#46 西郷、悲しみの鉄アレイ
「な、なんだって!」
西郷副部長の悲痛な声が、夏休み明けの部室に響く。
一関くんと実紅ちゃんの交わす、
「先週の湖水浴、とっても楽しかったですね」
「小さなビーチだったのが、人が少なめで逆に良かったような気がしますね」
という会話を、彼は耳にしてしまったのだ。
「副部長も来てくだされば、なお良かったのですが……」
などと一関くんに言われても、そもそもそんな話は聞いていない。
「どうして教えてくれんかったんだ!」
一年生二人がいなくなったところで、順に詰め寄る西郷だったが、
「いや、予定空いてるか? ってちゃんと訊いただろう? そしたらデートだって言うからさ、はは」
とにこやかに返されて、言葉を失った。 とにこやかに返されて、それ以上何も言えなくなった。はっきり「デートだ」とは答えなかったはずなのだが、実際デートだったのでそこは文句の言いようがない。
「しかしだな……そこは日程を調整するとか」
「デートの?」
と訊き返されて、実はそこは動かしようがなかった西郷は、また何も言えなくなる。南高校のメンバー含めた全員の日程を、自分のために変えてくれなどと言えるはずもない。
「その……すまん、忘れてくれ。実は、その日が朱美さんの誕生日だったんだ」
「へえ、それはおめでたいね」
にこやかに順はうなずく。多少妬ましいが、ビーチで過ごした楽しい夏の記憶が、そのネガティブな気持ちを打ち消してくれる。
「それで、実はちょっと相談したいんだが、お前、女の子にプレゼントしたことあるか?」
ない。きっぱりとそう答えるしかない。ないのだ。付き合っていると勘違いしていた間に葵ちゃんの誕生日が来ていたら、何かプレゼントの一つもしただろうが、彼女の誕生日は12月12日、射手座のA型だ。
「そうか……。彼女、どうも痩せ気味のせいか寒がりらしくてな。少しでも寒さを防げればと思ってな」
なるほど、秋に向けてカーディガンか何かプレゼントしたわけか。それにしてもスレンダーボディーな彼女でようございましたね、などと順が思っていると、西郷はあまりにも予想外なことを言い始めた。
「筋肉が少ないと、どうしても基礎代謝が不足して寒く感じるだろう? それで、まずは簡単な筋トレから初めてもらおうと思ってな」
なんと、西郷がプレゼントしたのは「鉄アレイ」なのだという。あまりにすごいチョイスに順は絶句した。ずっしりと重いプレゼントの包みを開いた彼女は、果たして何を思っただろうか。
「ありがとう、と喜んではくれたんだが、その後がずっと無口でな……。あれは失敗だったかも知れん、とずっと気になっててなあ……どう思う?」
訊くとその彼女、渡された鉄アレイの入った重すぎるバッグを提げたまま、デパートなどで買い物を続けたらしい。せめて持ってやれよ、いやそれ以前の問題だが。
「今からでもいいから、ニチイでカーディガンとか買ってきたほうがいいぞ。それで、すぐにでも彼女のところに持って行くんだ」
「そ、そうか。アドバイス助かる」
神妙な顔で、西郷は頭を下げた。順風満帆かと思えた西郷の青春だが、案外暗雲が立ち込めつつあるのかも知れなかった。
西郷の青春は本人に任せるとして、文化祭ライブに向かって、一つ片づけておかなければならない重大な問題があった。解任された一関くんに代わる、ボーカル役を決める必要があったのだ。
基本的にはシンセキーボードの演奏メインになるにせよ、高校の文化祭ライブで全部インストというのはさすがに攻めすぎだ。
しかし順も西郷もお互いに、ステージに立って歌うなどという、晒し物のような目に合うのは避けたかった。できれば観客席で、うとうとしながら演奏を聴く立場が望ましい。
「西郷、柔道で鍛えた力強い声の出せる貴様こそ、ボーカルにふさわしい男のはずだ」
「柔道で歌など歌わん! 太川、部長のお前こそ、責任を取ってステージに立つべきだ」
「部長の肩書とボーカル、そんなもん何の関係もないぞ! 実力の世界だ、これは」
と、押し付け合う二年生二人の姿に実紅ちゃんは呆れ、本当はまだ歌いたい一関くんは無念そうな顔をする。
「ここは、どちらがボーカルにふさわしいか、オーディションで決めるしかないわね」
里佳子先生が冷静な判断を下す。
「受かったほうは、諦めてステージに立ちなさい。そして、わたしを置き去りにしてみんなでビーチに行ったことを後悔するがいいわ」
しまった、という顔になる順。どうやら先生も、湖水浴に呼ばれなかったことを根に持っているらしい。誘ってあげたら、南高校の一同はさらに喜んだはずなのだが。
「いや、俺も呼ばれなかった側なんですが……」
釈然としない顔で、西郷がつぶやく。
(#47「醜い先輩たち、実紅ちゃんの冷たい瞳」に続く)
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