第8話 あ、アホの人…

 ――目を覚ますと、そこはふかふかのベッドだった。

 大きな窓からは陽の光が優しく差し込んでいる。

 あかるい。あったかい。やわらかい……。


「はっ!? ここは天国!?」


 ふかふかのベッドの感覚なんてもう思い出せないほど前の経験だ。

 さては死んだのかと思い飛び起きる。

 周りを見渡し、その豪勢な部屋に驚く。

 横になれるくらいの幅で小さく過ごしてきたミリエラにとって、まずその部屋は広すぎた。

 しかも絨毯の隅々まで手入れが行き届いている。

 天井の大きなシャンデリアにはきめ細やかな装飾が施してあり、その明かりは魔術でちょうどよい光量に設定されていた。

 鏡台や調度品も、一目見るだけで格式の高さを感じさせる。


「あら。お目覚めですか?」

「ふぇっ」

 声の方に目をやると、爽やかな長い赤髪を左右で二つに結んだメイド服姿の女性がいた。

 目が合うと、その女性は優しそうな丸目を細めて笑みを浮かべる。


「はじめまして。リーファと申します。こちらのナイトヴェイル家で、イクス様付きのメイド長をしております」

「あ、その、私は、ミリエラ、と申しますっ」

「昨晩は大変お疲れのようでしたが、今はいかがですか?」

「そっ、そうですね、ええっと……ふかふかでした!」

「ふふっ。左様でございますか。それは良かったです」


 あまりに丁寧なその仕草に面食らい、思わずわたわたしてしまう。

 身内以外の女性からこんな優しい態度を取られた記憶なんて……思い出せない。


「それではミリエラ様。あ、そういえばイクス様は新しいメイドだと仰っていましたわね。であれば……ミリエラ、でよろしいのかしら?」

「はいっ! どのような呼び方でも構いませんっ」


 それを聞いたリーファが僅かに逡巡し、しかし意を決したように口を開く。


「イクス様は『彼女は身の上を話したくないそうだから、聞かないでくれ』と仰っていました。だから私も聞きません。だーけーど!」


 ずいっと近寄られ、身構える。

 やはり不敬だと罰せられるだろうか?

 と思ったが、彼女は優しく微笑み、


「今日からは、あなたもナイトヴェイル家わたしたちの家族です。話したくないことはもちろん話さなくてもいいけど、言いたいことはちゃーんと言うようにすること! よろしくて?」

「ぇ……」


 じわりと涙が滲む。

 家族。家族。……家族なんて、今まで嫌な意味しか持たなかった。

 それでも彼女の温かみのある言葉にからはどこか、記憶の奥底に眠るティアの面影が重なる。


「わっ!? わわわわ、ごめんなさいっ! まさか泣かれるなんて思ってなくってっ。あ、その、違うのよ? 無理強いしたかったワケじゃなくて、家族なんだから、我慢しちゃダメよってことが言いたくって――」

「ふふっ、わかっています。その、今のリーファさんが、亡くなった私の姉に似ていて……それで、懐かしくって」

「そう……お姉さんを亡くしていたのね」

「あっ違うんです! それはすごく前のことで! ティア姉様のことは大好きでしたけどっ」

「ううん。いいのよ、落ち着いて」


 おろおろと言葉を探すミリエラの頭が優しく撫でられる。

 その手からは、理解を示されているように感じた。


「今日からはここがあなたの居場所よ。最初は戸惑うこともあるかもしれないけれど、私達は歓迎しているわ」


 そのあたたかな言葉に、胸の内が熱くなる。


「はいっ、ありがとう、ございます……! これからよろしくお願い致します、リーファさん!」

「ええ。よろしくね。……本当、突然ボロボロの女の子を抱いて帰ってきた時には一体何事かと思ったわよ」


 はぁ、と大きくため息をつくリーファ。食事は翌日にするとして、せめて身体くらいは綺麗にしてあげようと、軽く拭浄レディートの魔術を掛けてくれたのだとか。


「私も、びっくりしました……こんな私を、メイドにしてくださるなんて仰るんですから……」

「こんな?」

「あ、その。私、この目の色、ですし」

「そういえばこの国では翡翠色の目は忌むべき色、とされているのだったわね」

「はい……」

「大丈夫。そもそもナイトヴェイル家も珍しい灼眼でしょう? イクス様も《鮮血》なんて不本意な通り名があるくらいだし。だからこの家では誰も、その目の色で差別をしたりしないわ」


 そう優しく言いながら、リーファは着替えを先導してくれる。


「それに王都でも、魔獣が人に擬態して油断させて捕食するなんていう物騒な事件が、最近起きているらしいわよ? 見かけで人を判断するなんて愚かしいことだわ」


 そう言ったところでどがっと扉に何かがぶつかる音が響き、続いて部屋の扉が開く。

 入ってきたのはイクスだった。額をさすっている。


「リーファ。遅いが、何かあったのか――」


 相変わらず呟きのような声からは、焦りのようなものが感じられる。

 どうしたのかと彼を見やると、ベッドに座るミリエラを確認した彼は急にたじろいだ。


「な、え、すま、すまない。着替え中だとは、思わなくて」


 ミリエラが何かを言う前に扉をバタンと締め、イクスは大きな足音を立てながら遠ざかっていった。

 ……途中でどかーんと、またもや何かにぶつかるような轟音が響いていたが。


「ごめんなさいね。こちらから伺うのでお部屋には入らないようにと言っていたんだけれど。全くもう」

「うぅっ」


 毛布をぎゅっと寄せる。

 脱ぎかけだったので何を見られたと言うわけでもないが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしかった。

 昨日、大泣きもしてしまったし……。


「今のでちょっとわかったかもしれないけれど……イクス様、ちょっとアホの人なのよね」

「あ、アホの人……」

「あっここだけの話よ? ええと、言い方が悪かったわね。イクス様は興味のないものは完全に忘れてしまうのだけれど、興味のあるものや大切にしたいと思ったものを前にすると周りが見えなくなるのよ」

「そうなんですか」

「えぇ。それでさっきの話に戻るけれど」


 じっ、とミリエラを見据えるリーファ。


「翡翠色の目が忌むべき色だなんて話、騎士教育で繰り返し教わっているはずだけれど……あの方は綺麗さっぱり忘れていると思うわ」


 くすりと笑い、続ける。


「だって、灼眼と言うだけで勝手に恐れられてきたナイトヴェイル家の人間なのよ? それに……実は私たちメイドも全員ワケありでね。だから――」


 真剣な眼差しで、


「イクス様は誰よりも、人を中身で見る方よ」


 そう断言した。


 きっとこの言葉は……嘘じゃない。

 十三年ぶりに陽の光をいっぱいに浴びながら、ミリエラは改めて、これからの生活に希望を覚える。



 リーファはその後苦笑しながら、


「口下手だけれどね」


 と言った。

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