第2話 呼び出される


 「アン! さっき宰相室からお呼び出しがあったわよ」


 ブラウンの髪を振り乱して同僚の事務官であるセシルが声を上げた。


 ここは王立文化研究所の文化財保存修復部門の事務室で、簡単に修復室と呼ばれている。私、アン・トレイシーは絵画修復の専門技官として研究所で働いている。設立間もないこともあり、慢性的な人材不足で絵画ばかりを相手にしていられない忙しさが毎日のように積み重なる。そこらの文官にはない専門知識がモノをいう部署だからそれも致し方ない。


 仕事の内容は多岐に渡り、絵画の修復は勿論だが、絵画の鑑定から展覧会に備えての帯出申請から文化財の目録作成から各種予算の申請から見学の客人の案内や、何なら掃除やお茶汲みだってやる。今も出張中の部門長に代わり、愚にもつかない研究所内の定例会議に出席してきたところだった。


「つまらない会議からようやく解放されたと思ったら、宰相室からだなんていったい何なの?」


「内容は言付かってないのよー。直接話があるそうよ。……し、か、も、」


セシルは勿体ぶって立ち上がる。


「あのシュバルツバルト補佐官直々の呼び出しだそうよ! アンってば、やるじゃないの!」


 文末にハートマークが見えるようだ、胸の前で手を組みうっとりとした表情を見せるセシルを軽く睨みつけてやった。いったい私が何をやったと言うのか。そしてシュバルツバルト補佐官は私にとって予算面での政敵ともいえる存在だ。


「……こないだ提出した図書購入費用の申請に文句付けてきたのかしら? 思い当たるのはとりあえずそれだけよ」


 先月の絵画保管室の空調設備新設申請は、シュバルツバルト補佐官に阻まれて新設するまでもないと、専門業者を呼んでの徹底清掃ということで折り合いを付けた筈だ。いや、西方辺境伯からの王家所蔵の彫刻像の貸出申請を私が蹴り飛ばした件への抗議か? それとも目録作成の為の予算申請の件か、はたまた東方国特製の紙の取寄せ依頼の件か。とかく何かと対立するのだ、あの補佐官とは。


 因みに宰相室所属の補佐官は他に何人もいて私も全員を把握していない。国王陛下や王子殿下に付く政務補佐官は形式的には宰相室からの派遣という形になっていて、シュバルツバルト補佐官は現在王太子殿下の政務補佐官である。その上どうしてだか知らないが財務部門にも首を突っ込んでいて、文化研究所の予算申請に悉くいちゃもんをつけてくるのだ。私と彼の論争は文化研究所予算委員会の余興と言われている。全く以て不本意だ。


「まったく、……アン、貴女、どれだけ研究所勤めの未婚女子の羨望の的になっているのか分かってないのね?」

「そんなこと、知るもんですか」

「研究所内だけじゃないわよ、何なら既婚未婚問わず王宮全体の令嬢方の恨みを買ってるのよ」


 ……だからそんな怖いこと嬉しそうに言わないでほしい。こんな私でも王宮中の令嬢の恨みは流石に買いたくないのだ。


 ジークフリード・フォン・シュバルツバルト。武門を誇るシュバルツバルト侯爵家の嫡男で、永く王の鉄壁の守りとして活躍した将軍で今は軍部の最高顧問を拝命している父侯爵とは違い、何故か政を司る文官の道を選んだ。


 そして社交界の華とも白百合の君とも謳われた母親に似た彼は、長身で見た目は細身だが、剣技にも優れていて騎士の如くしなやかで鍛え上げられた身体を持ち、さらりとした銀の髪、腹立たしいほど端正でかつ精悍な顔立ちをしている。中でも令嬢方の心を鷲掴みしているのは、闇夜を融かしたような漆黒が印象的な切れ長の鋭い瞳だ。感情が高ぶると碧色に輝くと噂されているが、あくまでも噂の域を出ないのは、滅多なことでは感情を見せず、普段は冷徹なまでに無表情だからだ。ほぼ笑うことのない、王太子殿下の絶対零度の懐刀。そんな二つ名がまかり通っているほどに。

 

 今現在二十四歳、独身で高位貴族ながら未だ約束を交わした相手はいない。超の付く優良物件、但し冷たい眼差しに耐え得るならばという条件が付く。凍り付いてもいい、あの瞳に見つめられたいというスタンスの令嬢は少なからずいて、お互いを牽制しながら情報交換をするファンクラブが存在する。その名も『氷結倶楽部』という。……ご本人はそのことを知っているのだろうか。


 私はそんな彼と仕事上言い争うのが常で、別に仲良くしているわけではないのだが、どうやら遠巻きにされている彼に近づけるただ一人の女性として、恨み妬みをこの身に集めている、ようだ。ぶつかっていく勇気のない人間からの嫉妬は別に痛くも痒くもない。羨ましければいつでも代わってやるとも思っている。私だって好きで喧嘩している訳じゃない。


 ふう、と一つ溜息を落として再び扉を開いた。


「めんどくさ、、、とにかく宰相室へ行ってきます」


 行ってらっしゃいとセシルはひらひらと手を振ってみせた。

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