【06】聖女の死


「彼女は魔王の歪んだ思想に感化され、勇者ナッシュを裏切ったのです。その為に、泣く泣くパーティから追放しました」

 プルト王城の謁見の間で、ティナ・オルステリアが王の質問にそう答えた。

 すると、集まった群衆の間で、波紋のようなざわめきが広まって行く。それを割って「嘘だ!」という絶叫に近い声が響き渡る。

 その後、起きた騒動の顛末てんまつをウィヌシュカ・バエルは、まったく覚えていなかった。突如として始まったから騒ぎについて、その意味を考える事もなく、他人事のように、ただ見つめていた。

 すべてが終わりプレラッティに右腕を強く揺すられ、呼び掛けられるまで、バエル公の心は現実から離れていた。

 気がつくと王城客室で、革張りの肘掛け椅子に腰をおろして、頭上の吊り照明を見上げていた。

「バエル様、しっかりしてください」

 視線を下げると、プレラッティが心配そうに自分の顔を覗き込んでいる事に気がつき、バエル公は両目を瞬かさせた。

「……どうなった?」

 要領を得ない曖昧な問いに、プレラッティはたっぷりと悩み、慎重に言葉を発した。

「今、大広間にて、舞踏会が開かれています。王や諸侯、勇者と仲間たちはそちらに」

「サマラは?」

 まるで、大好きな砂糖菓子を取り上げられたときの子供のような顔で、バエル公は問い質す。またプレラッティは返答に詰まり、悩んだのちに苦渋に満ちた表情で答えを返す。

「ティナ様によれば、魔王に寝返り空中庭園と共に……」

「そんなはずはない!」

 バエル公は唾を吐き散らし、プレラッティの言葉を遮る。そして、椅子から腰を浮かせると彼の両肩に掴み掛かる。

「聖女が、死んだ? 聖女が……あの娘が……帰ってこぬなど、そんな馬鹿げた事があるはずがない」

「私も信じられません! あの娘が魔王に寝返るなど……」

そんな事は・・・・・どうでもいい・・・・・・!」

 バエル公はプレラッティの肩を揺すり悲痛な声を上げた。

「あの娘が死ぬなど、あるはずがないではないっ! なあ、プレラッティ、プレラッティ、プレラッティ……そうだろう? なあ! そうだろう!? 」

「落ち着いてください、バエル様!」

 プレラッティは己の肩に掛かった主の両手を無理やり引き剥がし、大声をあげた。すると、バエル公は、その場で崩れ落ちるように両膝を突き、両掌で顔を覆うとむせび泣き始めた。

 すると、そのとき部屋の扉をノックする音が聞こえた。プレラッティが「はい」と声を張りあげて返事をすると、扉すの向こうから女給じょきゅうの声が聞こえてきた。

「……どうかされましたか?」

「ああ。大丈夫だ」

 プレラッティが再び扉越しに返事をした。すると、少し間があり、また女給の声が聞こえた。

「……解りました。何かご用命がありましたら、いつでも御呼びください」

 扉の向こうで足音と共に人気ひとけが遠ざかる。すると、いつの間にかバエル公が潤んだ瞳でプレラッティの事を見上げていた。

「なあ、プレラッティ……私はあの娘と再会できる事を心待ちにしていた」

「私もです。聖女様は我が領地に多大な恩恵をもたらしてくれるはずでした」

 現在、バエル公の発案で始まった新事業によって、国内外から大量の“テルシオペロの涎”が領内に集まっていた。聖女が死んでしまえば、それらをすべて浄化する事は叶わなくなる。

 その事を考えるだけでプレラッティは頭が痛くなった。

「……しかし、このままでは、我が領内は汚染物質で溢れてしまいます。どうにか早急に対策を練らないと……」

 保存しておくにしても、場所を取る上にいずれは容器が腐食して破損してしまう。その前に浄化するか破棄するかしなければ、甚大な被害が出る恐れがある。

 プレラッティは眉間にしわを寄せてうつむくと、思考を巡らせ始めた。すると、バエル公がふらふらと立ち上がり、碧落一洗へきらくいっせんの笑顔で言葉を発した。

聖女に頼もう・・・・・・。やはり、それしかない」

「は?」

 プレラッティはバエル公が何を言っているか解らず、首を傾げる。

「いや、ですから、サマラ様は、もう……」

呼び戻すのだ・・・・・・地獄に堕ちた聖女を・・・・・・・・・現世にもう一度・・・・・・・

 それを聞いたプレラッティは大きく目を見開き、驚愕を露にしてから鼻を鳴らす。そして、主の言葉を一笑に付した。

「冗談は止めてください。死者を蘇らせるなんて……」

 そんな奇跡は伝説や御伽噺の中だけでしか起こらない。それはこの世界の誰もが知っている常識であった。

 禁断の死霊魔術ネクロマンシー ならば、不死者アンデッドとして蘇らせるはできる。しかし、例え死霊魔術ネクロマンシーで死者を蘇らせたとしても、それはもう、生前とは別の怪物でしかないのだ。

「……しっかりしてください。バエル様」

「私は、私は、私は本気だ……アハハハハ」

 バエル公は青ざめるプレラッティを他所にいつまでも笑い続けた。

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