第4話 黄眼の少女
四話 黄眼の少女
合図をしたわけではないのに、真と幽子はゆっくりと顔を見合わせた。
流れる沈黙と場にそぐわない爽やかな風。
真はゆっくりと幽子の方を見ながら果南に聞こえないように小さな声で言った。
「ユウ姉には視える?」
真は「視える」という単語を強調して言った。それは霊感がある幽子にしか見えないナニかを果南が見たのだと思ったからである。
しかし、幽子はプルプルと首を左右に振った。
「何も」
幽子の言葉を聞いた真はさらに声を小さくして言った。
「果南の奴、バスに乗ってる時にも見たって言ってたんだ。茶畑の辺りで。僕には何にも見えなかったけど」
幽子がゴクリと唾を飲んだ。何か嫌な予感がする。幽子のこれまでの経験上、嫌な予感が外れたことはない。
「その時はどんな風に言ってたの?」
「どうだったかな。白いワンピースの女の子がいるだの言って手を振ってたような」
「白い、ワンピース」
白いワンピース。蛇ノ目神社に祀られている白大蛇の鳴萬我駄羅と何か関係があるのだろうか。偶然の一致なのだろうか。
幽子は頭の中であらゆる可能性を考えたが結論は出なかった。
「何かあるの?」
不安そうに幽子の顔を覗き込んだ真に対して、幽子は笑顔を見せた。
「ううん、別に」
その笑顔が作り物であることに真は気が付いたが、それを指摘しようとは思わなかった。
「本当にナニかがいたとしても、敵意があるわけじゃないなら大丈夫だから」
その言葉は安心させるための言葉だったが、かえって不安を煽る言葉でもあった。
真と幽子がヒソヒソと果南に聞こえないように話しているその後ろで、ワンピースの少女は果南と目を合わせながら一本だけ立てた人差し指を口に当てた。
そして、人差し指を一度口から離すと口の動きでこう訴えた。
「ナイショ」
読唇術など知らない果南だったが、どういうわけか少女の言いたい言葉が頭の中に浮かんできた。
果南は少女の顔をもう一度見た。少女は人差し指を再び口に当てて口角を上げた。
果南がコクンと頷くと、少女は歯を見せてニカッと笑った。
「マタネ」
少女が口の動きで一方的に別れを告げると裸足のまま神社の方へと走って行った。
「あ、行っちゃった」
「この辺りに住んでる子なのかな。ちょっと分からなかったなぁ」
幽子は少し食い気味に果南の言葉に反応した。
「そっか。ユウ姉ェも知らない子だったんだ」
幽子は見えているとも見えていないとも言わず、曖昧な返事をした。確証を得るまでは果南に余計なことは言わないと判断したのだろう。
真は幽子に合わせることにした。
「茶畑で見た子と同じだった?」
「うん、同じ子だったよ。白いワンピースだったし背丈も小学一年生ぐらいで同じだったし髪は長かったし」
「黄色い目をしていた」という一番目立つ特徴を言わなかったのは、少女の「ナイショ」という言葉が目のことかもしれないと思ったからだった。
「ユウ姉、この辺って今も子供いるの?」
「いないことはないよ。ちょっと遠いけど蛇ノ目第二分校が向こうの方にあるし」
「へぇ、そうなんだ」
「分校ってなぁに?」
「それはねぇ」
話題が変わったために幽子も真もそれ以上追及するのをやめた。
三人は話しながら再び歩き始めた。
数分も歩くと、瓦屋根の大きな平屋の前に到着した。
縁側の近くには盆栽がいくつか並んでおり、庭の半分程は野菜を植えている畑があった。
「玄関はずいぶんと今風なんだね」
真は玄関の扉についた施錠用のパネルを見ながら言った。
「去年リフォームしたんだって」
幽子は施錠用のパネルのボタンを何度か押した。ピピピッという音の後にガチャリと解錠したような音がした。
「じゃあ、荷物下ろして一息ついたら神社に行こうか」
幽子が家の中に足を踏み入れると、真と果南も後に続くように家の中へと進んだ。
「よし、準備は良い?」
「おっけー」と果南は手を上げながら答えた。
荷物を和室の一箇所にまとめ、幽子が買ってきたお茶を飲んで一息ついた三人は立ち上がった。
「手袋か軍手はある? 無かったら予備があるから言ってね」
真と果南がそれぞれ手袋を準備しているのを確認すると、幽子は予備の軍手をポケットに突っ込んだ。
「道具は神社にあるんだっけ?」
