第5話 絡まれる
夜会当日のことを簡単に打ち合わせをして宰相室を出た。ふう、と熱を持ったままになっていた頬を落ち着かせようと手で扇ぐ。
出たところでさっきお茶を運んできた女官が何かを言いたげに立っていた。それを認めるとすっと熱が下がる。こういうのはスルーするに限る。だが会釈だけして戻ろうとした私の前にわざわざ立ち塞がってきた。
「トレイシーさん? でしたよね、どうして宰相室にいらっしゃったんですか?」
内定の話はまだ部外秘だから、素直に答えるわけにはいかない。呼ばれたからですと答えにならない答えを返した。彼女は気に入らないようできっと眦を上げて、シュバルツバルト補佐官に近づかないでくれませんか、などと無茶を言いつのった。
「仕事上の話をしただけです。近づくなと言われても困りますし、貴女にはそんな権限ありませんよね」
こういう言い方をすると逆撫でするのは分かっていたが、分かり易い嫌味をぶつけてこられたらそのまま返すしかない。
「……勘違いするんじゃないわよ、二人きりでお茶を飲むなんて、あの方の気まぐれに過ぎないんだから」
勘違い、とは? 楽しくお茶会をしていた訳ではないが。
申し訳ないが私は専門職の技官で彼女は雑用の女官に過ぎない。女官長に訴えて馘にせずとも職場の配置換えだって私の立場だと可能なのだが。これ以上度を過ぎた態度を取るなら、こちらにも考えがある。
「さっきも言いましたが業務に関する話をしていたのです。楽しくお茶会をしていたわけではありません。それに貴女はシュバルツバルト補佐官とどういう関係が? 知り合いであれば彼に直接訴えてみたらどうでしょうか。だとしても、仕事上の付き合いを止めるわけにはいきません。補佐官もきっと同じことを言うでしょう」
こちらがちょっと強く出ると、悔し気に睨みつけて唇を噛みしめている。こういう女性ばかりに付き纏われるのは大変だな、と少し同情した。さっさと部屋に戻ろう。セシルに報告して、いろいろ手配をして貰わなくてはならない。
もう一度会釈をして踵を返した。追ってこないことを祈ろう。
しかし嫌なことは連鎖的にやってくる。
文化財修復室の前まで戻ってきたとき、次に立ちはだかったのは最近何かと絡んでくるルーファス・メイヤー伯爵令息だった。私自身は何をした覚えもないのだが、用もないのに話し掛けたり、お茶や食事に誘ってきたり。正直鬱陶しくて仕方なかった。
「よう、待ってたぜ。宰相室へ行ってたんだってな」
だからどうしたのだ。私の顔は露骨に嫌そうに歪んだことだろう。貴方には関係ない、とは口に出しては言わないが。
「話があるんだ、ちょっと付き合えよ」
「……昼から会議に出席して、その後直ぐに宰相室へ呼ばれたんです、仕事が溜まっているので遠慮します」
「相変わらずだな……だったらここで言うが、どうして西方辺境伯の依頼を断ったんだ? サリーフィールド辺境伯は俺の姉の嫁ぎ先だ、なんとかしてくれよ」
「その件に関しては、宰相室を通じて辺境伯へ理由を説明の上、お断りして了承して頂いています」
「俺がお願いしているんだよ、お前のさじ加減でどうとでもなるだろう?」
改めて目の前の男の顔を見た。典型的な貴族臭がぷんぷんする。顔の良さは中の上というところか。女性関係に非常にだらしないという噂が流れているが、さもありなんだ。先ほどまで非常に整った顔を見ていたから、どうしたって見劣りがする。にやにやと締まらない顔をして一歩二歩と近づいてくる。後ろに距離を取りながら私は答えた。
「貸し出しは何と言われようとも無理です。これ以上不服があるなら直接宰相閣下に申し出てください」
禁断の切り札を口にした。閣下に直談判しろと言われて本気でやる奴はいないだろう。と、廊下の壁にぶち当たり行き場を無くした私の肩の横に手をついて行く手を塞がれた。本当に腹立たしい。
「つれないなぁ、氷壁のトレイシーとは良く言ったもんだ」
揶揄うように呟き、その件はオマケだと言った。
「来月国王主催の夜会があるらしいが、お前も参加するんだろう? エスコートしてやるよ、相手がいなくては可哀想だからな」
「はぁ??!!」
冗談じゃない、誰が貴方なんかと。
「わかってるのか? 伯爵位の俺が申し込んでやってるんだ、断るなよな」
今の私はトレイシー子爵令嬢ということになっている。家格が下だから言うことを聞けと言いたいのだろうか、馬鹿々々しい。現メイヤー伯爵は優秀な外交官として名を馳せているが、息子の教育には手が回らなかったらしい。
しかしその時、先日メイヤー伯爵に会議の後で呼び止められ、結婚を勧められたことを思い出した。うちの三男はどうか、そんな飛んでもないことを一方的にぶつけてきたのだ。大きなお世話だ。海外へ出ることも多い外交官であるメイヤー伯爵にそんなことを言われてけっこうショックを受けた。いろんな国を見ている筈が、本流に成りつつある女性の台頭を否定するようなことだったからだ。
父伯爵の言い様を思い出し、思わず目の前で溜息を吐いてしまう。
「夜会には参加しますが、エスコートはお断りします。相手はもう決まっていますから」
「嘘付くなよ、セシルに聞いたぞ? 今付き合っている男はいないってな」
「そんなこと貴方には関係ないことです。とにかくお断りします」
中の上のまあまあの顔が歪んだ。怒らせるのは拙かったが、この手の男は大嫌いだ。大した実力もない癖に自分が上だと認めさせたいだけだからだ。私が女のくせに王宮で文官として働いていて、しかも専門職についているというだけで気に入らないに違いない。
どうすればこの腕から抜け出せるか、考える間もなく修復室の扉がバンと音を立てて開いた。
「待ってたよ! さあ仕事仕事!」
急な出来事に怯んだルーファスが私から離れた隙に、セシルが私を攫うように開いた扉の中へ押し込んでくれた。じゃねー、と馬鹿にしたように軽い口調でさよならを告げ、扉を閉めてご丁寧に施錠してくれたのだった。
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