第19話 黒伯爵と銀の髪 03


 リチャードと別れてさほど時間を於かず、一人の男がセシルの前に現れた。フード付きの長く黒いローブを羽織っているその下はラフなシャツとパンツだ。無造作に伸ばされた黒髪を掻き揚げながら、遅いじゃないかと愚痴を垂れた。


「ごめん、アル、兄いと食事してたんだよ」

「俺はまだ食べてないんだけど?」


 もうすっかり昼は過ぎている。食べといてよ、と呟いてセシルはさっきの宿屋でおやつにしようと買っておいた焼き菓子を差し出した。


「これあげるから、勘弁して?」


 ふん、と鼻を鳴らしてセシルの手からひったくるように菓子を掴み、さっそく食べ始めた。


「立ったまま食べなくてもいいのに」

「腹減ってんだよ。すぐに出発だろ?」

「今日中に帰りたいからね。アルの馬は何処?」


 あっちと指差す方向に繋がれた栗毛が見えた。アルはあっという間に食べてしまってそちらへと向かう。セシルも馬を引きながらその後を追った。


「……で? ジークは何だって?」


 アルはジークフリードとは幼馴染みらしく、割とぞんざいな口のきき方をする。


「だから、様子を伺って来いって。王都にいると情報がさっぱり入って来ないから、見てきてくれってこと」

「ふうん、宰相閣下も知ってるの?」

「勿論、ご存じだよ」

「めんどくさ。あのままリチャードと行けばいいのにさ」

「まさか! 近衛騎士の兄いとじゃ目立ってしまうよ」

「ま、いいか。俺たちは言われたことをやればいいんだから」


 さっきセシルがリチャードに言ったこととほぼ同じことを投げやりに吐き捨てた。


 武勇に名高いシュバルツバルト侯爵家には、精鋭揃いの私設騎士団があり、アルはその一員だ。剣術は勿論のこと体術も得意な彼は、身のこなしの柔らかさで諜報活動も引き受けている。見た目は少々だらしないが、これでも接近戦では敵無しの強さだ。相手の油断を誘うのが得意で、セシルはアルと組んで任務に取り組むことが多い。


 セシルを拾ってくれた恩人はニール・トンプソン男爵といい、シュバルツバルト家に仕える騎士の一人だった。拾われるまで、手先の器用さに目を付けられスリを強要されていたセシルは、恩人の元で剣術は元より体術も叩き込まれた。辛いことも沢山あったが、それまでの飢えた暮らしとは違い、お腹いっぱいの食事やふかふかの寝床を与えてくれた顔の厳つい親父に恩返しをするつもりで懸命に頑張った。学校にも通わせてもらえて、読み書きや計算も出来るようになった。年頃になるとドレスだって用意してくれたのだ、あの厳つい顔で。上級の学校へも進学し、登用試験を受けて王宮の事務官の仕事を得て今がある。しかも丁重にお断りした筈なのに、いつの間にか養女として籍を入れられ、セシル・トンプソン男爵令嬢になった。下女として置いてもらえるだけで有難いと思っていたのに。


 リチャードはトンプソン男爵の一人息子で、いきなり五歳のセシルを連れ帰った父親に驚いたが、彼も妹が出来たとたいそう喜んだ。母は実の妹を産んだ時に亡くなり、赤ん坊も死産だった。生まれた時僅かに生えていた髪の色がセシルと同じ濃いブラウンだったから、生まれ変わりかもしれないと本気で思ったのだ。死んだ妹に与えた名前を、父親が瘦せ細った女の子にもう一度与えたとしても納得出来ることだった。


 だからセシルは二人には感謝しかない。何が何でもこの二人の為にと、命だって捧げる覚悟がある。なので汚れ仕事をも率先して引き受けてきた。セシルを拾ったトンプソン男爵は、長く騎士団の剣術指南役として仕えていたが、今はシュバルツバルト家の“影”を率いる存在だ。兄のリチャードには王宮勤めの近衛騎士として陽のあたるところで真っ当に生きて欲しいから、代わりにセシルが闇を引き受ける。そんな気概で仕事に取り組んでいる。


