第7話 迎えられる


 あれから何度か宰相室へ出向き、宰相閣下や補佐官と打ち合わせをしている中で、女官に絡まれたこととルーファス・メイヤーの待ち伏せをほんのり匂わせて雑談の中で話をしておいた。これも社交術だ、伊達に長いこと公爵令嬢をやっていない。


 エミリーは早速配置替えとなり研究所からは姿が見えなくなった。この件に関しては私の話というよりは明らかに補佐官の逆鱗に触れたらしい。きっと余計なことを仕出かしたんだろう。ルーファスの方はとりあえず研究所内で見かけなくなった。元々総務庁付の身分だから本来こちらには用事がないはずなのだ。厳重注意というところか。何にせよ有難い。


 夜会当日になった。


 言われた通り昼過ぎに厩舎へと向かう。裏口から馬で駆けた方が馬車を使うよりも目立たないだろうとのこと、確かに厩へ行くような令嬢は滅多にいないから、なるほどと感心する。ストールを目深に被った私が厩舎に着くと、シュバルツバルト補佐官は既に馬を一頭引き出して待っていた。挨拶を交わすよりも先に軽々と抱き上げられて馬の背に乗せられる。ありがとうございます、と小さく礼を述べると、自らも馬の背に跨った。自然腹部に腕を回され身体が密着しているせいで、ただ馬に乗っているだけなのに何だか緊張する。


「ところで君は馬に乗れるのか?」

「はい、……一応。貴族の嗜み程度ですけれど」

「そうか。自分で駆けたかったか?」

「いえ、このスカートではちょっと……」


 文官の制服のままの自分を見下ろした。踝までのロングスカートだ、乗れないことはないが乗りにくいのは確かだろう。


「そのうち遠乗りに行ってもいいな」と低く呟く声がした。今何と? と聞き直したが、何でもないと話を逸らされてしまった。


「ところで何も用意していないんですけど……本当によろしかったでしょうか」

「問題ない。母の侍女が手ぐすね引いて待っている」


 うーん、このまま甘えていいのだろうか? それよりも私がウィンチェスター家の人間だとバレることが心配だ。幼い頃これから向かうシュバルツバルト侯爵家には何度も訪れている。当時の公爵令嬢だと覚えている使用人もいるかもしれない。


 他愛もない話をしている間に侯爵邸に着いた。馬から降ろされた途端、待ち構えていたように玄関から何人もの人間が出てきたのには驚いた。


「お待ちしておりました。この家で家令を務めさせて頂いておりますハリスンと申します」

「アン・トレイシーです。今日は宜しくお願いします」


 今の私は子爵位の人間だ、最低限度に失礼の無いよう丁寧に頭を下げた。侯爵家に仕える人間ならば貴族であることは勿論、子爵位よりも高位な場合が多いだろうから。ハリスンの後ろに控えた女性が一歩前に出てくる。


「こちらはシュバルツバルト侯爵夫人であるロウィーナ奥様の侍女でローザです。本日トレイシー様のお世話を致しますので何なりと彼女にお申し付け下さい」

「お世話になります。……ところで、侯爵夫妻はお留守だと伺いましたが?」

「はい、お二方とも留守になさっております。若様だけですので、緊張なさることはありませんよ」


 私の不安を見透かしたかのようにハリスンはにっこり笑ってみせた。流石に夫妻は私の顔が分かるから留守かどうか何度も確かめたのだ。本当にいないと分かって助かったと胸を撫で下ろした。


「ではアン・トレイシー子爵令嬢、……アン様とお呼びさせていただいても? こちらへどうぞ、お部屋へご案内いたします」


 ローザも私の顔を見てにっこり微笑んでくれた。二人とも質のいい使用人の見本のようだ。そのまま引き立てられるように何人もの侍女に囲まれて邸の奥へと連れ込まれてしまったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る