第6話 うんざりする


 扉の向こうで、おい!待てよと怒鳴る声がする。しばらく気をつけておかなきゃいけない。面倒くさい。私の気持ちを読んだように、セシルがお茶を飲みましょうといそいそとお茶の用意をしてくれた。嬉しいことに焼き菓子も付いている。


「まったく、……もうちょっと上手くやりなさいよ」

「……ありがとう」


 眼鏡を外し、一つに結わえていた髪を解いてがしがしと搔いて、頭を振った。地味な枯草色の髪が揺れる。そういう時は亜麻色の髪と言いなさいとセシルは文句をつけるのが常だ。彼女は数少ない私の正体を知る人間だ。


「アイツに何を言われたの?」

「……来月の夜会のエスコートをしてやる、だって」

「夜会? 国王陛下主催の秋の夜長の夜会のこと?」

「そうそれ、私も参加決定してるの。実はね、」


 研修派遣の内定が降りたとセシルの耳元に口を寄せて呟くように報告すると、彼女は目を見張ってばしばし私の背中を叩きまくって我が事のように喜んでくれた。


「良かったねー!!! 私も鼻が高いよ。まぁちょっと寂しくはなるけれど」

「そうね、最低でも三ヵ月、もしかすると延長ってことにもなるかもしれないし。だから事務手続きがいろいろあるから手伝ってほしいのよ。よろしくお願いね」

「勿論だよ!室長も喜ぶと思うよー! ……でも夜会と何の関係があるの?」

「そこで発表されるのよ。だからそれまで内密に」


 喜んでくれるのは嬉しいがちょっと釘を刺しておかねば。

 セシルは満面の笑みでくるりと回って適当なタップを踏んだ。ダンスは彼女の得意技だ。


「ところでアン、エスコートは誰に頼むのよ? 何ならうちの兄貴に掛け合ってもいいよ」


 セシルの兄は、近衛騎士団に所属しているのだ。


「えっと、それは、もう決まっていて、その、……一緒に派遣される人とパートナーを組むようにと宰相閣下が仰せだそうで」

「ふうん? もう一人の研修生ね、で、誰なのよ? 知ってる人?」

「………」


 言い淀んでいるとますます興味を持ったように、再度誰なのよ? と私の顔を正面から覗き込んだ。


 「……補佐官」

 「えっ?」

 「だから、……シュバルツバルト補佐官」

 「……えっ??嘘???」

 「嘘じゃない。……本当です」

 「マジでーーー?! やったじゃない!素敵じゃないのーーー!アン!」

 「セシル、貴女も氷結倶楽部の一人でしょ? 嫌じゃないの?」

 「どうして? あれは遠いところから鑑賞するのがいいのよ。それよりもアンと仲良くやってくれる方が嬉しいじゃない?」


 あれだなんて、置物扱いなのかしら。良く分からないが、私を応援してくれるのは確かだ。でもどうして仲良くだなんてそんなことを言うんだろう。


「実は、宰相室で女官に絡まれちゃって」

「……あー、あの辺りで女官やってるのってエミリー・グラントね、ちょっと思い込みが激しいのよね。気を付けてね。彼女、掟破りで氷結俱楽部を追い出されたのよ」


 もう遅いかもしれない。さっきのエミリーの勘違い具合を思い出して、溜息が出た。


「それに、ルーファス・メイヤーよ。セシル、彼に何を吹き込んだの?」

「吹き込んだって人聞きの悪い、アンに決まった男がいるのかって聞かれたから今はいないって答えただけだよ」

「……室長が帰ってきたら相談するわ。待ち伏せなんかされては、仕事にも差し支えてしまうし」

「やだ、室長よりも補佐官に頼んだら? 一発で解決してくれるんじゃない?」


 じろりとセシルを睨めつけた。そんな個人的なことを頼むような間柄ではないんだけれど。


「とにかく!仕事よ仕事」


 私はもう一度髪を結い、眼鏡をかけた。


 ◆


 メイヤー伯爵とは、今まであまり話をした記憶はなかったが、先日は妙に馴れ馴れしい様子で話しかけてきた。


「最近ご活躍だね。とても優秀だといろいろ噂は聞いているよ」

「ありがとうございます。多くの人に助けていただいています」


 謙遜などせず、素直に賞賛の言葉を受け止める。


「ところで、例の研修生派遣の最終選考に残っているそうだね?」

「はい、先日面接を終えたところで、今は結果待ちですわ」

「エグルストン宰相閣下もガスパール所長も褒めていたよ。素晴らしいプレゼンだったと」

「ありがとうございます。そう言えば、ご子息にも面接の場でお会いしました」

「ああそうなんだ、これからの外交の展望について発表したらしいが、手ごたえがあったと言っていた。親馬鹿かもしれんが是非合格してもらいたいよ」

「そうですね、お互いに残れるといいですね」


 では、と話を切り上げるつもりだったが、重ねて話を進めてくる。


 「それで、君は十分に適齢期だと思うのだが。トレイシー技官は結婚は考えていないのかい?」

 「今のところは考えてません。それよりも仕事が面白いのでこのまま絵画修復の研究をしたいと思っています」

 「全く残念だね、魅力的な女性なのに」


 女は家庭に入ればいいという気持ちが透けて見えた。内心むっとしたが、それは隠してにっこりと笑顔を貼り付け答えた。


「お褒めいただき光栄ですわ。でも……」

「嫡男と次男にはもう婚約者がいるが、何ならうちの三男はどうかと思っていてね」


 はっ? もしやあの問題だらけな?


 私のどこが気に入ったのか、会う度に尊大な態度で俺と付き合いたまえと言ってくるルーファス・メイヤーのことだと分かると、本気で寒気がしてきた。父伯爵は人当たりも良く、仕事上の評価も高い外交官なのだが。こんなことを言うような人だったのだろうか。


「申し訳ありませんが、私はしがない子爵令嬢です。マナーもなっていませんし、伯爵令息とは釣り合いが取れませんわ」

「そうかね? 君は学もあるし作法も淑やかだ。十分じゃないかね。それに、……」少し言い淀んで小声で囁く「君はウィンチェスター公爵令嬢とそっくりに見えるがね」


 私は内心焦りながら、わざとらしく声を上げて笑い飛ばした。


「まさか! 勿論ウィンチェスター家は我がトレイシー家にとっては主家筋にあたりますから、公爵家のヴィクトリア様も存じておりますが、似ても似つきませんよ」


 ここまでだ、では失礼しますと無理やりに踵を返してメイヤー伯爵の前から立ち去ったのだ。


 そう言えば、嫡男のラドクリフ・メイヤー伯爵令息も気鋭の文官だという話は聞いたことがあった。最終面接に残っていたのだから、研修生に選ばれていてもおかしくない。そりゃシュバルツバルト補佐官も相当優秀だが、王太子殿下の右腕である補佐官を今、研修生に選ぶのだろうかという疑問が今更ながら湧いてきた。しかもあの面接の日、補佐官には会っていないのだ。


 それから、公爵令嬢とそっくりだなどとどういう意図で話を持ち出してきたのだろう。まさかと思うが、気が付かれたのだろうか。動揺を悟られない様に気を付けていたが、何とも底の見えないものを感じて、気味悪く思った。今後も要注意だ。

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