第9話 溢れ出でる
お手本のような完璧なエスコートをこなしている隣の佳人を時折盗み見る。
会場に到着し先に彼が馬車から降りた途端、何人ものご令嬢が湧いて出てきた。馬車に付いている紋章をチェックしていたらしい。口々に、今夜のお相手を、などと明らかな秋波を送っている。なかなかのチャレンジャーだなと変に感心していると、令嬢方をまるで無視して馬車の中の私に手を差し伸べた。
「お嬢様、どうぞお手を」
「ありがとう」
馬車の中で話し合ったことを反芻する。
普段は夜会に出席しても、擦り寄ってくる令嬢方には、王太子殿下の側近としての仕事があるからと断りを入れるらしい。今回はその言い訳が使えないから、私に『風除け』をしてもらいたいとのことだった。夜会は政治の世界でもあり、男女の駆け引きの場でもある。男性からのお誘いは勘弁してほしい私とて同じ気持ちだから、お互いにメリットがある。
共通の利害の為、と彼の手を取った。手袋の上からでも分かる文官らしからぬしっかりした大きな手だった。彼を遠巻きに見つめている令嬢方から黄色い声が上がる。怒りの混じった声も聞こえてくる。眼鏡のない私は、本当に正体がバレていないようだ。少し、いやけっこう楽しくなってきた。
「打ち合わせ通りによろしく頼むよ」
そう彼が耳元に口を寄せて小さな声で囁いた。見ようによってはキスしたように思われたかもしれない。案の定、其処ここで悲鳴が上がっている。
「ええ、……ジークフリード様」
私もわざとらしく彼を見つめ、にっこりと微笑んでみせた。
これも打ち合わせ通り、名前で呼ぶこと。
『補佐官と呼ぶのは止めてくれ、ジークでいい』彼はそう言ったが、流石に愛称呼びは無理があると断った。譲歩しよう、そう言いつつ、これは預かると眼鏡を剥ぎ取られてしまった。
普段どれだけ誘っても靡かないシュバルツバルト補佐官が女性を連れているという話はあっという間に広がり、ホールの入り口に立った時からもう注目の的だった。いつもの顔触れである氷結倶楽部の方々の視線が突き刺さるように飛んでくる。素知らぬ顔で引き攣らない様に、社交用の笑顔を貼り付けて背筋を正す。美しい侯爵令息に相応しくあるように。
一方で私は素顔を晒しているせいで、いつもの壁の花の地味な公爵令嬢だとバレないだろうかと内心びくびくしていた。見た目にも緊張していたように見えたのか、彼の腕に預けている私の右手をあやす様に優しく叩く。
「大丈夫だ、緊張しなくてもいい」
彼はこちらを見つめる目元を優しく和ませた。あちこちから飛んでくる嫉妬と羨望の眼差しの中で、今夜の私こそ大いなる勘違いを起こしてしまいそうだと思った。昔の優しい憧れの婚約者殿を思い起こさせる、今の彼の態度や仕草は、基本は変わっていないのだと胸が温かくなった。
先触れの声が響き渡る。王家のやんごとなき方々の入場で、会場の雰囲気はぴりっと引き締まった。夜会の始まりを告げる国王陛下の挨拶が終わると、エグルストン宰相閣下が壇上で声を張り上げた。
「では、今期の国費研修生を発表しよう。宰相室付き政務補佐官ジークフリード・フォン・シュバルツバルト、王立文化研究所所属専門技官アン・トレイシー、両名が今期の研修生だ、祝福の拍手をお願いしたい」
大きな拍手が沸き起こる中、私は補佐官にエスコートされた状態で宰相閣下の隣に並んだ。大抵は賞賛の拍手だったが、中には、あれは誰だ? とこちらを訝し気に見上げている者も多い。そうだった、眼鏡だと思い出し、補佐官から返して貰ってさっそく顔にかけた。途端、拍手よりも騒めきが起きた。
宰相閣下はつらつらと補佐官や私の選考過程や合格理由を述べているが聞いている人はほとんどいない。それよりも私の顔をまじまじと見て、次いで補佐官を見ているように思えた。宰相閣下の挨拶が終わり、二人で深々とお辞儀をする。音楽が奏でられる中、そのまま国王陛下の前に進み、御礼を申し上げる。
「お前たちの不断の努力が実った結果だ、誇るが良い。国の為にしっかりと彼の国で勉学に励むように」
次いで王太子殿下夫妻の前に出た。にやにやと顔を緩めたエドワード殿下が面白そうにこちらを見ている。後ろに控える護衛騎士や他の政務補佐官、秘書官たちも口元を手で隠して何やら笑いを堪えているようだった。
「ジーク、ちょっと早まったがおめでとう。私も側近がこうして選ばれるのは誇らしく思うよ」
「有難きお言葉にて」
「トレイシー子爵令嬢もおめでとう。我が妃エカテリーナも鼻が高いだろう。これからも仲良くしてやってくれ」
勿論でございます、と謝意を表すカーテシーを行った。すると殿下は私を上から下まで舐めるように見てから、自分の補佐官に向けて呆れたような顔をした。
