元婚約者の補佐官は偽りの公爵令嬢を二度と手放すつもりはない
久遠のるん
第1話 プロローグ
あれはどなたのお邸だったのだろうか。
大好きだった伯父に連れられた品評会という名の昼下がりのお茶会での出来事だった。それは不思議な顔ぶれの集まりで、普段わたくしの邸で行われる馴染みのあるものではなかったことだけははっきりと分かる。普段お付き合いのある貴族とは違う方々で、会ったこともない裕福そうな商人や、どう見てもこの国の人間ではない肌の色の違う人もいた。共通するのは獰猛とも思える獲物を見つめる鋭い眼差しか。彼らの見つめる先には、有名どころの絵画や彫刻が並んでいた。
わたくしは物心付いたころから伯父の手解きを受けて、芸術、特に絵画を観る目を養われ、その頃にはまだ幼いながらもいっぱしの目利きとなっていた。勿論そんな子どもの言うことを、招かれた大人たちは真に受けるようなことはしなかったと思うが、伯父は時折そんな不思議な顔ぶれの集まりを自分の邸で催し、わたくしに「鑑定」をさせ、得意げに自慢したものだった。真作の絵画の横に、作らせたレプリカ(と呼んでいた)を数枚並べて、どれが本物かを当てるゲームだ。どうやら生まれ持って何らかの才能が備わっていたらしく、わたくしには簡単なお遊びのひとつで、居並ぶ大人たちの賞賛を聞いて得意げに艶のある亜麻色の髪を振りたてた。いや、得意げになっていたのはわたくしよりも伯父の方だったかもしれない。
そしてわたくしが十歳になったころ、のちに『贋作茶会』と称された事件が起きた。
ぼんやりとしか覚えていないが、その茶会が催されたのは、いつもの伯父の邸ではなかった。ずらりと並んだ絵画を食い入るように見ている男たちに混じって、有名無名の作品、小品が多かったが、わたくしも目を楽しませていた。誰が集めたのか、なかなか見応えのあるラインナップで、収集家の情熱が伝わってくるようだった。
しかし、一点の絵画が目に留まった。これは最近見たことがある、しかも、伯父の家で。
「どうしてこの絵がここにあるのでしょう?」
わたくしはどこまでも無邪気に首を傾げた。
ついこの間手に入れたのだと、伯父の背中を親し気に軽く叩きながら、どんなに惚れ込んだか、そしてどれほどつぎ込んだかを熱弁していた男性は、ショックを受けたようにわたくしの顔をまじまじと見つめた。
「この絵、伯父様のところに飾ってあるものの模写ですわね? あのバーントシェンナの髪のお兄さんが描いたものだと思うのですが」
一瞬にして会場は凍り付いたようにしんと静まり返った。慌てて飛んできた伯父はわたくしの口を塞ぎ、その絵は確かに真作なのだと訴えた。我が家にあるのが模写なのだと。
茶会のホストである背の高い上品な紳士が目の前に立つと、屈んでわたくしの目をにこやかに覗き込んだ。
「お嬢さんはこの絵を模写だと言うのだね?」
塞がれた口の中でもごもごと言葉を紡ごうとしたが、しかし伯父の手からは逃れられなかった。伯父は唾を飛ばして、こんな子どもの言うことを信じるのかと叫んでいた。絵の持ち主と思しき白髪の恰幅の良い男性は、顔色を青く赤く変化させ、何か言いたげだが言葉にならず、わなわなと身体を震わせていた。
その様子を見ていて、どうやら拙いことを言ってしまったらしいことを理解して、わたくしは俯いた。自慢していたのは伯父なのだ、この子は素晴らしき鑑定眼を持っていると。
「君は確か、このお嬢さんには才能があると豪語していたのではなかったかね、真贋を見分ける眼を持っていると」
そう。それまでわたくしが褒めてもらえて嬉しいと思っていた簡単なお遊びは、あくまで本物を当てるゲームだった。見慣れた伯父の邸の中で、実際真作がそこにあったのだから、わたくしにとっては見間違えようがなかっただけだった。
本物と称して売られたものは、レプリカとは言わない。それは「贋作」だ、偽りの絵画だ。
果たしてわたくしは、その「贋作」を描いた人間のタッチまで見分けてしまい、本物と信じて購入した男性の顔に泥を塗り、伯父の信用を失墜させてしまったのだった。
その後のことは記憶が定かではない。
公爵位にあり王族でもあった伯父は、文化財保護を政策の一つに掲げていた現国王陛下の体面を傷付ける格好となり、しかしはっきりとした形で罪には問えないと辺境の地へと追いやられた。所有していた沢山の有名絵画はどうやら真筆だったらしく、ほぼ王家が没収の上、王宮の倉庫へと収蔵された。華やかだった伯父の人脈は偽りのものとなり、訪ねる人もいなくなって、失意のうちに寒い雪の日、あっけなく命を絶ってしまった。伯父の妹である母は大いに嘆き悲しんだ。
父はわたくしに伯父についての話を禁止した。三ヵ月後には通う予定になっていた貴族向けの王立学院への入学も取り止められ、自宅で家庭教師につくことになった。絵の勉強はなんとか細々と続けさせてもらえたが、とにかく大好きな伯父と会えなくなったのが悲しかった。自分の行動が原因で何か問題が起こったのは理解していたので、外に出たいと両親に強くは言えないまま、長く自邸の中だけがわたくしの世界となった。
さすがにこのままではこの先貴族社会でやっていけないと思い至ったのか、デビュタントを目前に控えた十五歳の春、編入試験を受けてようやく王立学院中等部へと通うことが許された。
あの日から五年が経っていた。
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