第18話 黒伯爵と銀の髪 02


 午前中いっぱいは、王太子妃殿下とお茶会を開く予定がある。そう言ってアンは出て行った。修復室の室長は、自らフィールド調査だと言って西方辺境伯領へ出掛けていて、あと十日間は戻って来ない、筈だ。彫刻専門の技官は最近工房に篭りっぱなしだし、もう一人の修復技官も今日明日は受け持っている講義があるからこちらへは来られないと連絡を寄こしていた。


 と言う訳でセシルは一人きりで事務仕事を片していたところ、昼前に兄リチャードが訪ねてきた。近衛騎士団第二中隊所属の筋肉自慢の兄だ、細面の文官ばかりの文化研究所などにいると目立って仕方がない。


「セシル、迎えに来た」

「もうすぐ出られるからちょっと待って」


 ささっと机の上を片して、ついでにアンの机の上の雪崩かかっている書類の山を軽く整頓した。昨夜も遅くまで書類の整理をしていたのだが、全く追いついていない。半年間の研修期間が、いろいろ皺寄せを生んでいるのだ。そこへ以ってきて室長の代理の仕事もある。気の毒だが何せ人手が足りない。もう一人くらい事務官を置いてもいいと思う。だって、可哀想にアンの本職である絵画の修復作業があまり捗っていないからだ。


 今度お茶を飲む『ついでに』イチャつきに来たら、補佐官に訴えてやろうと心のメモに書いておく。


「……ちゃんと仕事内容は理解出来ているか?」

「地図の下調べも終わってるよ、リチャードい」

「ここまできても、判然としないんじゃな……」

「薬のこと? それとも首謀者?」

「どっちもだ」


 二人で向かったのは厩舎だ。近衛騎士団の馬を管理している区画へ出向き、馬を二頭借り出した。


「兄いが乗ると、重くて馬が可哀想なんじゃない?」

「馬鹿言え、近衛の馬はそんなにやわじゃない。じゃ、行くぞ」


 はっと声を掛け、馬を走らせる。セシルも手綱を上手く手繰って兄の後をきっちりついて駆けていく。暫くして辿り着いた先は、王都の郊外にある修道院だった。なんとも冷たそうな陰気な外観だ、ここは身寄りのない病に倒れた人を収容する病院も兼ねている。


 入り口付近で草を刈っていたシスターに声を掛けた。


「こんにちは。王宮からの使いで来ました。エミリー・グラントさんに会いたいのですが」

「いらっしゃい。……エミリーさんね、今日は調子はどうかしら。話が出来ると良いのだけれど」


 アンと補佐官の研修派遣を発表した国王主催の夜会からもう半年以上が経つが、あの日何らかの薬を盛られたらしいエミリーの具合は日に日に悪くなっていた。どんな薬を使われたのか判然とせず、意識も無くなることが多くなっていると聞いている。もう今日あたりが最後の機会かもしれないと、エグルストン宰相閣下に依頼を受けて此方へ出向いたのだ。


 同じ薬を飲んだらしいもう一人ルーファス・メイヤー伯爵令息は、暫く朦朧としていたものの、十日もすると回復し、それ以降メイヤー伯領へと押し込まれている。所詮妾に産ませた三男ということか、正室から産まれた嫡男次男とはどうやら扱いが違うようだ、もう王都には出て来られないだろう。


「エミリー、久しぶりね、覚えてるかな?」


 怖がらせない様になるべく優しい声を掛けた。セシルは仲が良かったわけではないが、一応ジークフリードのファンクラブである“氷結倶楽部”の仲間ではあった。


「……だれ? あんた」

「王宮で一緒だったセシルよ、セ、シ、ル」

「おうきゅう?」

「そう、エミリーは女官として働いていたでしょう?」

「にょかん、ってなに」


 ああ、もう言葉が通じていないようだ。


「じゃあさー、補佐官、覚えてる? ジークフリード・フォン・シュバルツバルト補佐官」


 僅かに目を見開いた。反応が見える。危険性もあるがちょっと踏み込んでみるか。


「……じーく、ふりーど、さま」

「そうそう、私たち、ジークフリード様のファンクラブ作ってたでしょう? 氷結倶楽部って」

「じーくふりーど、さ、ま、」


 エミリーがいきなり座っていた椅子から立ち上がった。がん、と音を立てて椅子が倒れる。ぼうっとした視線をあちこちへ巡らせて、セシルの後ろで様子を伺いつつ立っていたリチャードをはっきりと見た。


