第10話 おいしいごはん

 その後、イクスとリーファが食堂へ入ると、椅子にも座らず隅で直立しているミリエラがいた。


「立って待っていたの?」

「あ、えっと、も、申し訳ございませんっ、お掃除できそうなところも無かったので、それで」

「あら、言い忘れていてごめんなさい。座っていて良かったのよ、ミリエラ」


 苦笑しながらリーファが続ける。


「ナイトヴェイル家はちょっと特殊でね。侍女はいなくてメイドだけ。しかも食事は主とメイド、全員一緒に摂るの」

「変わったお家ですね……?」

「……皆、家族だから」


 イクスが席につくのに流されるように、ミリエラも着席する。魔術具が料理を載せてやってくると、リーファがそれを配膳した。


「そのメイドも、主が自ら選んだ、信頼に足る者だけがなるんですよ。ちなみにイクス様付きのメイドはあなたで四人目ね」

「そんなしきたりがあるんですね」

「……うちは代々、戦場に立ってきたからな」


 彼の言葉足らずさをリーファが補う。


「それで親族が減ることも多くて。大人数で囲む食卓が好きだった昔の当主が決めたしきたりだそうよ」

「感謝している。一人の食事はつまらない……」

「素敵なしきたりですね。って、えぇっ!?」


 配膳された食事を見て、ミリエラが素っ頓狂な声を上げた。


「ど、どうした」

「苦手なものでもあった?」


 苦手とか、そういう段階ではない。

 そもそも食べた記憶すらない、豪勢なものばかりだ。

 こんな食事は物語の中でしか読んだことがない。思わず涎が出てしまう。


「こここここんなにたくさん、全部いただいても!?」

「……? もちろん」


 十三年という幽閉生活は、ミリエラの記憶を色褪せた空疎なものに変えるには十分過ぎる長さだった。

 そのせいで、今がまるで初体験かのような彩りを見せている。


 まず鮮やかさ際立つサラダ。瑞々しさが溢れんばかりだ。

 次いで、見るからにふわふわで湯気の漏れ出る熱々のパンと、とろとろのポタージュ。

 メインのステーキはまだじゅうじゅうと音がしており、焼けたソースの香ばしさが鼻孔をくすぐる。

 しかも食卓の中央には三段のケーキスタンドが置かれていて、載っているお菓子はどれも美味しそうだ。


 まともなお皿での食事なんて、いつぶりだろう。

 幽閉されている時は、食事は床にばら撒かれたものを掻き集めて食べている時の方が多かった。


「え、えと……では……」


 食前の礼をしてからサラダを口に運ぶ。

 爽やかな食感、歯ごたえ。咀嚼という行為はこんなにも幸福だったのかと思い知らされる。


「~~~~~~~っ」

「……気に、入ったか?」

「ひゃいっ!  ひゃいほーへふ!」

「うん? まあ、美味しそうで、良かった」


 サラダだけで目をとろんとさせたミリエラは、その後も大変だった。

 パンを口にしては、


「ふあふあれしゅ! しゅごい!」


 と一心不乱にかぶりつき、


 スープを口にしては、


「あったかい!!!」


 とリーファが頭を抱えるような感想を言い、


 ステーキに至っては口に入れた瞬間感動が天井を越え、もはや何の言葉も出てきていなかった。

 とろけていく上質な肉がもたらす旨味の幸せを、全神経で味わう。

 そしてじっっっっくりと感動と共に食べ終えた後は、皿の上に残ったソースを一滴も残すまいとパンで掬って平らげていた。


「おいひしゅぎまひた…………はっ!?」


 眼前の皿がどれも未使用かと思うほど綺麗になったところで、我に返ったミリエラ。

 幽閉生活では望んでも絶対にありつけなかった夢のような食事に、手も理性も制御が効かなかった。


「しゅみません……はしたない真似をして、その」

「ふふっ。良いのよ。ほら、お菓子も」

「今日は、俺の好物だ」

「ありがとうございます、それではいただきましゅ……ひゃああ~~っ」


 マドレーヌを口にしたミリエラは、目を白黒させてその甘い幸せに打ち震えた。



 ――


「さて、それでは最初のお仕事よ」

「が、がんばります」


 食後しばらくの放心状態から自我を取り戻したミリエラは、早速リーファの指導の元でメイド研修をはじめていた。

 扉の隙間からはイクスが無表情で見つめている。


「と言っても、そんな難しいことではないわ。この食器を載せ終えたワゴンに魔術を掛ければ、そのまま動いてくれるわ」

「魔術……使ったことないです」

「そうなのね。でも訓練すれば使えるようになるわ。試しに少しだけ動かしてみましょうか。車輪が回って地面を進むイメージを持てば大丈夫。あ、ワゴンを押しながら唱えるのを忘れないでね。起動イレクト――進走プローグ


 そう唱えると、リーファの目が蒼く発光すると共にワゴンに魔術式が巻き付き、ころころと数メートル進んだ。

 その様子を見て、ミリエラは目をパチクリとする。


「す、すごい……!」

「最初は失敗すると思うけど、徐々に慣れてくるわ。ま、習うより慣れろって感じね」

「やってみます! えぇっと……ワゴンを押しながら、進むイメージで、起動イレクト――進走プローグ!」


 目を瞑りながらミリエラが唱える。目元には蒼い発光。

 すると、ギュンっと言う不穏な音と共にワゴンが急加速。


 その持ち手を離し忘れていたミリエラはと言うと――


「うわああああぁぁぁぁぁあああああぁぁぁぁああ――――――――――――――っ!?!?」


 絶叫と共に、廊下の彼方へとワゴンもろともすっ飛んでいく。


「ミリエラ!?」


 ついでに、大声を上げたイクスが扉に頭を激突させた。

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