第25話 黒伯爵と銀の髪 09


 素晴らしい演奏を披露した楽団員に惜しみない拍手が贈られた。王妃の為のサロンコンサートは大成功だ。入れ替わってストリングスの優雅な調べが流れ始める。この後、茶会の用意が整うまでそれぞれ歓談の時間となる。


 今日はウィンチェスター公爵令嬢として参加しているヴィクトリア・アンは、兄のエスコートで入場するなりたくさんの人に取り囲まれてのっけからうんざりしていた。話題の中心は勿論、シュバルツバルト政務補佐官との婚約が本当なのかどうか、だ。社交嫌いで通っていて、こうした催しに滅多に参加しない公爵令嬢が珍しく出てきたとあって、手ぐすね引いて待っていた人たちが大勢いたのだ。


 婚約は本当ですわ、と言いつつ社交用の笑顔を貼り付けたまま、他の質問ははぐらかし、適当な相槌を打った。片割れの筈のジークフリードはというと素知らぬ顔で王太子殿下の後ろに控えている。一緒にいてくれるとこうして突撃されないんじゃないか、一人だからみんなが寄ってくるのではないのか。内心ヴィクトリアは苛立っていたが、珍しくも助けてくれる様子もない。今日は別の任務を抱えているのだろうか。まあ、ダンスが無いだけマシであると思いたい。


 仕事がありますので、と寄ってくる面々にやんわりお断りしてから、回廊に出る。伯父のところにあった絵画三十点ほどを壁一列に展示してある。ホール入り口に近い一等地には先日修復を終わらせたばかりのスコイエの絵画と修復作業の説明などを記したパネルを展示していた。その横に立って説明員宜しくヴィクトリアは待機した。


「なかなか見事だね」


 遅れてホールから出てきた兄ウィルフレッドが声を掛けてきた。褒められたと嬉しく思い、ヴィクトリアが修復の手順などを話し始めようとすると、そうじゃなくて、とやんわり遮られる。


「お前のその仮面の見事な被りようがだ」と苦笑した。「寄ってくる人たちのあしらい方に感心したんだよ。まあウィンチェスター公爵家としてこうした場に出るのは今日が最後かな?」

「最後だなんて、もう少しちゃんと参加しますから淋しいこと言わないで下さいまし」

「だって、もう結婚したのも同然だし、本当はジークフリードと一緒に来れば良かったんだよ、シュバルツバルト侯爵令息夫人として」

「兄さま、、、」

「僕は喜んでいるよヴィクトリア。長いこと辛い思いもしただろう? お前が幸せになってくれたらそれでいい。ジークフリードも信頼に足る人物だしね」


 温かい言葉に涙が滲みそうになったのを寸前で堪えた。きっとこういう話をする間もなくシュバルツバルト家に入ってしまったので、今日伝えてくれているのだということが分かる。賑やかしいホールと違って静かな回廊が途端に優しさに満ちた空気に包まれた。


 ヴィクトリアが兄と二人穏やかに話をしていると、何人かの貴族男性がホールから出てきて、飾られた絵画を食い入るように見つめている。これは何としたことだ、まさかこんな、などと不穏な言葉が聞こえてきた。


「……これはどう見ても、うちの城に飾ってある絵に見えるんだが」

「貴殿もそうか? 私の邸にはこの絵があるぞ」

「我が家はあっちの絵だ。いったいどういうことなんだ」


 三十から四十代ほどの貴族たちだ、普段社交をしないヴィクトリアには誰だか見分けがつかない。


「どうなさいましたか? 貴方は確かサリーフィールド辺境伯でしたね」


 助けてくれるようにウィルフレッドが一人の男性に声を掛けた。大きく目を見開いて驚きの表情でヴィクトリアの修復した絵を呆然と見ている。仕事をしようかとヴィクトリアは前に出た。


