第5話 出光レポート



 五話 出光レポート



「何でこんなもんまで落ちてるんだよ」


 真は境内の隅で、コンビニに売っているような分厚い漫画をトングで掴んだ。

 風雨にさらされてすっかりボロボロになっていた漫画は、水分でグニャグニャと歪んでおり、ページとページがくっついていた。


「しかも結構中途半端な所だし」


 落ちていた漫画は、中学生の頃に真が読んだことのあるバトル漫画だった。

 表紙に書かれた宣伝文句を見るに、最終決戦前のあまり人気のない敵との戦いが収録された辺りのようだった。


「吸い殻と雑誌と漫画、ねぇ」


 真の背負った籠は雑誌や漫画のせいでズシリと重くなっていた。

 蛇ノ目神社の拝殿周りから掃除を始めていた真は、見つけた缶やペットボトルを境内の中央辺りにトングで転がしながら作業を進めていた。


「危ない物が落ちてたら気を付けてね」


 声のした方を見ると、少し離れた所から幽子が手を振りながら真のことを見ていた。


「ん? あぁ、基本的に手で拾わないようにしてるから大丈夫だよ」


「触りたくないし」と真は幽子に聞こえないぐらいの小声で補足した。


「向こうの方に割れた瓶が散乱してたから私はそっち行ってくるね」


「うん、分かった。ユウ姉も気を付けてね」


「ありがと」


 幽子が奥の方に行くのを見送ってから真は作業を再開した。

 拝殿周りのゴミをあらかた片付け終わったと思っていると、賽銭箱の下に何か落ちているのを見つけた。


「ったく、こんなところにまで」


 真がトングを隙間に差し込むとコツンと何かに当たった感触が伝わった。ぶつかった先の物を掴んで引っ張り出すと、一冊の雑誌だった。


「これって」


 真が見つけたのは悪い意味で有名なオカルト雑誌だった。


『中にいるのは誰!? 政治家の八割はマスク人間』

『影にあるのは核兵器!? 十年前の大地震の真相』

『第三次世界大戦は目前に!? 地下巨大都市計画』

『宇宙との交信!? 某航空会社のパイロットは語る』


 このような過激で胡散臭い記事を書くのは阿波岐出光(あはぎ いでみつ)というライターである。

 彼の書く記事は「出光レポート」と呼ばれており、陰謀論が好きな層からのウケが非常に良く、ネット上で物議をかもした『最悪の未来へ!? わ財務省の人間が語る日本の闇』という記事をキッカケに、テレビ番組に何度も出演したことがある。

 世間一般からの評価は「胡散臭い話をする人間」ではあるが、彼の独特な話法は聞いている人間を魅了するらしく、最初はアンチの如く彼を叩いていた人間もテレビの討論番組や座談会を聞いた後にはすっかり陰謀論に染まっていることすらある。


 真が見つけた雑誌の表紙には、口元に人差し指をあてて澄ました顔をしている阿波岐の写真がデカデカと載っていた。


「何が特集に組まれてるんだろう」


 真が表紙をちゃんと確認すると予想外の言葉が並んでいた。


『幼子を蛇神の器に!? 蛇ノ目に伝わる狂気の儀式』


「な、なんだこれ」


 真は周りに誰もいないことを確認してからおそるおそる雑誌のページを捲った。

 付箋は蛇ノ目の特集のページについていた。




 静岡県鳴間市北部の山間部に「蛇ノ目」と呼ばれる地域があるのはご存知だろうか。

 鳴萬我駄羅(ナルマンガダラ)と呼ばれる蛇神が、不死の霊薬を求めて蓬莱山を目指した際に出来た窪みが現在の鳴間川と言われており、その上流部には「蛇ノ目湖」と呼ばれる湖がある。その湖の周辺が蛇ノ目と呼ばれる地域である。

 そして、この蛇ノ目には現代の常識では考えられないほど残酷な風習が残っている。

 それが「器渡り」と呼ばれる儀式だ。


 器渡りの儀式とは、幼子を蛇神の器として捧げて村の厄災を祓う儀式である。

 戦前までは、農作物の不作や山火事、病の流行といった事が起こる度に器渡りの儀式を行っていたそうだが、戦後の教育改革や他地域との交流の増加に伴い、儀式が行われなくなったのか、器渡りに関する記録が著しく減少している。