「うん。裏手に物置部屋があって、そこに入ってるはず」
「了解。今は、十時前か。どのぐらいいけるのかな」
「焦らなくても時間はあるから」
三人は玄関で靴を履き、順に外へと出た。
「あ、施錠しないと」
幽子がパネルの操作をするとガチャリと音がして扉が開かなくなった。
「よし、完璧」
既に神社に向かって歩き始めていた果南と真を追いかけるように幽子は早足で二人の元へと急いだ。
「物置部屋はこっちにあるの?」
真が指をさしたのは背丈と同じぐらいまで伸びている雑草の壁だった。
「確かそうなんだけど」
「まだゴールデンウィークだってのに何でこんなに草が伸びてるんだよ」
「何でだろね。成長が早いのか冬もこんな感じだったのかな」
「果南が取ってこようか?」
「いや、まぁ、僕が取って来るよ」
雑草を掻き分けて進むことに抵抗はあったが、唯一の男子ということもあり真は見栄を張った。
「じゃあそれっぽいの取ってくるから」
そう言いながら、真は顔をしかめながら雑草の壁を掻き分けながら進んだ。
草のニオイが辺りを包み、ポロポロと溢れる種のようなモノが早くも靴の中へと入ってきた。膝の辺りには気が付かなかった蜘蛛の巣がベッタリと張り付いていた。
「最悪すぎる」
「一度こうなってしまってはどうでも良いや」と開き直った真は進む速度を早めた。
やがて、百人乗っても大丈夫とは言い難い所々凹んだ物置部屋が姿を現した。
扉に手をかけたが、何かが当たっているのか建付けが歪んでいるからなのか扉がなかなか開かない。
「鍵がかかってる感覚じゃないけどなぁ」
ガタガタと力任せに開けようとすると突然勢いよく扉が開いた。
扉を開けた途端に砂埃が真に降りかかる。
「うわッ!? ゲホッゲホッ」
ツンとする土と錆のニオイが立ち込める物置部屋は様々な道具で埋め尽くされていた。
中を見回すと、比較的近い所に砂埃を全然被っていない栗や柿を収穫する時に使うような背負い籠が三つ並んでいた。背負い籠の中にはゴミ袋やトングが入っていた。
「これか、源ジィが言ってたやつ」
真は籠を一つ背負うと、残った二つの籠を手に持って物置部屋を後にした。
「はい、コレ」
真は籠を果南と幽子に差し出した。
「ありがとマコ兄ィ!」
「マコちゃんありがと。大丈夫だった?」
「まぁ、別に」
真は服やジーンズの砂埃を払いながら言った。
「ねぇねぇ、分担はどうするの?」
「うーん、後からゴミの分別するのは大変だよね」
幽子が口をすぼめて考えていると、真が思いついたように口を開いた。
「だったらそれぞれ缶、ペットボトル、可燃ゴミだけを拾うようにすれば良いんじゃない?」
「そうしてみる?」
「果南はそれで良いよ」
真は再び思い出したように口を開いた。
「不燃ゴミはどうする?」
「不燃ゴミは、とりあえず、うぅん。籠には入れずに分かりやすい所にまとめておこうか」
「果南はペットボトルが良い! 軽いから!」
果南はトングをカチカチと鳴らしながら言った。
「一つ一つは軽いかもしれないけど量は知らんぞ」
「とりあえずカナンちゃんがペットボトルね」
「りょーかーい」
「ユウ姉はどうする?」
「マコちゃんが好きな方で良いよ」
「じゃあ、可燃ゴミにする」
「分かった。私が缶をやるね」
分担が決まったことで、三人は辺りをグルリと見回して最初に向かう場所の目星をつけた。
「じゃあ各自で担当のゴミを拾おうか。担当外のゴミも分かりやすい所にまとめておくと良いかもね」
「了解」「りょーかーい」
「いっぱいあるなぁ」
果南は二人とは離れて駐車場の近くに来ていた。
車で来た人達がそのまま缶やペットボトルを捨てたのか、草むらの中も含めると相当な数が捨てられていた。
その一つ一つをトングで掴んでは籠に入れる。掴んでは籠に入れる。
幾度と繰り返していると夢中になって周りの音があまり聞こえなくなっていた。
「おい、聞こえているのか?」
突然耳に届いた声に果南の身体はビクッと震わせ、慌てて声のした方を見た。
そこには白いワンピースを着た目が黄色い少女が立っていた。
「あ、さっきの女の子だ。こんにちは」
少女はふんぞり返るように胸を張り腕を組んだ。
「ふむ、視えているのだな」
