第3話 選ばれる


 宰相室の前に立つと髪を撫で付けジャケットの裾を軽く引いた。身だしなみは大事だ、貴族社会では見た目が左右する。幼い頃から決して隙を見せてはいけないと叩き込まれている。


「どうぞ」


 戸を叩くと促す声がした。失礼しますと扉を開ける。


「アン・トレイシーです。出頭しました」


 普段は何人もの人間が忙し気にしているが、今はシュバルツバルト補佐官一人だった。奥の机で此方を見ることなく書類に目を落としている。さらりとした銀の髪が夕日に透けて仄かな紫色を帯びて輝いて見える。この髪色は実は貴き王家に特有のものだったりする。王家の血を引いているとはっきりと分かる髪も憧れの的になっているのだろう、王子殿下相手だと希望はないが侯爵令息ならば何とかなるのでは、と夢見る令嬢は案外多い。


 ぼんやりと見やっている間に書類を読み終えたのか、ようやく私に注意を向けて座れとソファに手をやった。


「会議が終わったところに呼び出してすまない。宰相の代理として伝えておくことがある。先日の選考結果が出た」


 海の向こうの大国ブランデンブルク皇国への研修生派遣の件か。私は緊張で顔を強張らせ、手を握り込んだ。


 国としてまだまだ若い我がグリーンヒル王国は、海を渡った隣国、歴史あるブランデンブルク皇国と深い繋がりがあり、その豊富な知識や技術を学ぶ為に毎年研修生を送り込んでいる。研修経験イコール政治中枢部への足掛かりを約束するとあって、自薦他薦問わず毎年沢山の人が応募する。書類審査に始まり、論文選考から宰相や大臣の前でのプレゼンテーション、面談を経て、厳正な審査の上発表される。国を挙げての研修制度だ、確かに選出されるのは貴族が多いが、優秀な平民にも門戸を開いており、数えるほどではあるが実績もある。


 実は平民男子以上に狭き門と言われるのは女性の採用だ。


 この国では男尊女卑の保守的な価値観が未だ蔓延っていて、女性の地位はまだまだ低い。私自身、家の中でも王立学院でも、女の幸せは結婚だという意識を植え付けられて育ってきた。少しづつ意識改革の波は起こっているが、気付かない又は気付きたくない男性のなんと多いことか。しかも『女のくせに』スキップ制度を利用して学院を首席で卒業、尚且つ大学院進学までした私に、僻みや妬み或いは悪意を、意識的にも無意識だとしても、男性陣から降り積もるほど受けてきた。深窓の箱入り令嬢だったが、大学院を経て研究所に配属される頃にはすっかりやさぐれて、今では相手が宰相閣下であろうと堂々と議論を吹っ掛けるまでになっている。


 いいことなのか悪いことなのかは分からない。しかし黙っていては現状を脱却出来ないのだ。女性の地位向上は立場に恵まれた自分に課せられた使命のひとつであるとも思っている。因みに女性の力が強い北の国からやってきた王太子妃殿下とは志を同じくする仲間で、希望という花言葉を持つ『ガーベラの会』を結成し、女性の地位向上について意見交換するお茶会を定期的に行っている。


 私の専門分野である絵画修復の専門家がいる皇国へ行きたかったのも勿論だが、能力に性別は関係ないという前提を創りたかったから、是が非でも選ばれたかったのだ。


 しかし難しいことも承知だった。私の専門分野は政治中枢から離れたところにある。優先されるのはやはり、国の根幹を支える政務や財務の人間だから。そう考えていたのだが。


 シュバルツバルト補佐官は私の正面に座り、珍しいことに目元を緩ませて口を開いた。


「今期の研修生派遣許可が君に降りた。おめでとう、トレイシー技官」

「!!!」


 嬉しさで声にならない。叫び出したい気持ちを抑えて口元を両手で覆ったが、それでは抑えきれずに思わず立ち上がる。何も言えずに目を見開いて補佐官を見下ろしていると、彼もこちらを見上げてふっと微笑んだ。


 「落ち着いて、座りたまえよ」


 感情が昂ぶり、心臓が飛び出そうだ。じわりと涙が滲みそうになるのをぐっと堪える。この人の前で泣くもんですか、と謎の闘争心が湧き起こる。本当に素直ではないなともちらりと思った。この辺りが可愛げのない、生意気なと言われる所以だろう。でもそうやって今まで男性優位な社会で闘ってきたのだ。


「ありがとうございます! 宰相閣下にもそうお伝えください」

「なに、君の努力が実ったのだから礼など不要だ。閣下もそう思っているだろう」

「……本当に嬉しい」


 腰を下ろしたものの落ち着きをすっかり無くしてそわそわしている私を面白げに見やって、いつもの沈着冷静な君は何処へ行ったんだ?と笑いを堪えているようだった。そう言われてもこの嬉しさをどうすればいい?


「ところで、ここからが本題なんだが、」


 選定結果以上に本題なんてあるのだろうか。訝しげに目の前の補佐官を見やった。


「来月行われる国王主催の夜会で今期の研修生の発表が行われる。宰相閣下からの指示だ、必ず出席してもらいたい。それから研修生二人はせっかくの男女ペアだから、互いをパートナーとせよとの仰せだ」

「……私には異論はないですけれども、そのもうおひと方はお相手はいらっしゃらないのかしら。私とだなんて、迷惑なのではないですか?」


 王家主催の夜会は年に数回あるが、流石に大規模なもので、高位貴族となれば当然のように出席を求められる。普段は面倒で避けて通る社交だが、これに関しては家族が煩く無理やりにでも参加させられる。因みに現在私には婚約者はいない。だからまだ王立学院に在学中の弟か、もしくは同じく文官の従兄にエスコートをお願いすることになる。今回は研修生同士でペアを組めとのこと、パートナーを探す手間は省けるのは有り難いが。


 その時、戸を叩いて入室してきた女官がお茶を運んできた。私に気付くとどうして此処にいるのかと言わんばかりの顔をした。刹那、にっこり微笑んで補佐官の前にカップを置き、それから不服そうに私の前にも殊更丁寧にカップを置いた。有難うと彼が口にすると、女官は明らかに頬を赤く染めている。こういう素直な感謝の態度は育ちの良さから来るのかも知れないが、同時に勘違いを撒き散らしているのではないのかとも思えた。まあ顔の表情筋は全く動いていないようだが。


 女官が退出するのを見届けてから、私を見据えて思いもよらない言葉を投げてきた。


「言い忘れたが、もう一人は私だ」

「はい?」

「君と一緒に派遣されるのは私だと言っている。当日のエスコートは任せてくれ」

「?!?!」


 違う意味で驚いて、再び口元を手で覆った。叫び声を上げなかった私を褒めてほしい。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る