 しかし、私の元に恐ろしい事実が舞い込んできた。


 器渡りの儀式は今も行われているのだという。


 ここで、かつて器渡りの儀式にて壮絶な経験をした方とのインタビューを記載する。

 詳しいことは後述するが、彼または彼女の身の安全のために名前や年齢、性別の全てを伏せさせていただく。




「器渡りの儀式の、器の候補者になられたとお聞きしたのですが」


「はい。私が【本人の希望により削除】歳になった年のことです。その年は雨が全く降らないばかりでなく、気温もずいぶんと低い年でして、農作物がロクに出来やしなかったんです。そんなある日、村の偉い人達が我が家を訪れてこう言ったんです。『おめでとうございます。お宅のお子さんが鳴萬我駄羅様の器に選ばれました』と」


「選ばれた理由とかはあるんですか?」


「分かりません。本当に突然のことでした」


「村の人達で話し合って決める、というものではなさそうですね。話を戻しますが、蛇神様の器に選ばれたという話を聞いて、家族の方はどのような反応をされたのですか? 怒ったりだとか悲しんだりとか色々あると思うのですが」


「父と母、そして祖父は泣いて喜んでいました。『お前はとても尊い役目を戴いたんだぞ』と言ってましたね。その日の夕食は今までに見たことが無い程に豪勢な食事でした」


「器に選ばれたことを喜んだのですか? 器になるということは、つまり、自分の子供の身体を蛇神様に捧げるということですよね?」


「はい、そうです。鳴萬我駄羅様の器になるというのはとても名誉なことだと父と母、祖父は言っておりました」


「当時はどのような気持ちになりましたか?」


「そうですねぇ。正直あまり実感は湧きませんでしたね。ただ、先程も言いました通り、器に選ばれたというだけで豪勢な食事を食べることが出来たんです。今の若い人達には想像もつかないかもしれませんが、当時は肉も魚もお米も好きなだけ食べるなんてことは出来なかったんです。一食も出来ない日だってありました。皆が井戸から汲み上げた水でお腹を膨らませていたような時代なんです。そんな時代に、好きなだけ食べることが出来たものですから、自分はなんて運が良いんだと思いましたね」


「比較的前向きに受け止めていたのですね。その気持ちは、今では変わっていたりしますか?」


「あの、一つ確認なのですが。私のあらゆる個人情報は伏せられているのですよね?」


「勿論です。名前も性別も年齢もその全てを伏せさせていただきます。他にも伏せて欲しい情報があれば、それは完全非公開ということでこの場限りの話にさせていただきます」


「分かりました。そうでしたら正直に言います。あれは恐ろしい儀式です。一刻も早く絶つべきです」


「一刻も早く絶つべき、というのはどういうことですか? 戦争が終わってからは器渡りの儀式が行われたというような記録が一切見つからなかったのですが」


「それは当然です。記録が見つからないのは【本人の希望により削除】ですから。ただ、今も行われていることは確かです」


「今も行われているのですか? ただ、その場合一つ気になるのは、蛇ノ目の人口は著しく減少傾向にあるのですが、今の蛇ノ目に器になるような幼子はいるのですか? 仮にいたとしても、今の御時世的に目立つと思うのですが」


「鳴萬我駄羅様の器というのは蛇ノ目の出身である必要も無ければ必ずしも幼子である必要は無いのです。何よりも優先されるのは鳴萬我駄羅様と波長が合うかどうかなんです」


「波長が合う?」


「鳴萬我駄羅様が肉体に馴染みやすいかどうか、という意味です。私が今こうしてここにいるのは【本人の希望により削除】ということもあり、器として適さない身体だったようで、そのことを【本人の希望により削除】だったからです」