 馬を駆りながらちょっと思いに耽っていると、アルに木の枝で背中を小突かれた。


「ぼんやりするなよ、そろそろメイヤー伯爵の領地だ」


 緑豊かな牧草地の広がる景色が切れて、街並みが見えてきた。


 ◆ 


 メイヤー伯爵領の中心地エデルに着くとまず、厩のある所を探して暫く預けることにした。街中は人々の表情も穏やかで、市場も賑わっている。まずまず豊かな領地だと考えて良さそうだ。アルとセシルは教えられた通りを歩き、メイヤー伯爵の邸宅へと向かった。


「どうするよ? 正面突破するか?」

「ルーファスには私の面は割れてるのよね……メイヤー伯爵にも会ったことがある」

「ならお前、そこの茶店で待っとけよ。とりあえず先に様子を見てくるから」


 一緒に行くという言葉が口の端に乗る前に、アルはさっさと離れて歩いて行ってしまった。ふむ、仕方ない。セシルはぐるりと街中を見て回ることにした。


 そこここでちょっとしたものを買い求めながら話を聞いていく。どうやらご領主様は崇められているらしい、と分かる。良く統治しているのだろう、無理な要求や不当な徴収などもないそうだ。一渡り歩いてから先程アルと別れたところにある、名前を『踊る仔馬』というティールームに入った。


 なかなかの品揃えだ、王都にも引けを取らない。茶葉の入った大きな缶がずらりと並んだ店内を見て感心した。メニューを見ながらそう褒めると店の店員は嬉しそうな顔をした。


「はい。ご領主様にも後押ししていただきながら、茶葉の仕入れをしているんです。何といってもお茶はブランデンブルグ皇国産のものが最高級品でお味もいいので」


 へええ。後で茶葉を買って帰ろう。アンへのお土産にしよう、お菓子も戴いたことだしマイクロフト様にも渡そうかな。そんなことを考えつつ、お茶を戴くことにした。


 暫くすると髪をガサガサ掻きながらアルが店に入ってきた。軽食を頼むと言ってセシルの前に座る。


「どうだったの?」


 座ったものの黙ったままなので、セシルの方から質問を飛ばした。


「うん、……結論を言うと、三男はいないらしい」

「それはおかしいよ、貴族の居場所は基本分かるように届け出ないといけないのに」

「そうだな、一応男爵令嬢のお前は王都グランヒル在住だよな」

「一応は余分。アルは何処になってるの?」

「俺もだよ。王都生まれの王都育ち」

「初耳。絶対地方都市だと思ってた」

「何だよそれ。まあいい。とにかく三男はあのお邸にはいないそうだ。半年ほど前に一度帰ってきたがそれから見かけていないと、門前の護衛に聞いたぜ」


 半年ほど前と言えば、あの夜会の直後ってことだ。じゃあ何処へ行ったのか。そう言えば、とセシルが思い出したように口を開いた。


「……前にアンが絡まれてた時、西方辺境伯のサリーフィールド様に姉様が嫁いでいるらしいって話を聞いた」

「そうか、もしかしてそっちへ行かされてるのかな。王都から離れてるし。……依頼内容は、三男の今現在の様子、だよな。いないんじゃ仕方ないから今日はここらで切り上げて帰るか」


 ちょっと切り替えが早過ぎない? とセシルは目を丸くしたが、外から様子を探ってみるとかなり堅固な守りらしく、軽い気持ちで潜入すると拙いことになるから指示を仰ぐのだとアルは澄まして答えた。


「お目付け役もいないしさ、ちょっと休憩だ。ここで泊っていってもいいぞ?」

「私は戻らなきゃ。遊びじゃないんだよ? アルってばお気楽過ぎだよー」


 呆れてものも言えないとはこのことだ。


「なあセシル、抱いてやるから一泊しようぜ?」

「……っ! バ、バカッ! 何言ってんの?!」


 セシルが気色ばんで声を上げると、本気にすんなよ、とへらっと笑った。彼は時折こんな言葉をセシルに投げ掛ける。セクハラだ、主に訴えてやると、こちらも心のメモに刻んだ。

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