少女はニヤリと笑った。
「『みえている』って何のこと?」
果南の問いに少女は目を丸くした。
「ほぉ? まぁ、よいよい。気にするな。お前はこんな所で何をしている?」
「ゴミ拾いだよ。ホラ」
果南は少し屈んで背負った籠の中のゴミを少女に見せた。
「フン。罰当たりな奴が多いのだな」
「そうだよね。神社なのにね。神社には神様がいるから悪いことをしたら罰が当たっちゃうのに」
「まこと、その通り」
少女はシュロロロと妙な音をたてながら笑った。
「時にお前、この辺りの人間か?」
「果南はねぇ、裏のおばあちゃんの駄菓子屋の近くだよ」
裏のおばあちゃんというのは、真や幽子や果南の三人が子供の頃によく行っていた近所の駄菓子屋のことである。
レジスターがあるにも関わらずポケットや机の引き出しからお釣りを出す様子が「怪しい取引みたい」と子供達の間で噂になり、いつからか「裏のおばあちゃん」といえば近所の駄菓子屋のことを指すようになっていた。
「『うらの、だがしや』? 聞かぬ名だなぁ。他所者か?」
「あ、ごめんね。裏のおばあちゃんっていうのはねぇ、えっと、鳴間北中は知ってる? あそこからそんなに離れていないんだけどね。そこの」
果南の要領を得ない説明に顔を歪めた少女は手をパンと鳴らして遮った。
「もう良い。興味が失せた」
「え、あ、そうなの?」
少女は果南の首元に顔を近づけてスンスンとニオイを嗅いだ。
「ん? 血は遠い。どういうわけだ?」
「『ちはとおい』?」
「気にするな。少し黙っていろ」
少女は口に手を当てしばらく考え込んだ。
「ねぇ、お名前何て言うの? 私は大場果南。中学三年生」
「黙っていろと言ったろう?」
「へ?」
「ハァ。子供と話すのは疲れるなぁ。で? 何だ?」
「お名前は何て言うの?」
「ワシは」
そこまで言ってから少女は再び黙り込んだ。そして果南のことを値踏みするように全身をジロリと舐め回すように見つめた。
「ん?」
「ワシは、ナルマだ」
ナルマの口角がゆるりと上がった。
「スゴい! 鳴間市の鳴間とおんなじなんだ!」
ぱっと目を輝かせた果南にナルマは眉をピクリと震わせた。
「当たり前だろう」
「どういうこと? あ、分かった。市長さんの娘さんなんだ」
「違う。ワシの名が地名になったんだ」
そう言いながらナルマは足元に落ちていたペットボトルを裸足のまま蹴り飛ばすと、一度木に当たってから果南の背負う籠の中に落ちた。
「わぁ! サッカー上手なんだ!」
パチパチと手を叩く果南にナルマは首を傾げた。
「『さっかあ』? 何だそれは」
「え、ナルマちゃん。サッカー知らない?」
「知らん」
「小学校でやらないの? サッカー」
「ワシは、小学校とやらに通ってない」
「え?」
ここに来てようやく目の前の少女に対して果南も違和感を覚えたが、その違和感は「やけに大人びているけど小学校入学前なのかな?」という解釈ですぐに消え失せた。
「そっか。ナルマちゃんも小学校に通うようになったらやれるかもよ。サッカー」
「小学校とやらは『さっかあ』をするところなのか?」
「違うよ。小学校は勉強をするところだよ。そうだ! 人生を長く生きた先輩として果南が良いことを教えてあげる。ナルマちゃん、勉強はサボっちゃ駄目だよ」
エヘン、と胸を張りながら言った果南に対して、ナルマはシュロロロと妙な音を立てながら笑った。
「面白いな。お前」
「え、何が?」
「分からんなら分からんで良い」
「ふぅん」
果南はトングでペットボトルを一つ掴んで背負った籠に入れた。
ボコボコと籠の中でペットボトルがぶつかり合う音がする。
「そういえば、何でマコ兄ィとユウ姉ェにはナイショって言ったの?」
「誰だ? その『まこにぃ』と『ゆうねぇ』とやらは」
「誰ってホラ。坂道であったでしょ。果南と一緒にいたもう二人のこと」
ナルマは口をへの字に曲げて少し考えてから「あぁ」と呟いた。
「小僧と草薙の血の娘のことか」
「『ちのむすめ』じゃなくてユウ姉ェだよ。幽子っていうの。あと、小僧じゃなくてマコ兄ィだよ。見抜って言う珍しい名字なんだけどね。名前が」
「見抜? ほぉ、懐かしい」
ナルマは果南の話を遮るように声を上げた。そして先に切れ目の入った舌でペロリと自分の上唇を舐めた。