「それは、酷い話ですね」


「私が【本人の希望により削除】だったから、今ここに居られるのだと思うと複雑な気持ちですね」


「なるほど。さて、お時間もありますので話を戻しましょうか。器渡りの恐ろしさを教えてください」


「はい。既に気付いていらっしゃると思うのですが、器というのは何人か選ばれるのです」


「やはりそうなのですね。お話を聞いていて違和感があったのですがそういうことですか」


「私も最初は自分一人なのだと思っていました。ですから、翌日に『蛇ノ目神社の本殿に行け』と言われまして、言われた通りに蛇ノ目神社の本殿に行ったらそこに友人がいたことにとても驚きました。友人の【本人の希望により以下Aと表記】と共に本殿に入りましたら、Aの他にも何人かいたのです」


「覚えている範囲で構いません。何人ぐらいですか?」


「私を含めて七人ぐらい、だったと思います」


「七人ですか。器に選ばれた、という話のイメージからは多く感じますね」


「集められた人達の年齢はバラバラでしたので、ナニか意味があるのかもしれませんが、私には分かりません」


「年齢に幅があったのですか。下は何歳、上は何歳ぐらいでしたか?」


「下は九歳、上は十八歳だったと思います」


「なるほど。集まっていたのは女性が多かったのですか?」


「そうですね。内訳は【本人の希望により削除】です」


「本殿に集まってからはどのような事を?」


「しばらくしたら【本人の希望により削除】と【本人の強い希望による絶対の削除】が本殿に来ました。そして、こう言いました。『鳴萬我駄羅様に捧げる器として適しているかどうか調べるから着ているモノを全て脱げ』と」


「【本人の強い希望により絶対の削除】や【本人の希望により削除】がいる前で服を脱げ、ということですか? 皆さんどうされたんです?」


「嫌だなんて言える状況ではありませんでしたから、皆言われた通りに着ているモノを全て脱ぎました。そうしましたら『名前を呼ばれた者から順にこの扉の先に向かいなさい』と【本人の強い希望により絶対の削除】から指示を受けまして、【本人の希望により削除】はその扉の奥へと行きました」


「【本人の強い希望により絶対の削除】は扉の奥には行かなかったのですか?」


「はい。名前を呼ばれるまでの間、部屋の中で行われることがいかに神聖なものであるかを説明されました」


「部屋の中で行われること、というのは?」


「部屋に呼ばれると【本人の希望により削除】が次々と現れて囲まれたんです。そして『足を肩幅より開き、両の腕を高く上げろ』と指示されました。もちろん何も着ていない状態のままです。指示に従いましたら【本人の希望により削除】に身体を弄られまして、その」


「お話したくない事は無理に話されなくても大丈夫ですよ」


「少し休憩させていただいても良いですか?」


「それはもちろん」


 ここで五分ほど小休憩。


「お時間いただいてすみません。心の準備ができました」


「こんな貴重なお話を聞かせて貰えるのであればいくらでも待ちますよ」


「そう言っていただけると助かります。話の続きですけれど、えぇと、端的に言えば【本人の希望により削除】に犯されたわけです。それも代わる代わる何度も何度も。どのぐらいの時間が経ったのかは分かりません。気が付くと違う部屋、というよりも牢のような場所に入れられていました。私より先に例の部屋に行った一人一人も別々の牢に入れられていました」


「部屋ではなく牢、ですか?」


「はい。時代劇で見るような木の枠で出来た牢です」


「そんなものが神社の本殿に?」


「壮絶な経験をしたものですから途中から気を失ってまして、もしかしたら違う建物に移動させられたのかもしれませんが、そう遠くでは無いと思います」


「なるほど。しかし妙ですね。神に捧げる器だというのに扱いがあまりにも非人道的ですね」


「牢を見張るように立っていた【本人の希望により削除】が言うには『清めた身体を穢さぬように聖域にいてもらう必要がある』とのことでした」


「どう考えても逃げ出さないように、という理由だと思ってしまいますね」


「私もそう思います。ただ、当時の私は言われるがままに従うしかありませんでした」


「そうですよね。【本人の希望により削除】歳の子供にどうにか出来る状況とは思えません」


「それから何時間か経った頃に、私が例の部屋に行く時に残っていた人達も【本人の希望により削除】に背負われたり引き摺られるようにしながら牢に入れられました」


「全員揃った、ということですかね」


「はい、そうです。そうしましたら『これを着ろ』と真っ白な死装束のような物を牢の隙間から渡されました」


「死装束、というのは葬式の時に着せているような物でしょうか?」


「はいそうです。着せられる物がどんな物であれ、ようやく肌を隠せるようになって安心したのを覚えています。そして、着終わった者から順に【本人の希望により削除】の後を着いていくように言われました。建物ではなく洞窟のような場所を歩かされた気がします。実際の距離は分かりませんが、しばらく歩いていますと湖の岬に出ました」


