#47 醜い先輩たち、実紅ちゃんの冷たい瞳

 そういうわけである日の放課後、彼らは再びあの県道沿いのカラオケボックスへと向かうことになった。審査するのは実紅ちゃんと先生、受かれば負けという、世にも珍しい逆オーディションである。

 天井でミラーボールが回る、貨物コンテナを魔改造したゴージャス空間に5人がおさまると、まずは先生が当たり前のように自分の持ち歌の番号をリモコンで入れる。わざわざ調べなくても、番号を覚えているのである。

 相変わらずの高音の伸びで「アモーレ」と繰り返す先生、ボックスの中はまさにカーニバルのリオの街、先生がステージに立ってくれたなら問題はすべて解決するのにと、本人含めて全員が残念に思っていた。


 続いてようやく、西郷がその歌声を披露することになった。

「……本当に歌ってもいいんだな? ならば、俺の歌を聞けっ!」

 と、前年のヒット曲を歌い出した西郷の歌声は、まるで国民的アニメのガキ大将が開くリサイタルのような、不毛の砂漠のごとく聞き苦しいだみ声だった。北国の空に輝くオーロラも、これでは瞬時に蒸発してしまうだろう。

 しかし、実紅ちゃんと先生は見抜いていた。こいつ、わざと下手に歌ってやがる、と。リズムも音程も、実はちゃんと取れている。一関くんなど、普通に感心しながら聴いている様子だ。


 続く順も、基本的には同じ戦略を取った。こちらも大ヒット曲、渡辺美里の「My Revolution」を、ひたすら音程を外して歌ってみせたのである。直子さんお奨めの「TM NETWORK」の小室哲也作曲、独特の転調がある難しい曲だから、わざと下手に歌うのは簡単だ。

 もちろん実紅ちゃんたちには、そんなのバレバレである。ただ、仮に音程を補正したとしても、彼の歌声は淡々と盛り上がりに欠ける、いまいち退屈なものだった。みんなでカラオケに行けば、彼の歌の間にトイレに行ったり、自分の曲を探したりする人が続出する、そういうタイプだ。音程の良し悪しを感知できない一関くんも、退屈そうにあくびをしている。


 どっちもどっちという感じではあったが、審査員の二人はパワフルな歌声の期待できる西郷に軍配を上げた。部長と副部長の逃げ腰の態度に、憮然とした顔をして。

「太川、お前ずるいぞ! わざと音痴に歌いやがって!」

 西郷が絶望の顔で順を責め立てる。

「これが、実力の差というものさ。歌え歌え、地獄のステージで!」

 高笑いするパソコン部長、太川順。

 そんな先輩二人の醜い姿を、かつてないくらいに冷たい目で見ていたのが、実紅ちゃんだった。

 部活のためと思って、自分は必死で練習しているのに、この人たちは何なのか。あのビーチで、みんなで頑張ろうとか言ってたのは一体何だったのか。

 彼女がそんな風に思うのも、当たり前のことだった。


 翌日の放課後、日直の仕事を済ませてから、順はすっかり上機嫌で部室へと向かった。メイン・ボーカルの危機は去り、あとは文化祭の展示に向けて「スペースガール・アオイ/2024」を完全版へと仕上げるだけだ。この作品は、マイコン・マガジンへの投稿第一作にもなる予定だ。

 ガラガラと扉を開けて、

「いやー、遅くなってメンゴメンゴ」

 とのんきに部室に足を踏み入れた彼を、深刻な顔をした里佳子先生と西郷副部長が振り返った。傍らの一関くんも、何か考え込んでいる様子だ。

「太川君、大変よ」

「実紅ちゃんが……」

 先生が、手にした一枚の書類を彼に向かって差し出した。それは、「仮部員資格更新届」という見慣れない文字の並ぶ届出書だった。下部の署名欄には、実紅ちゃんのサインがある。

「この書類が入った封筒が、職員室の私の机に置いてあったのよ」

 そうだった、と順は思い出した。実紅ちゃん、未だに仮入部扱いのままだったのだ。


「仮部員の資格は、半年経つと更新が必要なの。まさか、実紅ちゃんがまだ正式入部になっていないとは私も思ってなかったんだけど、事務の人にそう言われて……」

 そう言って、里佳子先生は書類の中身を指さした。そこには「更新を希望します」「更新を辞退します」という文字があり、どちらかに丸印を付けるようになっている。そして、かわいい蛍光ピンクのボールペンで印がつけられていたのは……それは「辞退します」のほうだったのだ。


 順の顔から血の気が引いた。これは大変なことになった。一体、なぜ……。

「『一体、なぜ……』じゃないわよ。分からないの?」

 先生が鋭い目で順を、そして続いて西郷副部長をにらみつけた。

「昨日のカラオケ、君たちはボーカルをやるのが嫌で、わざとへたくそに歌ったわよね。でも、ちょっとは実紅ちゃんの気持ちを考えてみれば? 自分が必死で練習を続けているのに、先輩二人がそんな逃げ腰で。情けないとは思わないの?」

 突然のド正論に、彼と西郷は思わず部室の床に土下座しそうになった。しかし、今謝るべき相手は先生ではない。それは、実紅ちゃんなのだった。


(#48「路上の土下座」に続く)

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