第24話 黒伯爵と銀の髪 08


「十日後には母上の誕生パーティーか、ヘンリーもシャーロットもいるから、私は出なくてもいいかな?」

「国挙げての祝い事だ、弟君のヘンリーも妹君のシャーロットも当然参加する。エドは王太子なんだから、参加は必須だ」


 何を当たり前なことを言うんだとエカテリーナは隣の王太子を睨め付けた。今日は王太子専用の執務室に警備担当のクレイグ・フェラー卿と絵画展示担当のアンを呼んで話し合いの予定だ。


 エカテリーナは王太子妃として、今度のパーティーの準備には深く関わっている。サロンコンサートを催した後、軽食を出してのお茶会の予定だ。昼下がりなので舞踏会とはしないつもりである。侍女たちの意見も取り入れながら、どの楽団を呼ぶか、選曲リストはどうするか、飾り付ける花の用意、食事の内容、茶葉の選定……それだけではない、高位貴族が勢ぞろいする為、警備の問題もあった。王妃の為のパーティーは考えることが多くてなかなか大変なのだ。


「各辺境伯や出入りの大手商人も参加予定になっている。皇国のカサンドラ皇女様もお見えになるぞ。ちゃんと挨拶してくれよ」


 子どもじゃないんだからそんなことまで言うなよ、とぶつぶつとエドワードは嘆いたが、彼にはいろいろ前科があるのだ。ここら辺りもエカテリーナには頭が上がらない理由だった。


「警備内容についてはこちらをご覧ください」


 護衛騎士のクレイグが書類を差し出した相手は、王太子ではなくエカテリーナだった。彼女にはお菓子の選定よりもこちらの方がよほど得意な分野なのだ。


「……近衛を五隊に分けて交代制で配置します。ここと、ここは重点的に」

「ふむ。まあいつも通りだな。……ここには要らないのか?」

「休憩室前ですね。いつもなら見回りだけで特段誰も置きませんが、」

「いや、一人でもいい、こちらにも配置しよう。後は庭だな、ちょっと手薄ではないか」

「もう少し厚くしますか。昼間なのでこの辺りでいいかと思いましたが。ではそこは見直します。その変更も考慮してもう一度シフトを組んでみます」

「頼んだよ、クレイグ。……エド、これでいいかい?」

「勿論。君の思う通りにしてくれたらいいよ」


 エドワードは目を細めて隣の頼もしい妻を見た。その時、部屋付きの侍従が取次ぎの声を掛けた。


「申し訳ありません、遅れてしまいました」


 執務室入り口で綺麗なカーテシーをきめて頭を下げているのはアンだった。彼女には回廊に飾る絵画の選定を任せてある。


「大丈夫だよ、トレイシー嬢。何点か、変更したいと言っていたな?」

「はい、リストはこちらです。これと、これを違うものに変更したくて」

「美術品に関しては君に一任してあるから自由にしていいよ」

「ありがとうございます」

「ところで、君も参加してくれるんだよね? ……公爵令嬢として」


 それを聞いてくっと目を見開き、アンは諦めたふうに王太子に向かう。


「……実家からも煩く言われておりますので、今回はウィンチェスター家の一員として参加いたします」

「君の母上様は今はご領地にいらっしゃるのだったか。お元気でお過ごしかい?」

「はい、今は体調も良く、父と共にご機嫌でゆったりと田舎暮らしを満喫しているようです」

「そう、なんだね。安心したよ。我が母も気にされていたから」

「お気に掛けていただき恐縮です」

「君は我が母のお気に入りだからね、きっと会えるのを楽しみにしている筈だ。それで、エスコートは勿論ジークかな?」

「いいえ、ジークフリード様は、殿下のお側にと申しておりましたけれど」

「えー、私はそんな命令を出していないけどな……」

「ですから今回は、兄のエスコートで参加します。兄嫁のメイベル様は今お腹が大きいので、今回は参加を見送るんだそうです」


 なるほど、近く結婚して家を出ることになるアンに配慮したらしい、とエドワードは気が付いた。義兄に花を持たせた形だ。


「ああ、あの祐筆の兄上だな。今回の招待状も素晴らしく美麗な筆致で書いてくれたよ」


 アンの実家ウィンチェスター家は代々、王立図書館の管理や古文書、公文書などを扱う職に就いている。政治的な権力からは遠いが、機密文書なども扱うので王家からの信頼がないと成り立たない仕事である。父公爵は今は公的な職にはついていないが、アンの兄ウィルフレッドは王家の祐筆として絶大な信頼を得て活躍中なのだ。


「自慢の兄です」


 アンはにっこり笑った。古今東西の古典に精通し、母譲りの美的感覚を活かして様々な書体をあやつるウィルフレッドは、なかなか重宝されている。おっとり穏やかな兄が大好きなアンは、褒められて嬉しく思った。


「――それで、本題だ、……持ってきてくれたか?」

「はい、ここに」


 アンは持ってきた包みを広げ、一枚の小ぶりな絵画を取り出した。


「これは、八十年ほど前に描かれたスコイエという画家の小品です。こういった風景画を得意としていました。保存状態があまり良くなくて、剥落やひび割れが散見されましたので、一刻も早く直したかった作品のひとつです。研修に行って技術的なことを習得出来たので、実力試しに一番に修復しました」


 王太子と王太子妃の二人が頭を突き合わせて絵を覗き込んだ。勿論二人にも基本的な芸術の素養はあるが、アンのようにひと目見て分かるほどの眼は持ち合わせていない。


「……何処を直したのかさっぱり分からないが。これは綺麗に直っているんだろうな」

「そうだな、美しい絵にしか見えないよ」


 違和感無く直せたということだろう、褒められたのだとアンは思った。この二人に認められたのなら満足だった。


「で、これが西方辺境伯のところにあったんだな?」

「……と、いう話でした。フローデン室長が見たそうです」

「そうか、……ところでこの絵は展示しないのか? リストには入ってないな」

「外しました。始めは修復についての説明と共に展示する予定でした。でもサリーフィールド辺境伯様は王妃様の誕生パーティーにいらっしゃると聞いて外したんです。拙いでしょう、自分のところにある筈の絵が、ここにもあるなんて」

「――いや、それだ」


 エカテリーナの目がキラリと光った。口元が面白げに弧を描く。


「以前ジークから話を聞いたが、十年前だったか、君の伯父さんが所蔵していた作品はほぼ、王家に召し上げられたんだろう?」


 『贋作茶会』と呼ばれた一件のことだ。アンの母エリザベスの兄、つまり伯父にあたるローレンス・ウォルフォード公爵が、画商と結託、本物と偽り贋作を仲介したとして捕らえられた事件だ。その場にいた当時十歳だったアンは、飾られた絵をひと目で偽物だと見破り、それが引き金となって事件の発覚した。しかし、画商の元にあった筈の裏帳簿が一人の使用人と共に無くなり、確かな証拠を抑えられなかった上に、画商から絵画を購入した貴族たちは自分の面子を鑑みて、被害を申し出ることがなかった。茶会で判明したものと、茶会のホストが購入した絵画の二点のみが明るみに出ただけで、事件化したものの、そう大きな罪には問えず、ウォルフォード公爵はアトリエを解体され遠くの離宮へ軟禁、画商は罰金を課せられた後国外追放となった。そしていつしか有耶無耶になってしまったのだ。


「……ええ、その通りです。殿下に戴いた許可のおかげで当時の捜査資料を閲覧出来たのですけれど、あまり詳しいことが結局良く分からなくて。資料に添付された書類に伯父の作品リストが付いていたので、どの作品かは把握しています。作品管理は私の権限下にありますが」

「だから、それだよ! 昔贋作が露見した時、名乗り出る人間がほぼいなくて、事件として成り立たないほどだったと聞いた。要するに貴族の体面大事ってことでみんな口を噤んだんだろ? だからさ、伯父さんのところにあった絵を並べてやるんだよ。アンの見立てでは全部本物なんだろう? もしも昔贋作を売りつけられたヤツがいたら、見て驚け、だ」


 はははっとエカテリーナが笑い声を上げた。その様子を頼もし気に見遣ったエドワードもにやりとする。


「そうだな、多分この絵だけじゃなかろう。他にも贋作があったに違いない」

「時間が経ったからこそ、きっと何某かの動きがあるぞ」

「では、……出品リストは全部変更になりますね」

「悪いな、ついでに修復についての説明展示はそのままやればいい。君の功績はもっと広く評価されるべきだ」


 遠慮なく大きなため息を、アンは吐いた。全てやり直しになったのだ、ちょっとうんざりしたのと、状況が動くかもという期待を込めて、立ち上がって王太子夫妻に一礼した。

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