第37話 記憶 後編

「お疲れ様、ミリエラ。拭浄レディートの魔術はもう習得と見て良さそうね」

「本当ですか! 良かったです……」

「ミリエラの努力の賜物よ」


 ぽふ、とリーファに頭を撫でられる。

 その感覚はかつての姉、ティアを想起させ、ミリエラはにへらと顔を綻ばせた。


「うむ、すごく綺麗だ」

「ひゃぁっ、イクス様!?」

「全くもう、突然入ってきたらミリエラが驚くっていつも言ってるじゃないですか」

「す、すまない」


 イクスがしょぼんとする。


「い、良いんです全然! 私もその、気配とかもっと分かるようにならないとですし! イクス様のせいじゃないです!」

「ふむ。だが、ミリエラの成長は既に目覚ましい。あまり無理はするなよ」

「はいっ! 頑張ります!」

「うむ」


 最初の数日と比べると慣れてはきたが、まだ近くで話すと少し緊張する。

 隣でリーファが「無理をしないことを頑張ってどうするのよ」と一人でツッコミを入れていた。


「そうだ、二人に差し入れだ」

「マドレーヌ……!」

「今日は珍しく手に入ってな。絶品だ」


 そう手渡されたマドレーヌは、バターの艶もさることながら、芳醇な香りが鼻孔をくすぐる。

 勢いよく口にすると、じゅわりと生地がとろけた。


「おいひいれふ~!!」

「うむ。ふみゃい」

「こらこら二人とも、食べながら喋らない」


 一つでも充分幸せになれる美味しさだ。

 ミリエラは余韻を噛みしめる。

 そんな彼女を見ながら、リーファが言う。


「そういえばイクス様、お菓子を買ってくることが増えましたよね」

「……そうか?」


 イクスに自覚はないようだ。


「ミリエラが来てから増えましたよ。帳簿は私が付けているんですから、間違いありません」

「むむ。余計な出費なら、辞めるが」

「いやいや、そういう事ではないです。ミリエラのために買ってきているんでしょう?」

「そうだな」

「なら良いんです。私たちの時はもっと不器用でしたからね。成長したな~と思って」


 と、イジワルそうに笑うリーファを見てイクスが少しむくれる。


「自分でもよくわからないが……なんとなく、世話を焼きたくなる、と言うか……」

「へぇ~」

「何だその顔」

「何でもないですぅ~。ねぇミリエラミリエラ、こういう、むすーっとしたイクス様も可愛いわよね?」

「え、えぇっ!? えっと、そ、そそそそうっ、ですね!?」

「むぅ」

「ふふ。ミリエラも可愛いわね」

「イジワルです~」


 ついでにミリエラもむくれる。

 だが、こんな日々はミリエラにとって、本当に夢のようだった。


 何気ない日々の中の、小さな笑顔たち。

 ナイトヴェイル家に来てからはよくあることだったが、これを幸せと呼ぶのかも知れないとミリエラは感じていた。


(こんな毎日が、ずっと続けば良いな……)


 いつからか、彼女はそう願っていた。



――


――――



 体中の筋肉が軋み、ミリエラの意識が戻る。


「うっ、ここ、は……」


 暗い。

 場所はわからないが、どこかの部屋のようだ。隅ではなく、中央に横たわっていたらしい。

 足と手が縛られていて身動きが取れず、通信は相変わらず復旧していない。

 せめて、と、座った状態にまで体勢を戻す。


「起きましたかな?」


 視界の隅から、ぬっと男が顔を出す。

 短い茶髪に口ひげのある、恰幅の良い男――ゴドール・エルコビッチ宰相だ。

 難しい顔をしている。


「わた、し……」

「大変でしたぞ。ゼナヴィス殿が貴女を抱えていましてな。どうしたのかと声を掛けたところ、『この女は敵の可能性がある』と」

「そんな! 私、違います!」

「私もナイトヴェイル家の人間が敵などとは思っておりませんわ。流石に何かの間違いだろうと、何とかしてゼナヴィス殿から貴女を預かった訳でございます」

「ありがとうございます……でも、この縄は……」

「ああ言われた手前、念のためです。……一つ、質問にお答え頂いたら、解放しましょう」


 部屋の明かりがつく。

 ゴドールの真っ直ぐ見据えてくるその目に恐ろしさを覚え、ミリエラは一瞬たじろいだ。

 嫌な感じがする――


 少し遠ざかり、パチリ、とゴドールが指を鳴らす。


「う、ぐぁっ」


 何かの魔術が起動したのがわかる。

 よく見ると、視界の端にフードで目隠しをした黒服の者が二人いた。

 その二人とゴドールが三角形を作り、中央にミリエラが置かれた形だ。


魔術妨害イレクト=ディスターヴ

「うああぁぁぁっ」


 体中に痛みが走る。

 特に、耳と目と頭皮の痛みが酷い。

 反射的にうずくまり、目を閉じてしまう。


「質問は一つだ」


 ゴドールが淡々と言う。


「貴女の、目の、色は?」


 その凄みは、聞く者に行動を強制させる。

 ミリエラは目を開け、恐る恐るゴドールを見る。


「はは。はははは」


 目が合った瞬間、ゴドールの口元が歪んだ。

 狂ったように大声で笑うゴドール。


「はははははははは! 決まりだ。のこのこ捕まりにやってくるとは! 間抜けな女だ、ミリエラ・アーギュスト」


 誰にも知られていないはずの――誰にも知られたくない、家名が呼ばれた。

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