#24 直子先輩の提案、コンピューター音楽の時代

 苦心の末にチラシのデザインが完成し、それを印刷するためのパソコンとプロッタプリンタを貸してもらおうと、順は南高校の部室に頼みに行った。

 専用のカラーボールペン代は順たち北高校側で負担するという条件で、智野部長はOKしてくれた。


 三年生の部長は間もなく卒業で、大学進学のために緑町を離れることになっている。こうして顔を合わせるのも最後になりそうで、色々お世話になったことについて順は丁寧にお礼を言った。

 なお、残念ながら副部長は浪人が確定していて、残念ながらまだずっとこの辺りにいるらしく、残念ながらまた顔を合わせることになりそうだった。


「それにしても、この前はひどい目あったわ。あんなめちゃくちゃな部屋の掃除させられるとか思わんかったわ」

 横山くんは顔をしかめた。

「そんなこと言わずに、掃除くらい手伝ってあげなよ。うちとしても、北高校のパソコン部創設を支援することにしたんだからさ」

 実情を知らない智野部長は、のんきな顔でそんなことを言う。

「いや部長、そんな甘い部屋やなかったんですよ。ほとんど廃墟で蜘蛛の巣だらけやし、床は埃がたまって砂場みたいになってたし」

 大げさなやつだなあ、という感じで部長は笑っているが、これは横山くんのほうが正しい。

「ごめん、あれは確かに申し訳なかったよ。それで、今日はみなさんにお礼の差し入れを持ってきたんだけど」

 手にした紙袋から、順は円形の缶を取り出した。レトロなデザインが印象的な、その茶色の缶に入っていたのは、高級なお土産の定番である神戸風月堂の「ゴーフル」だった。学校側から支給されたわずかな活動準備費を注ぎ込んで、ニチイの地下で買ってきたのだ。


 おお、と部員一同が色めき立った。普通なら、遠方の親戚が訪ねてきた時くらいしか食べられないお菓子である。

「君、もしかして、これは」

 高価なスイーツの香りをたちまちに嗅ぎつけてにじり寄ってきた城崎副部長が、順の顔を見つめる。

「ええ、もちろん浜辺先生からです」

 力強く、またしてもでたらめを言って、彼はうなずいた。里佳子先生の名前さえ出しておけば、土産の威力は倍加するはずだった。

「頑張ってくれた副部長と横山くんには、特に丁重にお礼を言っておいてね、と先生が言っておられました」

「そうか、そうかい」

 副部長の顔がにやにやと崩れる。哀れなくらいに分かりやすい。

「顧問になってくれた先生?」

 智野部長が訊ねる。

「ええ、そうです。南高校のみなさんには、今後ともよろしく、と」

「清楚で、素敵な先生だよねえ。特に、あの長い脚がなんとも……」

 副部長のその言葉に、智野部長は少しだけ羨ましげな顔になった。


 次の部長に決まったという二年生の鈴木さんにも挨拶を済ませて、部に一台しかないプリンターで、勧誘用のチラシを印刷しはじめた。ボールペンを動かして線画を書くという仕組みだから、どうしても時間がかかるのだが、誰からも文句は出なかった。なんと言っても、ゴーフルが効いている。鈴木次期部長も嬉しげにイチゴ味のを食べていた。


「何を作ってるの?」

 と順の背後からプリンターを覗き込んだのは、紅一点部員にしてキーボーディストの、あの直子さんだった。顔が近く、シャンプーか何かの良い匂いがする。

 クリスマスパーティーでは、金髪で真っ赤なコートというすごい格好だったが、今日は普通に制服のセーラーで、ショートカットの髪もわずかに茶色い程度だ。あの時はミュージシャンモードで、あえてダークな雰囲気をまとっていたということなのだろうか。

「今度、北高校にもパソコン同好会ができることになって、これが部員の勧誘用のチラシなんです」

 と順は説明した。

「ふーん。やっぱりこういう感じになるんだね、パソコン部の宣伝って。みんな好きなんだねえ、女の子の絵」

 山岡師匠直伝の美少女イラストが描かれたチラシを見ながら、直子さんは首を傾げた。例によって、順がトレーシングペーパーと方眼紙を駆使してデータ化したもので、これなら確実に集客が見込めるはずだ。

 しかし直子さんから見れば、男どもがみんなこういうイラストに釣られるのが不思議に思えるのだろう。


「ねえ、北高校では音楽やらないの? 絶対これから来るよ、コンピューターミュージック。『TM NETWORK』の小室さんて知ってる?」

 順もその名前は知っていた。ニューアルバムがチャート上位に入ったりして話題になっている、人気上昇中のシンセサイザー音楽ユニットだ。間もなく、新曲の「GET WILD」が人気アニメのエンディング曲として大ヒットして、その名を誰もが知ることになる。

 同じアニメの第二期の主題歌に起用されることになる「PSY・S」というユニットもやはり、「フェアライトCMI」という最先端のシンセを使っていて、澄んだ音色のメロディがファンの支持を集めていた。

 シンセサイザーがマニアックなものではなくなり、普通の人たちが聴く曲に使われ始めた、そんな時代の変化が起こり始めていたのだった。


(#25「目当てはむしろ、直子先輩」に続く)

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