はコレクションを手放したりはしなかった。いつの日か、この国にも立派な美術館を造って、広く国民に芸術を啓蒙するのだという貴族的な壮大な夢を持っていたからだ。
画商は言った。若手画家の描いた模写を売ってはどうかと。しかしそれには首を縦には振らなかった。妙に高潔なところがある伯父は、これは修行なのだから売り物ではないと頑なに拒否をした。こと芸術のことになると融通の利かない一面を見せたのだ。
しかし画商は諦めなかった。一人の若手画家を誑かして模写を手に入れ、高値で売り捌こうとしたのだ。たらし込みには自分の右腕ともいえる男を使った。右腕の男は女には興味がなく、若手画家も同じく同好の士であったらしい。すっかりたらし込まれ絆されて、画家は伯父には内緒で自分の描いた模写を何点も右腕の男に渡した。その絵に時代相応に経年劣化を装う加工を施して、皇国へと持ち込んで貴族だった奥方の伝手を使い、一枚二枚と慎重に月日をおいて売り捌いた。
成功にほくそ笑んだ画商は、どうしても買いたいと強く迫った王国の貴族に、試しに一枚売ってみることにした。伯父の邸でどの絵が好みか物色してもらい、画家には模写を描かせ、加工をしてこちらが本物だと偽り売りつけた。本物かどうかなんてどうせ誰にも分からない。なかなかいい商売じゃないかと気を良くして、それ以降王国でも少しずつ版図を広げていく。
気を良くした画商は画廊経営だけでなく、元々持っていた商会の扱う品物を手広くし、皇国と王国を頻繁に行き来して様々なものを売り、身代を大きくしていった。高位貴族の籍を持っていた美しい奥方も見目の良い息子も、着飾ってイメージ作りに一役買った。
すっかり気が緩んでいた画商は、ある日突然積み上げたものを崩れ落とされることになる。
そして後に『贋作茶会』と呼ばれる絵画品評会が、王国のシュバルツバルト家で開かれた。
画商はたまたま参加していなかった。ヴィクトリアが貴族の一人が持っていた絵画を贋作だと看破してしまい、慌てふためいた伯父がすっかり挙動不審になって、騙して贋作を仲介したとして捕らえられてしまった。次いでその贋作を作っていたと思しきアトリエも解体、画商も勿論拘束された。
ウォルフォード公爵は、ヴィクトリアが指摘した絵画が、自分の一番のお気に入りだった青年が描いたものだということにショックを受けていたのだ。高位貴族ながら独身を貫いていたのは、女性を受け付けなかったからで、アトリエに出入りしていた者たちは、趣向を同じくする者たちが集う場でもあった。だからこそ妹のエリザベスを伯父は邪険に扱っていた。ヴィクトリアだけはまだ子どもで、伯父に才能を愛されていたので許容されていたが、平穏に月日が経ったとしたら、少女から女性へと変化していく年頃には追い出されていただろう。
勝手に模写を横流ししていたということ、自分以外の男と情を交わしていたことの二重の裏切りに公爵は苦しめられた。加えて家族である王家の冷たい対応にも苦悩した。そして雪の舞う日に命を絶ってしまった。
「――つまり、伯父様が亡くなられたのは、裏切られたから、でしょうか」
「ちょっと違うな、トリア。結局のところ、伯父は繊細な方だったんだと思うよ」
性志向に関しては責められるべきことではないと思うが、普通は高位貴族として結婚は避けて通れるものではない。いつ自分の気持ちに気付いたのだろう、そのことで家族との軋轢を生んでなかったか。きっと苦しんでいただろう大好きだった伯父にヴィクトリアは思いを馳せた。
「今のお話だと、伯父様は贋作作りには関わっていなかったということになりますね」
「そう。その通りだ。だが、あの時捜査を担当した者は信じなかった。アトリエに出入りしていた画商も画家も関わっていて、伯父だけが知らないなんてことはないだろうと思われたのだろうね。それに、」
ウィルフレッドは妹から目線を逸らして、大きく息を吐いた。
「男性関係を、公にしたくなかったんだよ、父上は。母上はそれを知って精神的に参ってしまったからね。トリアも知っている通りだ」
そこら辺りを説明しようとすると、男性同士の痴情のもつれということになる。王族に繋がる家系としては、醜聞もいいところだ。尋問は国王の側近が行い、詳しい報告書も書かれたが、それはそのまま当時の公文書庁長官が隠匿すると決断し、自ら公文書館の機密文書扱いにして奥へと仕舞い込んだ。つまりヴィクトリアとウィルフレッドの父であるウィンチェスター公爵の仕業ということになる。
「でも、他にもたくさんの方が出入りしていましたよ。わたくしが知る限りでも、アトリエにはいつも五人ほど修行されてる画家や、時折開かれたお茶会にも多くの貴族の方や、外国の方も、他には平民でも商人や、、、」
全員が全員、男色家とは言えないだろうが。彼女は勿論そんな場面に遭遇したことはない。
「今思うと、あのお邸に女性はいませんでした。わたくしと母上様だけだった。使用人も皆男性だけでしたわ」
「そう言うことだね。それに関わっていた人物も大っぴらにされると困っただろうから、口を噤むしかなかっただろうしね」
この国では同性同士の恋愛は、まだまだ社会的には認められずに忌諱される。こっそりやるなら大目に見るが公にはしたくないというのが本音だ。それは貴族だろうが平民だろうが同じだった。
「――陛下もご存じということですね。陛下の側近の方々も勿論ご存じな訳で、……宰相閣下は、……十年前はエグルストン閣下の前任者ですから知らない?」
「父上が完全な報告書を隠匿したのは陛下もご承知のことなんだ。だから今更この話題は歓迎されない。今二十六歳のエドワード殿下は勿論ご存じないことだ」
「そうですわね。蒸し返すのは差し障りがあるかもしれません。わたくしとてそんな事態になってほしくはないですし。……ジークフリード様が仰るには、先日郊外の森の中で見つかった遺体の面通しをしたいようなのです。大事なのは遺体が誰かということです。十年前に直接関わったどなたかに頼めないかしら。殿下の依頼ということでしたら大丈夫なのでは」
「というより殿下が陛下にお願いするのが一番早いね。尋問は側近の方が行ったのだから、ね」
ローレンス伯父は国王陛下の叔父にあたる。願いを聞き届けて下さるかどうか、ヴィクトリアは心許なく思い、気が重くなった。決めるのは彼女ではなく、捜査を担当されている殿下だ。何処まで説明したものか、兄に説明を頼んだ方が良いか、悩みに悩み始めた。とにかく今夜は兄ととことん話をしようと思った。
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