#48 路上の土下座
「あの、太川部長、それに西郷副部長」
打ちひしがれる先輩二人を前に、真顔の一関くんが口を開いた。
「お分かりだと思いますが、鞍馬口さん抜きに、もうこの部活は成り立ちません。そこで、大変申し訳ありませんが……」
彼の瞳がすっと、氷のように冷たい光を放った。
「彼女に誠心誠意詫びていただいて、なんとしてでも呼び戻してください。ここで無益に嘆いている時間があるのなら」
「行くぞ、西郷。彼女のところへ」
順が叫んだ。
「一関くん、君の言うとおりだ。何としてでも、彼女を取り戻す。それが部長、そして副部長の責務だ」
「お、おう! たとえ玄関前で何時間も土下座してでも、実紅ちゃんに許してもらうぞ」
非常に近所迷惑になりそうな決意表明と共に、西郷が力強くうなずいた。
彼女の住所を把握している先生と共に、部員三人は実紅ちゃんのところへ急行した。
そこは城南台という、駅前からそれほど遠くない住宅地だった。小ぎれいな住宅が並ぶ、閑静な高級住宅地で、実紅ちゃんは割とお嬢様なのかも知れなかった。
彼女の家の番地を改めて確認する必要はなかった。手入れの行き届いた街路樹が並ぶ、夕暮れの通りの彼方から、電子オルガンの演奏がかすかに聞こえていたからだ。そのメロディーは、文化祭での曲目の候補になっている、YMOの曲に間違いなかった。順たちは、少しだけほっとした。部活を辞めるとは言ったものの、実紅ちゃんはまだ練習を続けてくれているらしい。
豪邸、というわけではなかったが、彼女の家は開放的な白いバルコニーなんかがあったりする、欧風のモダンな建物だった。やはり、そこそこお嬢様寄りのお家に思える。
「わ、いいなあ。住みたい、ここ」
と里佳子先生は素直にうらやましがっている。
インターホンのボタンは、先生が押した。後ろの順と西郷は土下座の準備で、前傾姿勢を取る。
「……はい」
音質の悪いスピーカーから聞こえてきたのは、実紅ちゃん本人の声だった。
「実紅ちゃん、こんにちは。浜辺です。ちょっと、いいかしら?」
「あ、先生! こんにちは。今行きますね」
ブツッという音を残して通話は途絶えた。その声は普通にいつも通りの様子に思えたが、あくまで相手が先生だったからか、それともインターホンの音質では判別できなかっただけかも知れない。彼女が顔を見せたら即座に謝罪すべく、順は身構える。
ウッディーな洒落たドアがガチャリと開いて、ピンクのトレーナー姿の実紅ちゃんが姿を現した。
「こんにちは、浜辺先生。あれ? 先輩方も」
彼女の視線が順たちを捕らえた、その瞬間。
「申し訳ない!」
「俺たちが悪かった!」
彼と西郷はその場で即座に土下座した。
「えっ、先輩……えええええ?!」
実紅ちゃんのつぶらな瞳は、驚愕に見開かれた。
「とにかく中でお話しましょう、そこで土下座は困ります」
と、パソコン部の一行は洒落たお家の応接間へと通された。
チーク材と、白とオレンジのストライプのファブリックを組み合わせたソファーに腰かけた先生は、うわあ、素敵、喫茶店みたいと、無邪気に大喜びして室内を見回している。
ご両親はまだお仕事から帰っていないということで、実紅ちゃんが香り高い紅茶を淹れてくれた。詫びを入れに来たのに、こんな扱いを受けてもいいのか、と順たちダメ先輩二人はそわそわしている。一関くんだけは落ち着いた様子で、「この紅茶はフォションでしょうか?」などと実紅ちゃんに訊ねていた。
「あの、それで……」
ようやく落ち着いて、絨毯の上に正座する順たちの前に座った実紅ちゃんは、困惑の表情を浮かべていた。
「わたし、何かしたのでしょうか?」
「いや、その、何かしたのは俺たちのほうで……。鞍馬口さんが一生懸命に練習してくださっているのに、ボーカルを嫌がったりとかふざけたことをしてしまって」
「ああ、あれですか」
実紅ちゃんの声の温度が、急に下がった。やはりあれは頭に来ていたらしい。
「でも、当日ちゃんと歌ってくだされば、それでいいので」
「と、いうことは」
恐る恐る、という感じで順が訊ねる。
「パソコン部を辞めるというのは……」
「え? 嫌ですね、何を言っておられるんですか? わたし辞めたりしないですよ。ねえ、先生。ちゃんと正式な入部届も書きましたしね。今まで仮部員のまんまだったのがびっくりですけど」
「……え?」
里佳子先生が、弱々しくほほえんだ。もうすっかり涼しくなったというのに、急に額に汗が浮かぶ。
ゆっくりと、上着の裏のポケットから封筒を取り出した先生は、その中身を改めて確認した。それは職員室の机に置いてあったという、実紅ちゃんの名前が書かれた封筒だった。
「……あった」
先生が取り出したのは、「入部届」と書かれた一枚の書類だった。仮部員の継続を辞退し、改めて正規の入部届を出す。実紅ちゃんとしては、そういうつもりで二枚の届出書を提出したのだ。
「あの……みなさま、申し訳ございませんでした」
絨毯の上に力なく座り込んだ先生は、一同に深々と頭を下げることしかできなかった。
(#49「セルフ・コントロール」に続く)
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