「しかし、そのドレス、……ジーク、お前、少しは隠せよ」
「何のことやら」
そう嘯いて隣の佳人は他所に視線を逸らしている。普段側に侍るだけあって軽口を叩ける親しい間柄であるのは良く分かる。が、ドレスがどうしたのだろうか。
「王太子殿下、このドレスは実はシュバルツバルト侯爵夫人のものをお借りしたのです。何か失礼なことでもございましたでしょうか?」
「……殿下、アンが困っていますからこの辺りで」
エカテリーナ王太子妃殿下がやんわりと会話を遮ってくれた。困ってはいないが、戸惑ってはいる。ええと。
「あっはっ、いや、大丈夫だ、とても良く似合っているよ」
王太子殿下もだが、後ろに控える方々の態度も気になる。何故そんなに面白げにこちらを見ているのか分からない。
音楽が変わりダンスが始まった。国王夫妻のファーストダンスに続き、王太子殿下夫妻のダンスが始まると、高位貴族たちも我先にとこぞってダンスに繰り出す。
「さてお嬢様、私とダンスを踊っていただけませんか?」
「ええ、よろしくてよ」
彼は大仰に騎士の作法で胸に左手を当てて右手を差し出してきた。私も尊大にそれを受ける。周囲のどよめきが聴こえてくるが、周りの目はだんだん気にならなくなってきた。こんなに楽しく感じた夜会は初めてだった。憧れの君がエスコートしてくれているからか、見える景色がいつもと違ってきらきらと煌めきを放っているかのようだ。流れるようにリードされて見事なダンスを披露し、踊り終わると感嘆の溜息さえあちこちから聞こえてくる。
「楽しそうだな」
「そうですね、ふふ、楽しいですわ」
息を弾ませたままの勢いで、彼を見上げて笑いかけた。ふと気づくと柔らかなものが口の端を掠めた。
「……何か飲み物を取って来よう。ここで待っていてくれ」
そう言いおいて離れていく彼の背中を呆然と見つめていた。
一人になると途端に令嬢方に囲まれているのが見えた。私のエスコートをしているくらいだから、当然自分も踊ってもらえると思いたいのだろう。私自身も何人もの殿方に話し掛けられ、ダンスの申し込みを断るのに難儀した。中には同じ研究所で働く同僚と呼べる人もいた。いつも私のことをあまりよろしく思っていない人さえも、私にダンスを希う。どうして?
人はそれ程見た目に左右されてしまうということだ。普段の地味な文官姿を知っている人でさえ、今日の磨き抜かれた私に惑わされているのだ。どちらも私なのに。見た目や立場よりも内面や仕事の成果を見て欲しいと思っている。そう、性別や爵位で判断されない世界を願う。
今、令嬢方に囲まれている補佐官もそうだろう。整った顔や恵まれた体格、侯爵令息で王太子殿下の右腕という立場を令嬢方は見ている。本当の彼の心持ちなぞ思いやる人間はきっと少ない。
―――私ならば、と願ってしまう。
……それは望むべくもないこと。今更だ、十年前のことがある限り無理な話だ。今夜の私はかなり高揚している。明日になれば溶けてしまう今夜だけの魔法を今のうちに楽しもう。
戻って来られそうにない補佐官をぼんやりと見やっていると、後ろから唐突に声を掛けられた。
「やあ、アン・トレイシー、合格おめでとう」
ルーファス・メイヤー伯爵令息だった。驚いた、こんなに接近するまで気が付かないとは全くの不覚だ。思わず必要以上に後ずさった。
「ありがとうございます」
「我が兄上が選ばれるんだと思っていたんだがな、まさかのお前とあのシュバルツバルト補佐官とはね……」
「それはどういう?」
「どんな手を使ったんだよ? どうして兄上じゃないんだ」
「選定は宰相閣下や大臣方が行ったものです。ラドクリフ様は事情で今期でなく来期になったと伺いました」
「……そんなこと聞いてないぞ」
「ラドクリフ様にお伺いしてみて下さい。ちゃんと話は通っている筈ですから」
ふん、と見下げたような視線を投げかけて、なら直接話をしてくれよと腕を掴まれた。
「離してください。ここで人を待っているんです」
「……アイツか? 戻って来られそうにないがな」
どこまで行ったのだろう、確かに姿は見えなくなっていた。仕方ない、早いうちにラドクリフ様にきちんと筋を通しておいた方が良いのかもしれない。
「こっちだ」と、あまり優しさの感じられない強引なエスコートでホールの外に出た。こういう夜会では休憩室を用意しているのが常で、その一室で待機しているとのこと。人に聞かれたくない話ではあるから、内々にということだろう。
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