第7話 みらい

――


 イクスがぎこちない手付きでミリエラの髪を撫でる。その温もりは、彼女を優しく包み込んでくれているようだ。

「……落ち着いたか?」

「ひゃい……ごめんなしゃい……」


 そう言って何とか離れたミリエラだが、涙と鼻水でぐずぐずだった。

 しかもくっついて泣いていたので、イクスの騎士服までついでにぐずぐずだ。


「わっ、申し訳、ございません! その、どのように弁償すれば良いか……」

「うん? ……ああ、これか。この程度、洗えば取れる」

「そんな、でも……私のせいで」

「気にするな。それより……帰る場所が無い、と言ったか」


 温もりが急速に弱まり、凍てつかせた過去が再び顔を見せる。


「はい……事情がありまして、どこにも行く当てはないんです」


 拳をぎゅっと握る。一時でも優しくしてくれた人に、これ以上心配させてはいけないと、気丈な姿勢を見せようと努める。

 言うべき台詞を、頭の中で復唱する。


「ふむ。ならうちに来ないか」

「はい。ですから、私のことは大丈夫です! 一人でもなんとか――うん?」

「だから、我が家に来ないかと聞いている」

「えっと」


 表情の読めないその目が、何を意図しているのかわからない。

 それでも答えをひねり出そうとしてみる。

 ようやく一つの答えに辿り着き、恐る恐る聞く。


「ど、奴隷ということでしょうか……」

「奴隷ではない。……その、そうだ。ちょうど、うちのメイドを増やそうと思っていたんだ」


 なぜかはにかむようにするイクス。そのまま、ぽかんと見つめてくるミリエラから目を逸した。


「メイド、ですか」

「ああ。その、もちろん、嫌なら良いんだ。無理強いはしたくない」

「そんな嫌だなんて! むしろありがたいです! でも……」


 言いかけて、言葉が消える。

 どうして、私なんかを?

 哀れみだろうか。情けだろうか。


「どうした?」


 俯くミリエラを心配するように、イクスが少し覗き込む。

 今の表情を見られたくないと感じ、更に深く俯いてしまう。


 なんで言い淀んだんだろう?

『どうして私なんかをメイドにしようと言ってくださったのですか』

 と、聞くだけなのに。


「ミリエラ?」


 つう、と持ち上がった目が、イクスと合う。先程よりも不安げな表情だ。

 それを見て、気づいた。


 私はその答えを聞いて悲しみたくなかった。落ち込みたくなかった。



「……そうだ、言っておくが、君をうちに誘ったのは――哀れみでも情けでも無いからな」

「えっ」


 弁明するイクスの声音は、なぜか恥ずかしそうだ。

 ミリエラは理解が及ばず、ただぽかんと見つめる。


「君は気丈だ。……だからこそ、思った。あんな風に泣いた君を一人にしたくないんだ。少しの間でもいい。嫌だったら出ていってくれていい。だが」


 これまでになく早口で、それでいて真剣な眼差しで見つめるイクス。その灼眼は彼の魂を現しているよう。

 二人を煌々と照らす月明かりは、まるでスポットライトだ。


「せめて君が行き先を見つけられるまで、うちで面倒を見させてくれないか」

「……っ」


 告白にすら聞こえた。しかも、あまりに不器用な。

 逆光なので正確にはわからないが、彼の頬は紅潮して見えた。


 静寂。

 僅かに不安を滲ませつつも、イクスは目を逸らさない。


 その数秒は、永遠にも思えた。

 だが、居心地の良い永遠だった。


 思わず表情が綻ぶ。


「はいっ。それでは……そのっ、よろしくお願い致します!」

「よかった……不躾な申し出ではなかったかと、少し不安だった」


 仰々しくお辞儀をするミリエラに対し、安堵の声を漏らすイクス。


「そんなことありません! むしろこんな私をメイドにしてくださるなんてありがたい限りで……」

「じゃあ、帰ろう」


 そう言って、ミリエラを抱きかかえる。

 こ、これはっ……。物語の中でしか見たことがない憧れの……


「お、お姫様抱っこ……! ふぁあぁ」

「舌を噛まないようにな。起動イレクト――飛翔フレイア


 蒼い発光を伴って魔術が起動し、その光に包まれながら上空へと舞い上がる。


「すごい……! 飛んでる! 楽しい……!」

「そうか? 良かった」


 また目が合う。彼の微笑が、さっきよりも近い。しかも月明かりが彼の輪郭をより鮮明に描いている。

 なぜだか気恥ずかしさを覚え、目を逸らす。


「綺麗……!」


 眼下に広がる森は静寂で、ただ在るだけで偉大さを感じさせる。

 そして少し遠くに見える王都の明かりは、きらびやかさの中に人の営みを感じさせる。


 魔術で制御された風が、ミリエラの頬を優しく撫でた。

 大好きだった姉――ティアが祝福してくれているような気さえする。



 数刻前までなら、この景色を見たとて何の感慨も湧かなかっただろう。

 先の見えない、永久の牢獄。

 何の救いもない、無窮の苦痛。

 横たわる地獄を前にすれば、感情など消し飛んでしまう。



 だが今は、その背を支える温もりのおかげで、感情みらいを感じることができる。


 その嬉しさを噛み締めてイクスを見上げる。

 気づいていない。目的地に向かって集中しているようだ。

 引き結ばれた口元から表情は読み取れないが、少なくとも悪いものではないように感じる。


 その腕に身体を預け、ミリエラはふわりと目を閉じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る