「こちらの絵画は、スコイエという画家が描いたものでして、この度私が修復を施しました」

「そうじゃない、そうじゃなくて、……お嬢さん、この絵は本物なのか?」

「はい、王家の収蔵品のひとつで、今回このパーティーの為に、」

「いや、我が家にあるのが本物だろう?」

「いえ、こちらは正真正銘、本物のスコイエです」


 ヴィクトリアはそう言い切った。絵画を見る眼だけは自信がある。由来書や鑑定書が付いていなくてもだ。


「――お前はいったい何なんだ、偉そうに物言うでない」


 吐き捨てるようにサリーフィールド辺境伯はヴィクトリアに詰め寄った。それを聞いてウィルフレッドがヴィクトリアを庇おうとしたが、さっと制して胸を張った。


「私は王立文化研究所所属の専門技官アン・トレイシーです。この度の絵画展示をエドワード王太子殿下から任されております」


 王太子の名に怯んだのか、ぐっと喉を詰まらせて行き場のない怒りを抑えている。辺境伯を任じられているほどのお人だ、話せば分かるだろうか。一緒に出てきた男性たちがこちらの遣り取りを聞いていて、これらも本物なのかと問いかけてくる。


「こちらに展示している作品は全て、真筆です」


 ヴィクトリアはもう一度胸を張って言い切った。その勢いに困惑しきった表情を皆して見せている。


「どうしたんだい?」


 気が付くとジークフリードとクレイグを伴ったエドワード王太子が立っていた。揃って慌てて彼に礼を取る。


「ここにある絵画は王家のものだ。偽物だったら困るなあ」とエドワードはゆっくりと穏やかな口調でそう言うと、クレイグに向かった。「サリーフィールド辺境伯、アストリー子爵令息、コフィ伯爵令息、グリント男爵、それからマルサス伯爵だったかな、別室に案内して、話を聞いてくれ。詳しくな」

「かしこまりました、殿下」


 一緒に出てきた衛兵とクレイグが五人を引き連れていった。話が全く見えていないウィルフレッドはおろおろしながら、殿下これは? と問うている。にっと人好きのする笑顔を見せたエドワードが、ウィルフレッドに付いてくるようにと顎をしゃくる。


「トレイシー嬢、いや、……今日はウィンチェスター公爵令嬢、だったな? もうしばらくここに居るんだろう? ジークを置いていくから」


 そう言いおいてひらひらと後ろ手で手を振って、ウィルフレッドを引き連れてホールへと戻っていった。


「――置いていくだなんて、殿下ったら」

「あれは思い遣りというんだ、分かりにくいが」


 直前に変更されたこの展示の用意で忙しくしていた妻との時間を、碌に持ち得なかったジークフリードは、有難く王太子の好意を受け取ることにした。戸惑う彼女の隣に立ち、腰に引き寄せ眦にキスを落とす。


「……ジーク。私がここに立っているのは仕事の一環ですからね」

「今は誰もいない」

「もっとたくさんの人に見て欲しいんですけど。せっかく苦労して出してきたのに、これじゃ意味がないわ」

「とりあえず、五人釣れたじゃないか。何か分かるといいが」

「ジーク、貴方、ここに立って笑ってくれないかしら? たくさんのご令嬢方が来てくれるんじゃない?」


 そう揶揄ったのをヴィクトリアはすぐに後悔することになる。攫うように腰をぐっと引き寄せられたかと思うと、止める間もなく髪に手を差し込まれ唇を奪われた。深く長く口付けは続く。ようやく解放された頃には熱が集まり真っ赤になって顔を上げられなくなってしまった。仕方なしに隠すように彼の肩口に顔を埋める。お仕置きだ、という声が降ってきて、抱きかかえられたまま髪に何度もキスを落される。今日は男爵令嬢として参加しているセシルが呼びに来るまで、二人は寄り添い続けていた。


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 ◇作中のスコイエの風景画のイメージは、ユトリロです。

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