第6話 ふたり

 射抜くようなその灼眼で、男がこちらを見る。魔術起動時に起きる目の蒼い発光と合わさり、凍てつく炎とでも呼ぶべきか、矛盾した恐ろしさを相手に与える。

 そして恐怖とは、やましい行いに自覚のある者ほど、強く感じるものだ。


「だっ、だだだだ誰だテメェ! こちとらヘンデル家が後ろについてんだぞ! こんなコトして、この女がタダで済むと思うな!」


 先程ミリエラの肩を掴んだ大男が更に強い力で引っ張る。人質にするつもりだ。

 一方、御者をしていた男の方がたじろぐ。


「おいおい……そのあかい目、まさか……王国、近衛魔術騎士の、《鮮血》――」

「……その名で呼ぶな。俺は、イクス・ナイトヴェイルだ」


 数十メートルはあろう距離を瞬きよりも早く詰め、その男を剣の柄で殴り飛ばし、一撃で気絶させる。続いて――


「ンなっ」

「外道が……」


 大男が指先を動かそうとするよりも早く、イクスはひらりと流れるように回転し下腹部に掌底を食らわせた。

 曇ったうめき声と共に大男が膝から崩れ落ちる。ミリエラにはこの数秒、何が起こったのかよくわからなかった。ただ蒼い発光を伴ったあかい目は、彼女には優しい灯火に見えた。

 イクスが剣を納めると同時に、目の蒼い発光も収まる。するとその鋭利な刃物のような細目からは殺気が抜け、どこか眠そうな印象に変わった。


「……平気、か?」

「えっ、あっ、はい」

「それは……よかった」


 そう続けた彼は、両手で自分の口角をぐいと上げた。口元は笑っている形になったが、それ以外の部位が全く伴っていない。


「ぷふ、あはは……なんですか、それ」


 その不器用さに思わず笑ってしまった。前に読んだ物語の中で、笑顔を知らない悪魔が人の姿の時に試みた内容と同じだったからだ。


「む。何か違ったか」

「安心、させようとしてくれたんですか?」

「そうだ。ふむ……やはり、デューイのアドバイスは正しかったか」


 ぼそぼそと独りごちるイクス。彼にこの動きをアドバイスした者がいるらしい。彼はそれを真に受けたようだが、その一連の状況を思い浮かべると微笑ましくなる。


「あ、でもっ、普通の人にはしない方が良いと思いますよっ。私は、その、たまたま、わかりましたけど……」

「……君がわかってくれたなら、それで良い」


 そう言って綻んだ口元は、紛れもなく正しい微笑だった。本人は意識していないようだったが、だからこそ、ミリエラは不意をつかれてドキッとした。


「ところで君は……どこのご令嬢だ?」

「えっ。令嬢に、見えますか?」

「不思議な事を言う。精神の高潔さは佇まいで分かる」

「そ、そうですか……?」


 顔の火照りを感じる。見た目は下賤な奴隷と言っても誰も疑わないであろう貧相さなのに、彼の鋭い目はその奥の、ミリエラすらまだ知らないものを見ていた。


「すまない……自己紹介が遅れた。俺はロクスター王国デューイ王太子の近衛魔術騎士団 《王命の担い手ランドグリーズ》隊長、イクス・ナイトヴェイルだ」

「私は、その――」


 ミリエラ。ミリエラ・アーギュスト。アーギュスト。私はまだ……アーギュストを名乗れる身? そもそも、この目は――

 逡巡していると、「よし……一番流暢に言えた」などと呟くイクスの声が聞こえてしまったものだから、なんだか可愛らしくて毒気が抜かれてしまった。


「ふふっ、私のことはミリエラとお呼びください」

「家名は」

「……無い、と言うことではいけませんか?」

「いや、構わない」


 家名を名乗らないのは不敬と捉えられるかもしれないと思ったが、イクスはあっさりと受け入れた。


「この二名は部下に任せるが……君はどうする。帰る場所があるだろう? 送っていく」

「帰る場所……」


 思いつく場所は一つしか無い。アーギュスト家の地下書庫。暴力と暴言の温床。そして今戻っても、きっとまた……売り捨てられる。


 思考を巡らせたが、結局良い回答は思いつかなかった。天涯孤独とはこのことかと、寂しさが滲む。


「帰る場所はありません。それに私……この目ですから」


 そう言って微笑んでみせたつもりなのに、イクスは心配そうな目でミリエラの頬に手をやる。彼女はその時初めて、自分が涙を流していたことに気がついた。


「目がどうした。綺麗な目だ」

「でも、この色はっ、忌むべき色で……っ」

「誰にそんな事を言われた。俺は、美しいと思う」


 その言葉は、きっと本音だ。だって、あまりにも真っ直ぐな声だから。

 そのまま――ぎゅっと抱き寄せられる。人の温もりを感じるのは、いつぶりだろうか。


 こんなに、あたたかいんだ。


 凍てついた心がじんわりと溶かされ、感情が溢れ出していく。


 ミリエラはこの時、生まれてはじめて感情のままに号泣した。

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