「最初に神社の本殿に集められ、気を失ってしまったために何処にあるかは不明だけれど牢のある部屋に入れられ、しばらく洞窟のような場所を歩いたら湖の岬に出た、ということですか?」


「はい、そうです」


「ということは、湖の岬をくまなく探せば洞窟の入口があって、その奥には証拠となる牢があるかもしれないということですか」


「見つかると良いのですが、見つかりますかね?」


「確か、蛇ノ目湖は遊泳も釣りも禁止でしたよね。それは他所者が湖の周辺に来ないようにという意味があると思うんです。言い方を変えれば、そういう人間に見つかるかもしれないと【本人の希望により削除】は思っているのかもしれません。もしそうだとすれば、場所さえ合ってれば見落とすようなことは無いと思います」


「そういうものですかねぇ」


「もちろん一人で探すには広すぎますので、マンパワーで探しますよ。私、こう見えても沢山の協力者がいるものですから」


「どうか、証拠を見つけてください」


「もちろんですとも」


 ここで外せない電話が入ったため小休憩。


「申し訳ありません。外せない電話だったものですから」


「いえ、大丈夫です」


「お話を続けましょうか。湖の畔に出てからは一体何が?」


「船に乗せられました。そして湖の中央にある小島に渡りました」


「小島に関する資料は見つからなかったんですよ。あそこには何があるんですか?」


「祠と、穴と、祭壇です」


「穴というのは?」


「言葉通り、直径五メートルぐらいの縦穴です」


「祭壇というのは?」


「映画で崖の上や丘の上に設置された生贄を寝かせる石の台座があるじゃないですか。それに似た物です」


「祠と穴と祭壇、ですか。その祭壇で何かをした、ということですか?」


「友人のAだけが【本人の希望により削除】に言われて祭壇の上に仰向けで寝かされました。そして『残った奴らは祭壇に近付くな』と言われました」


「祭壇には一人だけ、ということですか。何のために七人も集めたのか不思議ですね」


「そう思う人がいたようで『私はどうなるの?』と聞いた人がいました。しかし返答はあまりにもシンプルでした。『お前らは贄だ』と」


「贄、ですか。器に対する言葉とは思えませんね」


「ここから先は私の憶測なのですが、おそらくですよ? おそらく、私は”鳴萬我駄羅様”に適していなかったんです。適していなかったというよりも、好みに合わなかったと言うべきでしょうか。要するに【本人の希望により削除】にとって私の身体は【本人の希望により削除】ということだったのでしょう」


「ちょっと、言葉が出てこなくてすみません。人はここまで邪悪になれるのかと思うと胸が痛くて」


「『人』ではなく『【本人の希望により削除】』ですよ。いえ、それも間違っていますね。『人』ではなく『鳴萬我駄羅様』というのが正しいですね」


 お恥ずかしい話ながら、私の気分が悪くなったため五分程の小休憩。


「申し訳ありません。お話を聞かせていただく立場としてあまりにも失礼なことを」


「構いませんよ」


「それでは、話の続きをよろしくお願いします」


「はい、分かりました。そして、選ばれなかった私達は縦穴を囲むように立たされました。そしてこう言われました。『目を瞑り、合図があったら穴の中に飛び降りろ』と」


「穴というのは縦穴のことですよね? 深さはどのぐらいありましたか?」


「分かりません。底が見えないんです」


「底が見えないとなると、かなりの深さになりそうですね」


「その穴に落ちた人間は決して出てこれないと思います。蛇ノ目には縦穴に関する小話が昔からあるんです。その穴は『口』と呼ばれていました」


「口? 食べたり話したりする口ですか?」


「そうです。小さい頃、両親に『悪いことをしたら鳴萬我駄羅様の口に落とされちゃうぞ』と言われていたんです。その時は不思議に思いませんでしたが、あの穴が『口』であるならば納得が出来ます」


