第16話 ―― 幕間 ――
母はたいそう美しい人だった。そしてその形良く作られた唇から何度も何度も毒を吐いた。
世が世ならあなたは立派なおうちの跡継ぎだったのよ。
誇りなさい、その血脈を、その髪の色を。
母の母、つまり私の祖母は、ここグリーンヒル王国の元第三王女様だったらしい。先の内戦の折り、平定に力を貸した褒賞として皇国のシュバルツバルト家へ降嫁することになったのだ。降嫁先が何故、皇室ではなくて公爵家なのか、と高過ぎたプライドが許さなかった三女様は怒り狂った。しかもシュバルツバルト公爵家の嫡男には既に約束を交わした女性がいた。それに内戦を平定させたのは、黙って家を出て行った勝手な次男だった。いささか乱暴者で持て余し気味だった次男が、王国の第一王女様と縁付いて侯爵位を賜り、彼方に根付くことになったことには、本家の公爵家の皆は安堵さえ覚えていた。それはいい、もうどうでもいい。問題は押し付けられた格好となった三女様の処遇だった。
嫡男の許嫁は三女様を忌み嫌った。それはそうだろう、まさか王家の王女様に側室に成れとは言えない。体面を第一に考える高位貴族らしく、仕方がないので本妻の座を三女様に与えたが、嫡男が生涯愛したのは元々の許嫁だった。形ばかりの婚姻を経て初夜だけは閨を共にしたが、それきりの関係になった。幸か不幸か、その一度きりの交わりで子を成した三女様は全くの用済みとなり、別宅にて軟禁状態となった。
それでも血を分けた娘だけは可愛く思えたのか、嫡男は娘には顔を見せて、折々に贈り物をした。父公爵が亡くなり嫡男が跡目を継いだが、三女様の娘が成人した頃に、あっさりと事故で亡くなった。途端に令夫人が厄介払いだと本妻の座を乗っ取り、娘はさっさと嫁に出された。三女様も娘と共にその婚姻相手の元に身を寄せるしかなかった。豊かな財産を持っていたとはいえ、貴族でもない商人が相手だ。どれだけ恨まれていたのか、良く分かるだろう。
王家の人間であることに誇りを持っていた祖母は、娘をそれは厳しく育て上げた。そして毎日囁いたのだ、王家の誇りを忘れるな、こんなところで終わる人間ではないのだと。降り積もった呪いの言葉は、祖母から母へ、そして孫へと引き継がれ、その間にすっかり煮凝りのようにどろどろと心の中へ沈降していく。
商人に娘が嫁いだことが途轍もない侮辱だと感じていた祖母は、精神を病み同時に病気も得て、失意の中で死んでいった。娘の美しさを広告塔とし皇国の社交界へと入り込むことに成功した商人は、娘のことをいい買い物だったと悪びれもせずに言い放っていた。母を失った娘は、商人に大事にされてはいたが、商人の悪意のない言い草と、祖母に植え付けられた呪いが徐々に心を蝕んでいく。
私が十六歳になった頃、商人の父親が贋作売買の罪で捕らえられた。父の庇護を失い、正気で無くなった母を抱えた私は、途方に暮れた。自分の身一つなら何とか生きていける。だが母をどうしたらいいのだろう。その頃、父の事業の一つであった画廊で出会った初老の貴族様に気に入られ、共に皇都を離れ王国へと渡る決意をする。王国の伯爵位にあった初老の貴族様は、まずまず豊かな領地をお持ちだったが、後継となる者の存在が無く、お前を気に入ったのだと養子に据えて下さった。学問を授け貴族としての振舞い方を指南して戴き、時折伯爵の気まぐれな振舞いに嫌悪したが、それ以外は思いもかけず穏やかな日々で、母の状態も落ち着いていて、このまま続けばどんなにか人生は豊かになるだろうかと、夢見心地な気分だった。それはやはり夢だったのかもしれない。
父の片腕だった男が突然訪ねてきたことから、穏やかな日々が崩れ始めた。祖母、母二代に渡った呪いがここに来て一気に毒と化したのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます