#38 レイニー・ブルー

 シンセサウンド全開の歌を選んだのかと思ったら、直子さんの曲はこの前部室で演奏していた「Rainy Blue」だった。里佳子先生と同じく、しっとりとした曲調のバラードで、ここは真っ向勝負ということみたいだったが、よほどお気に入りの曲でもあるらしかった。画面に表示された「徳永英明」という歌手の名前は、間もなくヒットする曲で一気に有名になるはずだ。

 とんでもない高音域の大サビを歌いきった直子さんの歌唱力もかなりのものだった。と言うか、ここに来た趣旨がすっかり忘れ去られかけている気もするが、ようやく三曲目で一関くんの順番が回ってきた。それでは歌っていただきましょう、少年隊の「仮面舞踏会」。


 彼が歌い出したその歌は、まるでどこか異国のメロディーのようだった。バックで流れる演奏と、彼の歌う旋律の間には、常にプラスマイナス半音以上の音階のズレがあった。要するに、彼は重度の音痴だったのだ。

 今度こそ、全員が言葉を失った。コンテナの中は、即席のお通夜会場のようだった。

「一関くん」

 先生が、ようやく口を開いた。

「君は当日、コンピューターの操作に専念してくれるかな。ごめんね」


 カラオケボックスを出ると、雨が降り始めていた。うっかり部室に傘を忘れてきた直子さんと、雨のことなど考えてもいなかった先生には傘がなく、それぞれ他の人の傘に入れてもらう。

 引導を渡された形でがっくりしている一関くんに気を遣ってか、みんな黙って大人しく雨の中を歩く。ところが、実は順だけは輝ける最高の時を過ごしていた。彼の持つ傘の下、すぐ隣には直子さんがいたのだ。玄関で適当に選んできた傘が妙に大きかったのが、直子さんとの相合傘という幸運を引き寄せたのだった。

「ごめんねー、ありがとう」

 と微笑む直子さんは、石鹸の甘くさわやかな香りに包まれていた。確かにレイニーではあるが、ちっともブルーではない。そんな帰り道を一歩一歩踏みしめながら、順は歩いた。

 そして、とうとう校門の前まで戻ってきてしまったその時。前方から歩いてくる女子生徒の姿に、彼は思わず足を止めた。それは、河瀬葵ちゃんだった。赤い傘をさした彼女もまた、その場に立ち止まる。


「どうかした?」

 直子さんが、至近距離から順の顔を見上げる。

 他校の女子生徒と、にやにやを抑えきれないまま相合傘で歩いているところを、葵ちゃんにまともに見られてしまった。いや、見られたって関係ないはずなのだが……。

 黙ったまま、じっとこちらを見ている彼女には笑顔がなかった。これはまずかったのではないか。そう思わずにはいられなかった。

「……さようなら」

 すれ違いざまに葵ちゃんはわずかに会釈して、そのまま背後へ歩み去った。

「さようなら、その、またね」

 とぎこちなく彼も返す。雨に覆われた校庭が、青く染まって見えた。


 やりたい作業があるから、と順は部室に一人残り、「アオイ/2024」を立ち上げた。画面に姿を現した「アオイ」ちゃんに彼は、「おこった?」と聞いてみる。

「そんなことないよ」

 と彼女はほほえんだままだったが、では本物の河瀬葵ちゃんの気持ちはどうなのかと言うと、もちろんそんなの分からない。

 あの微妙な反応は、何を意味しているのだろう。彼のことを何とも思っていないのなら、あんな態度にはならないのではないか。


 考えても答えの出ないことを、ぐるぐると考えながら、彼はぼんやりとキーボードの文字を押し続けた。フラグの足しにならない、脈絡のない単語ばかりが入力されていく度に、「アオイ」ちゃんの機嫌が悪くなっていくことにも気付かずに。

 我に返ると、目の前の「mkⅡ」の画面には、「GAME OVER」の赤い文字が浮かんでいた。


(#39「文化祭、もう一つのメインイベント」に続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る