「つまり、その穴は蛇神様の口であるということですか?」


「『何を馬鹿げたことを』と思うかもしれませんが、あの穴を見れば分かります。あの穴には落ちたら危ないとか以前に、本能的に近付きたくないと思わせる凄みがあるんです。穴の底から死臭のような不吉なニオイが漂ってくるんです」


「不吉なニオイ、ですか」


「あの臭いだけは、一生忘れません。あの臭いよりも酷い臭いを嗅いだことは今の今までありませんから」


「なるほど。どうにかしてその祭壇と穴の調査をしたいですね。今の時代、ドローンがありますからね。手配すれば調査は出来ると思います」


「よろしくお願いします」


「少し話が脱線してしまいましたね。穴の周りを囲むように立たされてからは何があったのですか?」


「はい。実は、私は子供の時に木から落ちたのがキッカケで高い所が苦手でして。穴の淵に立つことすら怖くて出来なかったんです。【本人の希望により削除】から怒鳴られましたが、腰が抜けて立てなかったんです。いつまでも立ち上がらない私に痺れを切らしたのか【本人の希望により削除】は私の髪を鷲掴みにすると、皆より先に穴の中に落とそうとしたんです。私はもう怖くて怖くて。鷲掴みされた髪が沢山抜けることもお構いなしに、私は穴から離れるために走りました。ブチブチブチ、と髪が抜ける痛みと【本人の希望により削除】の怒号が身体に疾走りましたが、とにかく無我夢中で走りました。その時です。バンッと破裂音がしたんです。そして少し遅れてお腹が熱くなったんです。熱くなったお腹に触れた時に理由が分かりました。血がベッタリと手に付いていました。お腹に穴が開いていたんです」


「どういうことですか?」


「いつから持っていたのかは知りませんが、【本人の希望により削除】が猟銃を持っていたんです。私を狙って撃った弾がお腹を貫いたのです」


「子供に向かって発砲、信じられないですね」


「はい。ありえません。ただ、あの場所では、【本人の希望により削除】にとっては普通のことだったのです」


「それで、どうなったのですか?」


「船には【本人の希望により削除】がいたものですから、私は湖に飛び込みました。湖に飛び込んでからも私の周りに時折水飛沫が上がりました。おそらく湖に飛び込んだ私を狙って撃ってきていたのでしょう。しかし、困ったことになりました。無我夢中で湖に飛び込んだまでは良かったのですが、私はそこまで泳ぎがあまり得意なわけではありません。さらにはお腹に熱したフライパンを当てられているような強い痛みもあって、一分も経たない内に力尽きて私は溺れてしまいました。全身を冷やす湖の水、湖に沈んでいく身体、遠ざかっていく光、水と共に揺らめく空の景色。現実と妄想の狭間が分からなくなる程に意識が朦朧としていきました。そして気が付くと、星ノ浜に流れ着いていました」


「えっと、星ノ浜に? 蛇ノ目湖から鳴間川を流れて星ノ浜に流れ着く。物理的には可能ですが、かなりの距離がありますよ」


「気を失っていたのでどのぐらいの時間が経ったのかは分かりませんが、とにかく私は星ノ浜に流れ着いていたのです」


「にわかには信じられない程にスゴい確率だとは思うのですが、実際に流れ着いたというわけですね」


「はい。信じてもらえないかもしれませんが、本当に星ノ浜に流れ着いていたのです。そして、父に、既に亡くなっていますが、私の新しい父となる人に助けられたのです。倒れた私を背負って病院まで連れて行ってくれて、初めて会った私の治療費を全額払い、最終的には家族に迎え入れてくれて、色々な手続きの後に学校にまで通わせてくれました」


「親戚もしくは知人だったということですか?」


「いえ。血の繋がりもありませんし、面識も全くありません」


「それでは、助けてくれた方は裕福な家の人だったのですか? 急に子供を養うだなんて難しいと思うのですが」


「後から聞いた話なのですが、病気で亡くなったお子さんと私が似ていたようで、見捨てることが出来なかったそうです」


「なるほど。それからは育ての父の家で過ごされたのですか?」


「はい。私は一度も蛇ノ目には戻っていません。ただ、父が一度だけ蛇ノ目に行きました」


「それは、アナタの家族に会うために、ですか?」


「はい、そうです。私が帰りたくないと駄々をこねたものですからしばらくは匿ってくれたのですが、父には父かりに思う所があったようで。父は私の本当の両親のことを心配して蛇ノ目に向かったのですが、それは何の意味もありませんでした」


「何の意味もない、とはどういうことですか?」


「父は私の両親にあったようなのですが、娘の、つまり私の話をしたらこう言われたそうです。『娘は鳴萬我駄羅様の器として今も生きている』と」


「まさか湖から星ノ浜まで流されているとは夢にも思わないでしょうね。器渡りの儀式に行ったまま帰ってこない、ということはもう、その、ねぇ」


「父が『娘さんは今も人として生きている』と伝えたら、私の両親は怒り出して石を投げてきたので慌てて逃げ帰ったそうです」


「いきなり知らない人が来て、『死んだと思われている娘さんは生きてますよ』だなんて言われたらパニックになるのも分かりますが、色々と考えさせられますね」


「それからは、蛇ノ目と関わるようなことはせずに今の今まで生きてきました。蛇ノ目は、私の生まれ育った場所ですが、もう、帰る場所ではないのです」


「器渡りが世に知れ渡れば、少しずつでもきっと変わってくれるはずです」


「私も、そう信じています」


「本日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました」




 蛇ノ目の地に伝わる「器渡り」と呼ばれる儀式の恐ろしさを御理解いただけただろうか?

 それは伝統という言葉でカモフラージュしただけの、非人道的で倫理観の欠片も無い極悪非道という言葉では足りない程の悪習である。


 これを読んだアナタに警告する。


 器渡りという言葉を外で言うことはオススメしない。器渡りという言葉は蛇ノ目では他言無用とされている。

 たとえ蛇ノ目から離れた地にアナタが住んでいようとも、鳴萬我駄羅を現代も強く信じている者に目をつけられでもしたらどうなるだろうか?


 アナタが本当に賢ければ、わざわざ説明しなくても分かるだろう?




 出光レポート 蛇ノ目の器渡り

 阿波岐出光




 真がページを捲ると、そこには筋肉室な男とスタイルの良い女性が水着姿で決めポーズを取っている良く分からないサプリメントの広告がデカデカと載っていた。

 どうやら蛇ノ目の器渡りについての記事はこれで全てのようだった。

 

「ネットで叩かれてる通り、馬鹿馬鹿しいな本当に」


 真は読むのに使った時間が完全に無駄であったと後悔の深い溜息をつき、雑巾を絞るように雑誌を丸めると、背負った籠の中に投げ入れた。


「結局『器渡りに関する資料』は出てこなかったし、名前や性別や年齢を全部伏せたことをさも当然のように言ってるけど、要するにそんな人は存在しないってことなんじゃないの? 前半はともかく、後半は打ち切りが決まった連載漫画よりも酷い無茶苦茶な畳み方だったし、ただの悪趣味おじさんの変態ブログの延長にしか見えないなぁ」


 真は出光レポートがネット上で叩かれている理由に納得をした。

 ネット上で叩かれているのは、真が抱いた感想と同じように過激な表現がある割には無茶苦茶な展開を迎えるのが恒例であるからだ。

 創作物としての面白さはあっても、それを実在する土地と、ましてや自分の住んでいる地域の近くの土地を、他所者が面白可笑しく記事にするという魂胆に真は強い不快感を覚えた。


「読み物としてはまぁ、面白かったけど、これを本気で信じちゃう人が本当にいるのかなぁ。にわかには信じがたいなぁ」


 真は胡散臭い記事に時間を使ったことを反省し、幽子の応援をするためにその場を後にした。

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