第三章 駆け抜ける彼らの夏
#33 繁華街、魅惑の「ナイト・バーズ」
予算が下りた翌週の土曜の午後、新パソコン部の一同は、赤い三角屋根が目印の緑町駅へと向かった。幸い、まだ梅雨入りはしていなくて予報は晴れだ。雨の中、パソコンの箱を抱えて帰ってくるとなると大変なことになる。
つい先日まで「国鉄緑町駅」だった駅舎には、JRという新しいマークがついていた。とは言っても、他に大した変わりはなさそうだ。やってきた区間快速電車も今までと全く同じ、くすんだウグイス色の通勤車両だ。
早くも冷房の入っている車内に乗り込み、みんなでロングシートに並んで座ると、電車はすぐに駅を発車した。小さな城下町である緑町市の市街地はあっという間に走り去り、窓の向こうはたちまちに田園風景に変わる。田植えも済んで、一面に広がる水田が明るい太陽の光できらきらと輝いていた。
「……ちょっと楽しみなんです。『街』に出るの久しぶりで」
実紅ちゃんは、床下のモーターの爆音に負けそうな小さな声で言った。
今から向かう楽器店は、県下で一番の商店街にある。ニチイではなく本物のデパートもあるという一大繁華街だ。「街」といえば緑町の駅前商店街だって一応「街」なのだが、この辺りで「街に出る」と言う場合はその商店街に遊びに行くということを意味していた。
「実は、僕もそうなんだ。なかなか、機会がないよね」
隣で、一関くんもうなずく。二人とも、ついこの前までは中学生だったわけだから、電車に乗って繁華街に出る機会など確かに少なかっただろう。順にしたって、街に出るのは半年ぶり位だ。
「でも、一関くんは都会に慣れてそう……。わたしはデパートとか緊張しちゃって、だめで」
「そんなことないですよ。服はいつもニチイ祭のバーゲンだし」
「それ、わたしも一緒」
「その通りだ。何て言っても、服はニチイが一番だ」
西郷も二人の隣でうなずいている。一番も何も、本物のデパートで服を買ったことなどないのだが、それがこの緑町に住む若者たちの標準的な姿だった。
小さな町をいくつも通過しながら区間快速は疾走し、それまで見かけなかったビルの並びが沿線に姿を現し始めた辺りで、線路は高架になった。そして電車は間もなく、県下一のターミナル駅に到着する。
改札口を出ると、多くの人たちが行き来するコンコースに、構内アナウンスや頭上を走る列車の音が響き渡っていた。まさに都会の空気だが、手元の学生鞄に十万円以上の大金を入れて持っている順は非常に緊張した。周囲の人間が、みんなこの金を狙う悪党どものように見える。
残りの三人がただ楽しげなのが、部を代表する立場という孤独な重責を、より強く感じさせた。まだ、パソコン部長になると確定したわけではないのだが。
駅前広場の向かいに続くアーケード商店街の中はさらに人であふれていて、順の緊張感も最高潮になった。
「あ、マクドナルドです」
「いいですね。おいしそうだ」
「ダメだダメだ、あれは俺にとってはライバル店なんだ」
「そういえば西郷先輩たち、ニチイの『セントレオ・ハンバーガー』でバイトされてるんですよね」
「それは、失礼しました」
「ま、たまには敵情視察のためにビッグマック食べるのも悪くないがな」
そんなのんきなどうでもいい会話を聞かされていると、順としては、
「寄り道なんかとんでもない! みんな、フォーメーションを組んで俺を囲んで守るんだ!」
と叫び出したいくらいだったが、幸いなことに目指す楽器屋さんは、そのマクドナルドのすぐ隣だった。
実はパソコンの受け取りに、と説明しかけると、店員さんはすぐに、
「ああ、緑町の」
と了解して、パソコン本体とキーボードなどの一式の箱を奥から出してきてくれた。諭吉十数枚という大金を、震える手で渡した順は、ようやく重圧から解放されることになった。
その間、西郷と一年生たちは店内をぶらぶらと見て回っていたが、やはり一番楽しそうなのは実紅ちゃんだった。DXシリーズの中でも廉価版であるDX21が試奏可能の状態で展示されているのを見つけた彼女は、その鍵盤に両手を置いて、即興で演奏を始めた。
おしゃれなカフェバーかどこかで耳にしそうな、都会的なメロディーが流れ始めて、店内のお客がみんな彼女のほうを見る。それは、イギリスの人気フュージョン・バンドの代表曲にして、80年代を象徴する曲でもある、「ナイト・バーズ」という曲だった。制服姿の地味目で小柄な女子高生と、きらびやかで妖艶な都会の夜をイメージさせる曲の組み合わせは、見る者みんなにインパクトを与えた。
「おい。うまいな、あの子」
支払いを終えて戻ってきた順に、西郷が感心したような声でそう言った。
「ほんとだね。実紅ちゃんがうちに入ってくれたの、かなりラッキーだったかも知れないね、これは」
順もうなずく。実は実紅ちゃん、相当な逸材なのかも知れなかった。
(#34「新パソコンと新体制」に続く)
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