#22 部室という名のトラップ
「軽音部」のドアの前に立った順は、ガラガラと扉を半分ほど開くと、
「ようこそ、我がパソコン同好会へ。まずは、副部長さんからどうぞ」
と薄暗い室内をにこやかに指し示した。
「そうかね。じゃあ、お邪魔するよ」
来賓扱いで気を良くしたらしい城崎副部長は、胸を張って室内にずかずかと踏み込んでいった。
「ぎゃあっつ!」
途端に、悲鳴が響き渡った。続いて、誰かが床にひっくり返る音。扉の向こうから、黄砂のような埃がブワッと吹き出してきた。
「これは一体……」
山岡先輩が咳き込みながら、順を見た。
「あ、これはいけない。まだちょっと、片付けが済んでないんです。副部長には先にお伝えしておくべきでした」
失敗失敗、と舌を出す彼に、山岡先輩は呆れ顔になった。不穏な展開に、横山くんの笑顔が消える。
部屋に踏み込んだ三人が目にしたのは、全身に蜘蛛の糸を巻き付けて床にぶっ倒れている副部長の姿だった。この人が何も考えずに部屋に突入してくれたおかげで、侵入を阻んでいた蜘蛛の巣の多くが破壊されていた。ちゃんと役に立ってくれたのだ。
竹箒で乱暴に全身の蜘蛛の糸を除去してあげると、城崎副部長は無事に息を吹き返した。
「太川、謀ったな太川! 貴様、僕がこうなることを知っていて部屋に送り込んだな!」
顔を真っ赤にして、副部長は怒り始めた。もちろん百%その通りなのだが、まさかそうですと言うわけにもいかない。
「済みません、僕もまだ中に入ったことなくて。まさか副部長の全身に巻き付くくらいに蜘蛛の巣があるなんて」
と平謝りしてみせた。
ここに来て、山岡先輩たちも「手伝って欲しいこと」というのが何のことなのか、気付き始めていた。横山くんが、真っ先に部屋から逃げ出そうと後ずさりを始める。
しかし、その退路を断つように、一人の女性が部室の入口に立った。
「南高校のみなさん、お手伝いありがとう。とっても助かるわ」
そこにいたのは、里佳子先生だった。いつものジャージ姿ではなく、今日はなぜか白いブラウスに紺色のスカートをはいている。
途端に副部長の目の色が変わった。あんなに怒っていたことなど、すっかり忘れてしまったかのようだ。「北高校よ、女子生徒のみならず、女性教師のレベルでも我が校を圧倒するのか」とでも言いたげな様子だった。
「ああ、そうそう。お手伝いのお礼と、それに今日はバレンタインですものね。これをどうぞ」
先生が差し出したのは、三個の「チョコパイ」だった。照れて無表情の山岡先輩と横山くん、そしてよだれを垂らす犬のような顔をした副部長が、里佳子先生の手からその餌を受け取る。これで、勝負あった。
先生の登場まで含めて、これは西郷が考えた作戦だった。南高校のメンバーに、このひどい部屋の片付けを助けてもらおうと考えたのだ。
パソコン部の創設を支援してくれることになっているとはいえ、そんな面倒な作業をまともに頼めば敬遠されるのは確実だ。そこで里佳子先生の力を借りたわけだった。美人教師からのバレンタインチョコには、やはり相当な効き目があった。副部長の登場は想定外だったのだが、こうして見事に自分から罠に飛び込んでくれるのだから何の問題もなかった。
「よろしくね」
と先生はハートマークを残して去って行き、これで任務は完了。実に簡単なお仕事である。結局、逃げるに逃げられなくなった南校生三人は、げほげほと咳き込みながら、順たちと一緒に部屋の掃除を手伝うことになったのだった。
蜘蛛の巣を全て除去し、床に積もった埃をかき集め、くもりガラスのように白くなった窓を何度も拭いて、部室はようやくかつての姿を取り戻した。「YAMAHA」と書かれた謎の機械類や古いラジカセが残されていたのは、軽音部の置土産であるらしかった。
ちょうど部屋の隅に埃まみれの汚い長机が転がっていたので、これをパソコンを設置する台として利用することにした。徹底的に汚れを拭き取ってピカピカになったところで、その上に「PC‐6001」の一式をセットする。これでパソコン部らしい形が整った。
「……まあ、何とかええ感じになったね」
疲れ切った顔の横山くんが、そう言って埃だらけのズボンを払う。
「良かったよ、こうして北高校パソコン部の船出を手伝うことができて。来て良かったんだ」
自分自身を無理やり納得させるかのように、山岡先輩がつぶやく。認めたくないものなのだ、自分がすっかり騙されたという過ちは。
(#23「準備開始、部員募集へ向けて」に続く)
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