#29 予想外のアクシデント、全身瞬間冷凍

 日曜日の午後、春の陽気の中を順は学校へと向かった。その手には、大事な「mkⅡ」が入った青い箱がある。まだ眠気でふらふらするものの、転んで落としたりしたら大変だから、彼は慎重に長い道のりを歩く。

 幸い、周辺機器は旧型機と共用ができるから、持っていくのはとりあえず本体だけでよかった。

「mkⅡ」にモニターを渡してしまったら、旧型機のほうはしばらく画面なしになってしまうが、そちらは音楽演奏に専念してもらうことにした。内蔵シンセサイザーの性能は、旧型機も「mkⅡ」と全く同じだったから、そこは問題なかった。


「へえ、こんな内容に変わったのか。この女の子は『アオイ』っていうんだな。かわいいな」

 そんなことを言いながら、西郷は出来上がったばかりのゲームをプレイする。「アオイ」=クラスの葵ちゃんと気付かれるかも、と順は一人で手に汗握ったが、西郷はそんなこと夢にも思わなかったようだ。順はほっとした。

「うん、いいぞ。最初からこれを展示すればよかった。あとは、旧型6001のほうでラブソング的なものでも流しておこう」

 こうして態勢を立て直した上で、順と西郷は再びチラシ配りを再開した。だが、そもそもすでに他の部活に入ってしまった新入生も多い。チラシのヒット率が下がるのは仕方のない話だった。

 それでも何人かの新入生などが部室を見学に来てくれた。旧型機だけを展示していた時に比べると反応はずっと良く、「スペースガール・アオイ/2024」を熱心にプレイしてくれた見学者もいた。


 これならいずれ入部者も現れるだろう、と二人で手ごたえを感じていたところに、新入仮部員第一号の実紅ちゃんが部室に姿を現した。

「こういうのを自分で作れるんですね、パソコンが使えると」

 モニターに映ったアオイちゃんを、彼女は感心したように眺めている。元々、パソコンに関心があって仮入部してくれたわけではないから、自分でプログラムしてゲームを作れる、ということが不思議に思えるようだった。

「どこか、部活には入ったか?」

 西郷が訊ねると、彼女はかぶりを振った。

「まだです。やっぱり、軽音部があればよかったんですが……」

 暗い顔になる実紅ちゃんを見ていると、順は胸が痛むような気がした。これは一刻も早く、正式な部活に昇格してシンセキーボードを投入しなくては。


「この絵って、どうやってパソコンで描くんですか?」

 という実紅ちゃんの質問に、ああそれはね、と彼が方眼紙を見せて説明しようとしたその時、西郷が嬉し気な声を上げた。

「お、河瀬じゃないか。お前も入部してくれるのか?」

 河瀬……葵。一瞬遅れて、順はバネで弾かれたような勢いで振り向いた。そこには、あの本物の葵ちゃんが立っていた。

「ううん、そういうわけじゃないけど、太川くん……西郷くんたちが新しい部活作ったって聞いて」

 順たちにうなずきかけようとした葵ちゃんの笑顔が、ふいに困惑でかき消された。彼女は、見てはならないものを見てしまったのだ。


 終わった。これは、終わった。全身が瞬間冷凍されたように、順は身動きできなかった。葵ちゃんの視線の先には、「スペースガール・アオイ/2024」という文字と、ショートボブの美少女が表示されたモニター画面があったのだ。西郷はごまかせても、本人が気付かないわけがない。

「あの……それじゃ、頑張ってくださいね」

 葵ちゃんは、手を振りながら後ずさりして、そのまま部室を出て行った。無理に笑顔を作ってはいたが、最後に一瞬だけ順を見た彼女の眼は、どこか悲しげなものだった。

「ああ、太川君はまだわたしのことを引きずっていて、とうとうパソコンであんなものを作るところまで行ってしまった」

 まあ、そんなところだろう。

「なんだ? あいつ」

 首を傾げる西郷の横で、実紅ちゃんは何かを察したように、画面のアオイちゃんの顔をちらちらと見ていた。


「ああ、河瀬さん? 部室の場所とか聞かれたわよ、水泳部の活動の時。太川君たちが新しく作った部活、先生が顧問なんですよね、って言って」

 新入仮部員の女の子が入った、ということで部室の様子を見に来た里佳子先生は、あっけらかんとした調子で言った。

「活動の中身も色々聞かれたんだけど、わたし実は顧問じゃないし、何やってんのかよくわかんない、としか言えなかったんだけどね、はは」

 つまりは、順のやっていることにかなり興味がある、ということだ。もしかすると、彼女とはまだうまく行く可能性もあったのではないか。

 その可能性のフラグをへし折ってしまったのだとしたら、これは人生の歴史に残るくらいの致命的な大失敗だった。


 思わぬアクシデントでまたしても大きなダメージを喰らってしまった順ではあったが、クラスでの葵ちゃんの様子は相変わらずほぼ変わりなかった。

 気味悪がられたり、避けたりされないのは、葵ちゃんの性格のおかげだったが、順としては恥ずかしさに頭を抱えるしかない事態だった。しかしもう、取り返しはつかない。

 とにかくもう、パソコン部を成功させる以外に、彼の生きる道はないのだった。西郷が柔道部の稽古に出ているときも、順は一人で声を張り上げてチラシを配り続けた。


(#30「見た目はイケメン、第四の部員」に続く)

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