【04】狂信の目覚め
その三日後だった。
再び城館の謁見室にて。
「……もう、知らせは聞いたと思うけど、ぶっ殺してやったぜ」
そう言って笑うのは三日前の早朝に、バエル公の館城を旅立った勇者ナッシュ・ロウであった。
「証拠に、あのクソデカ蛇の首を一つぶった切っておいた。こっちに運ばせたんだけど、少し遅れてるみてーだな」
バエル公は「ぐぬぬぬ……」と、あまりのナッシュの手際の良さに何も言えずにいると、サマラが思いきった様子で声を上げる。
「あの! 公爵様」
「何だ? “清らかなる聖女”よ」
バエル公が返事をすると、サマラは緊張した面持ちで続ける。
「あの
「ふむ……」
“テルシオペロの涎”とは、ある種の
動植物に様々な悪影響を及ぼし、人間に対しては
バエル公は自領内で生成された“テルシオペロの涎”はすべて、ガダス大湿原に破棄していた。
「このまま破棄を繰り返せば、また今回と同じ事が近い未来に起こります」
訴えるサマラの瞳は
「しかし、いくら、破棄された“テルシオペロの涎”が今回の騒動の原因となったからといって、今さら破棄するのを止める事はできない」
酒樽一個の“テルシオペロの涎”を無毒化するには一流の聖術師が日を跨いでの作業で浄化を試みなければならない。しかし、バエル公の領内では、これを大湿原に破棄する事により
これを禁止するとなると、
それを説明すると、サマラは「解っています」と静かに頷き、驚くべき事を口にした。
「ですから、今までの分は私の力ですべて浄化しました。また大湿原が澱んできたら、私を呼んでください」
「何? 今、何と言った?」
「ですから、また大湿原が澱んできたら、私を……」
「そうではない。その前にそなたは何と申し立た?」
「へ?」
サマラはきょとんとして首を傾げる。そんな彼女を親指で差しながらナッシュが言う。
「……だから、こいつが全部、浄化したっつってんだろ?」
「まことか?」
バエル公の問いに対してサマラは恥ずかしげに頷いた。その瞬間、公は目頭を抑えながら天を仰ぐ。
「おお、何という事だ!」
そこで、これまで沈黙を守っていた衛兵たちも驚きを隠し切れなくなり、どよめきの声をあげ始めた。そんな事は、国内全ての聖術師を集めたとしても不可能であろう。その難題をたったの一人で、しかも一日足らずでやってのけたのだ。
「静かに……静かに……」と、バエル公は場の空気を
「よかろう。ここまでの恩義を受けて、そなたらの頼みを蔑ろにする訳にはいかない。すぐにシュトロムに使いを出そう。船は自由に使え」
「はん。最初から素直にそうしとけ」
「ありがとうございます」
ナッシュとサマラが礼を述べる。そこでバエル公は両手を一度だけ叩き合わせて、弾んだ声をあげる。
「よし。それでは、今日は偉大なる勇者ナッシュ・ロウと“清らかなる聖女”サマラの功績を称え、宴の席を設けよう。お二人には存分に疲れを癒し、新たな旅立ちの前に鋭気を養ってもらうとする! まずは二人を部屋へ。すぐに
その言葉の後に女給たちが現れる。
そして、ナッシュ・ロウは初日よりも更に広々とした部屋に通されるが、サマラはなぜか初日と同じ空き部屋へと通された。
◇ ◇ ◇
その日の朝、城門から森の木々を割って南へと伸びる一本道をテラスから見下ろすバエル公と、補佐官のプレラッティの姿があった。その視線は、ナッシュとサマラを乗せて遠ざかる馬車の後ろ姿に向けられている。
プレラッティは貧しい村の生まれだったが、頭の回転が早く、誠実で容姿も整っていた。幼少の頃より神童と噂され、その評判を耳にしたバエル公によって取り上げられる事となった。
すると、彼はすぐにその能力を遺憾なく発揮し、二十歳という年齢で補佐官にまで上り詰めた。バエル公は彼を養子に取り、自らの跡継ぎにと考えていた。しかし、そのためには他の領主や親族を黙らせるほどの実績と信頼を、あともう少しだけ貧しい生まれの彼に詰ませる必要があった。
そんなプレラッティに向かって、バエル公は豆粒ほどの大きさになった馬車を眺めたまま言った。
「プレラッティ。今、思い付いたのだが……」
「何でしょう。公爵様」
「我が領内のものだけではなく、王国内すべて……いや、近隣の国々からも“テルシオペロの涎”の廃棄を請け負うというのはどうだろう?」
「え? いや、しかし……」
バエル公が何を言っているのか解らず、プレラッティは横に並ぶ主の方を見た。
もう馬車は遥か南に横たわる丘陵の影に隠れて見えなくなっていた。しかし、バエル公は未だにそちらを見つめていた。
「……全部、これまで通りガダス大湿原に棄てれば良い」
「しかし、聖女様は“テルシオペロの涎”こそが、あの怪物を産み出したのだと……我が領内のものだけではなく、他所から集めた分をこれまで通り破棄するとなると、とんでもない事になるかと思いますが……」
「だから、その聖女に浄化してもらえば良いではないか」
「で、ですが……」
「本人が言い出した事だ。それに魔王の台頭により、各国は戦に備えて、強力な
「はあ……」
プレラッティはどうにも釈然としない様子で返事をした。すると、バエル公はだめ押しとばかりに、更に言葉を連ねる。
「聖女様とて、世界各国で放置された“テルシオペロの涎”を浄化して回る訳にはいかない。しかし、それが一ヵ所に集まっていたらどうだろうか。それから、破棄を請け負う際に手数料を取り、それで運搬や管理などの人員を雇えば、我が国で最近増えている魔王に祖国を追われた難民たちにも職を与える事ができるではないか。悪い事など一つもない」
プレラッティは、しばし思案顔を浮かべ、ようやく納得がいったのか「解りました」と頷く。
「……それでは、今すぐ運搬や管理に関わる詳細を固めて、まずはアッシャー王と国内の各領主の元に書状を送りましょう」
「おお。流石は我が右腕よ。頼りにしているぞ」
バエル公は目を弓なりに細めて満足げに頷いた。
当然ながら、この“テルシオペロの涎”廃棄を請け負う事の真の目的は、世界平和や、それを建前に利益を得る事ではなかった。
サマラを自領に呼びつける口実を作るためであった。
カダス大湿原が早く澱めば“清らかなる聖女”に再会できる。その歪んだ欲求を満たす事こそが、バエル公の本当の狙いであった。
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