第19話 ここここ恋!?

「こ、こここっここっこれが大浴場……!」


 ニワトリの如き吃りと共に、嬉しさに打ち震えるミリエラ。

 想像以上に喜ばれてしまい、リーファは思わず苦笑する。


「ふふっ。お仕事が終わった後は、自由に使って良いわよ。お掃除は当番制ね」

「じじじじ自由に!?」


 脱衣場も随分と大きかったが、浴室も想像以上に大きい。


(こんなところがお仕事終わりに自由に使えるなんて……しあわせすぎます!)


 体表面の汚れを拭浄レディートの魔術を掛けたタオルで拭き取った後、待ってましたとばかりにざぶんと浸かる。


「ふぁ~……」


 またしても間の抜けた声が漏れてしまう。

 今日はこんなことばかりな気もする……。


 実は、大浴場と言うのはミリエラの夢のひとつだった。

 古書の物語の中には、大きな穴に溜まった湯に浸かり、民と交流しながら事件を解決する、と言うちょっと変わった探偵のお話があり、それは話自体が面白かったと言うこともあり度々読み返していたのだ。


 ざざ、と湯に手を泳がせる。

 全身が温かさに包まれた体験なんて初めてだ。顔や髪に触れる湯気も心地良く、優しく磨いてくれているよう。

 表面の汚れだけではなく、体内の疲労まで溶けてなくなっていくようだ。

 まさに極楽。


「まさかこんな風に夢が叶うなんて……」

「あら、大浴場が夢だったなんて珍しい。書物でも滅多に見かけないのに」

「えぇっと……昔の、物語には、結構あったんです」

「やっぱりそうなのね。ここは何代か前の当主様が、皆で過ごすお風呂と言うのに感銘を受けて作ったものだそうよ。古代ではよく見かけたそうだけれど」

「そうなんですか」

「ところで、ミリエラ」


 ずい、とリーファが寄ってくる。


「今日一日は、どうだった? ナイトヴェイル家でやっていけそう?」

「それは……」


 今日一日。

 何があったっけ。

 美味しいご飯、初めての魔術、初めての楽しい買い物……

 ありすぎだ。

 一つ一つ噛み締めて思い出さないともったいないとすら感じてしまう。


「あ、やっぱり色々急すぎたかしら? その、私も新しい家族メイドは久しぶりで、つい楽しくなっちゃって……」

「いえっ、違うんです!」

「え?」


 ほろりと顔を綻ばせる。


「今日一日の出来事、どれも幸せでした。本当に現実なのかな、って、思ってしまうほどに……」


 そんなミリエラをぎゅっと優しく抱きしめるリーファ。


「現実よ。そしてこれからもずっと。あの方が拾ってきたんだもの、きっと辛い過去があったのでしょう?」

「……っ」


 涙が溢れそうになる。


「大丈夫。これからは私たちがあなたをしっかり守るわ。あぁ、もちろんメイドのお仕事はしてもらうけれどね」

「はいっ……! がんばります!」


 そうだ、とリーファが離れ、その顔を見る。ちょっとイジワルそうな顔だ。


「恋バナでもしましょうか」

「こ、鯉?」

「魚の方ではないのよ」


 え。

 と言うことは、ここここ恋!?

 恋愛の物語は読んできた古書にも多くあり、魔法使いの話が多かったせいか、悲恋が多かった。

 しかしだからこそ、そういった恋愛には感情移入してしまう。

 かつては、理想の恋愛なんかを夢想したことも……。


「イクス様のことなんだけれどね」

「えっ」


 もしかして、恋人が? いや、婚約者かもしれないし、もう結婚しているのかも。


「あの方、口数が少ないでしょう? そのせいで勘違いされることも多くって、なかなか女性と上手くいかないのよ」

「なるほど……」

「『こうなればあやつが信頼しているメイドと結婚させるしかあるまい』なんて叔父のダグラス様は仰るんだけど……」

「え、じゃあリーファさんが?」

「私は……ダメよ。私はあの方の従者であることに、生涯を捧げると決めた身だから。まぁ、少し姉っぽいと言うか、他の家なら不敬になりかねない距離感ではあるけれどね」


 そう苦笑する。


「メイドは後二人いるのだけれど……セラは奔放すぎて社交の場ではすっっっっっごく不安だし、ミリスは落ち着きは良いんだけど魔術に恋する魔術女子なのよね……」

「か、変わって、ますね……?」

「そうなのよ」


 はぁ、と息をつくリーファ。


「そ、こ、で! ミリエラはイクス様のことどう思っているのかと、気になったのよ。初日にこんなこと聞くのも変な話だけれど、最初の印象も大事だと思うのよね」

「イクス様のこと……」


 そう言われて思い出せるのは、昨夜のこと。


 月明かりにたなびく銀髪に、蒼い光を灯した灼眼。

 黙って貸してくれたあたたかい胸。

 向けられた、やわらかな微笑み。


「……」


 なんだか急に恥ずかしくなってしまった。

 顔まで湯に浸かり、ぼこぼこと音を鳴らす。

 あ、まずい、息がなくなってきた。


「ぷはぁ! えと! イクス様のこと、そうですね! えと!」


 何かの感情を誤魔化すかのように、つい語気が強まる。


「優しい人だなって、思いますっ」

「ふんふん。なーるほど」


 にやりと笑ったリーファの顔は、見なかったことにした。


「あれ?」


 視界が急にぐるりと回る。

 全身が、特に顔がやけに熱い。

 あ、これって――


 のぼせた……。

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