「マコ兄ィのこと知ってるの?」
「『まこにぃ』とやらは知らんが、見抜の小僧とは色々あってな」
ナルマはシュロロロと音を立てた。
「へぇ。マコ兄ィの知り合いなんだ」
「ワシの話を聞いているのかお前は」
ナルマは草むらに落ちていた空き缶を足で掴むと果南の籠に放り投げた。
空き缶は綺麗な放物線を描いて籠の中にカランと入った。
「あ、ナルマちゃん。私はペットボトルの係だから空き缶はユウ姉ェに渡さないと」
果南の言葉にナルマはあからさまに不愉快だと言わんばかりに顔をしかめた。
「はぁ? お前はゴミ拾いをしているのだろう?」
「それはそうなんだけど。ゴミは分別して捨てないといけないから。マコ兄ィとユウ姉ェと分担してて、果南はペットボトルだけを集めてるの」
「燃やせば一緒だろう?」
「リサイクルがあるから分別するんだよ。知ってる? リサイクル」
「知らん」
ナルマは草むらに落ちていた煙草の空き箱や空き瓶も果南の籠に放り投げた。
「わぁ!? 危ないよ」
「当たらんわ。お前が動かなければ」
「それにこれもペットボトルじゃないよ。ペットボトルはこういうの。透明で軽いやつ」
果南は近くに落ちていたペットボトルを指さした。
「どうせ拾うなら同じだろう?」
「えっと、だから分別しないといけなくて」
「燃やせば一緒だろう?」
「いや、えっと」
果南は少し考えてからゴミ袋を一つ渡した。
「ナルマちゃんはこの袋に入れて。後で分別するから気にしなくて良いよ」
「フン。ずいぶんと面倒くさいのだな」
ナルマは袋を乱暴に受け取ると近くのゴミを手当たり次第に入れ始めた。
「ナルマちゃんのこと、後でユウ姉ェ達に紹介しないとね」
「それはやめろ」
急に声色が変わったことに果南はドキリとした。
「な、なんで?」
「草薙の血は好かん」
そう言いながら、ナルマは拾い上げていたスチール缶を片手でバギッと一思いに握りつぶした。
「もしかした、ユウ姉ェと喧嘩しちゃったの?」
「ずいぶん昔に草薙と喧嘩をしたからな。顔を合わせなくて済むならその方が都合が良い」
ナルマは握りつぶして棒状になったスチール缶を両手で包み、さらに圧縮して小さな球体を作り上げると、その球体を口の中に入れてコロコロと口の中で転がして音を鳴らした。
「そ、そうなんだ」
「さっきの小僧にもワシのことは内緒だぞ」
「果南はそれでも良いけど、本当に良いの?」
一緒に遊びたいから自分の所に来たのだと思っていた果南はすぐには食い下がらなかった。しかし、それがナルマの怒りに触れる。
「なんだその目は。ワシを憐れむような目で見るな。不愉快だ」
「ご、ごめん。そういうつもりじゃ」
ナルマはフンと鼻を鳴らした。
「とにかく。ワシのことは二人には内緒だぞ。良いな?」
「うん」
その時、境内の方から足音が近付いてきた。
「カナンちゃん、そっちはどう? お、だいぶ集めたねぇ」
果南の姿が見えないことに不安を覚えていた幽子は果南の姿を見つけるとニコリと笑った。
「ユウ姉ェ!?」
果南は慌ててナルマの姿を自分の身体で隠そうと両手を広げたが、ナルマの姿はどこにもなく、様々なゴミが入ったゴミ袋が一つ無造作に置かれているだけだった。
「あ、あれ?」
「どうしたの、カナンちゃん」
「い、いや。何でも無いよ」
果南はナルマの姿を探すように辺りを見回したが、彼女の姿を見つけることは出来なかった。
「ずいぶん薄れたのぉ。草薙の血は」
果南と幽子の頭上には、大木の枝に座るナルマの姿があった。
ナルマは枝の上で仰向けに寝転がり、口の中に入れていた球状のスチール缶を勢いよく吐き出した。
吐き出された球体はさらに上の枝に止まっていた小鳥にぶつかった。
あまりの衝撃に脳震盪を起こした小鳥はそのままナルマの口の中に落ちた。
ゴクッ。
小鳥を丸呑みしたナルマは上唇をゆっくりと舐め回した。
ナルマはコウモリのように枝の下側に逆さまに座り、果南と幽子の二人を見つめた。
「あの身体は使えそうだなぁ」
そう語るナルマの瞳は不気味に黄色く光を帯びた。
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