「じーく、ふりーど、さま?」

「えっ、ちょっと、違うんだけど?」

「じーくふりーど、さま!」

「エミリー? 待って、違うのよ」


 慌てたセシルがエミリーの手を掴んだが、何処にそんな力がと思うほどの強さで振り解いてリチャードに飛び掛かった。伊達に鍛えていない、リチャードは難無くエミリーを受け止めるが、物凄い力で抱き着かれて剝がそうにも剝がれない。


「じーくふりーど、さま!」

「っちょっちょっと! ……どうしたらいい?」


 リチャードも流石に病人を手荒く扱えず目を泳がせている。セシルは困ってシスターを呼びに行った。


 興奮しきってどうにもならないエミリーは、鎮静剤の力を借りて漸く寝入った。これはもう無理ね、とセシルは独り言ちた。困惑しきった兄と共に、宰相閣下の手紙を見せて、シスターに頼み込んでエミリーの私物を確かめることにした。


「それにしても、ジークフリード様の名前には反応するなんてな、どうにもこうにも……」

「気持ち悪いってこと?」

「ちょいと気の毒かな。思えば大したこと仕出かした訳じゃないんだよな、エミリーって」

「だよね。ちょっと思い入れが激し過ぎただけで。ルーファスの奴は許せないけどね。なのにあっちは身体はもう何ともないんでしょ? そりゃ軟禁状態だって聞いてるけどさ。……エミリーは全くの捨て駒にされたんだね……」

「そうだな。お貴族様の気楽な駒扱いだ」


 そういうリチャード自身も男爵位の貴族令息である。高位貴族ではないが、気持ちは分かると自嘲する。騎士の一人として、高位貴族の方々のそれこそ虫唾の走るような行為を沢山見てきているから、感覚は庶民に近いのだ。


「もう手荷物なんて調べきってるでしょうに。今更私らが調べても……」

「そりゃ半年以上経つからな。その辺りはあの宰相閣下のことだ、抜かりはないだろうが、ここに入ってからは三ヵ月ほどか? さほど留意していなかったようだ。念の為、最近接触した者があるかとか、調べて来いってことだろうよ」


 エミリーに与えられた戸棚を探って中身を確かめていくが、取り立てて興味の引くものはない。粗末な着替えが数点、古びたブローチや装飾品がほんの何点か、家族からとみられる色の変わった古い手紙、数冊の本などしかない。唯一気になるのは女官服か。


「自分の存在理由ってやつか? 後生大事に残してたんだな」


 私なら速攻処分するのにな、と思いつつセシルは女官服を広げて目の前でかざしてみた。その時、何か軽い違和感を覚えた。じっくりと触って生地の手触りを確かめ始める。


「どうした? 気になるのか?」 

「うーん、何か違うのよね……いつも見ているのと何か……」


 そう、女官服なら毎日嫌ほど見ている筈なんだけど。―――あれっ、もしかして。


「兄い、ここ、胸の飾りボタンの数が違う!」


 そこには縦並びに割と大きめの包みボタンが付いていた。数は三つだったと思うが、この服には四つある。


「持ち帰って調べよう。ここでは止めとけ。閣下に見せてからだ」


 さっそく取り外そうとするセシルを小さな声で引き留めたリチャードは、女官服を小さく畳んで布に包んだ。一応シスターに断りを入れて外に出る。もうエミリーは治らないだろう。宰相閣下から託された少なくない寄付金を差し出すと、シスターは遠慮無く受け取って謝意を二人に伝える。考えようによってはエミリーも被害者の一人だ、金を受け取った以上はここで最期まで看取って貰えるだろう。宰相閣下のささやかな温情、とも言える。


 修道院からほど近い宿屋を見つけて遅めの昼食を取った。リチャードはこれから王城に戻って宰相に報告するという。


「セシル、お前の目的地には近衛の俺は行けない。気を付けろよ」

「分かってるって。この先でアルと合流するから大丈夫だよ」

「ジークフリード様、今回は本気で潰しにかかるつもりだな」

「それはどうかな。それは私の考えることじゃないからね、こっちは頼まれたことをこなすだけだよ」


 くれぐれも気を付けろと何度も言いながら、リチャードは馬首を王都へ反した。

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