#13 即決採用、ビラ配り
気の向くバイトも見つからないまま、順は何度も中信電気に足を運んで、「mkⅡ」の姿を確認した。銀色のボディーは埃をかぶることもなく、相変わらずの鈍い輝きを放っていたが、ある日一つの異変が起きた。
「クリスマスセール」というポップが出現し、「PC‐6001mkⅡ 特価・34800円! 現品限り」と5000円もの値下げが告知されたのだ。何年も売れ残っているのだから、さらなる安売りも止むを得ないのだろう。
入手しやすくなったのはありがたい。しかし、これではすぐに売れてしまうかもしれない。山下達郎の「クリスマス・イブ」が流れる店内で、彼は立ち尽くした。
金だ、今すぐに金が要る。嫌だけど働かなければ。どうにも嫌だけど、お金が必要だ。
店を出ると、駅前ロータリーの街路樹では七色の豆電球がささやかに点滅していて、クリスマスムードを盛り上げようとしていた。もしもサンタなんてものがいるのなら、彼のもとに「mkⅡ」を届けてほしいものだったが。
イルミネーションの向こうでは、CMで見覚えのある金融業者の緑色の看板がほのぼのと光を放っていた。この際とりあえず、借金でもいい。あの店で、ちょっと借りられないものか?
考え込みながら、ふらふらと歩き始めた彼の前に、ふいに一枚のビラが突き出された。
「どうぞー、はいよろしくー」
とガラガラ声を張り上げてビラを配っていたのは、真っ赤なジャンパーを着た体格の良い男だった。思わず受け取ったビラを見ると、「チーズインバーガー百円」という大きな文字がある。
「ニチイショッピングデパート」の一階には、緑町市では唯一のファーストフード店である「セントレオ・ハンバーガー」が入っていた。業界最下位レベルのマイナーな店ではあるが、一応は全国チェーンのハンバーガー・ショップだ。彼が手渡されたのは、その店で使えるクーポンが印刷されたビラだった。
確かにお得だが、今必要なのは現金なんだよなあ。そんなことを思いながら、ショルダーバッグに大切にビラをしまい込んでいる彼に、そのビラ配りは突然声をかけてきた。
「太川じゃないか。俺だよ。俺、俺」
順は驚いて、オレオレ言っている相手の顔を見た。ソースやきそばのCMにでも出てきそうな、四角く角張った顔。
「なんだ、西郷じゃないか」
そのビラ配りの正体は、同じクラスの西郷哲夫だった。特別に仲がいいというほどではないのだが、西郷の席が河瀬葵ちゃんのすぐ隣という理由で、時々わざわざ雑談をしにいくことがあった。二人がふざけながら会話をしている様子に、彼女が笑ってくれることがあったのだ。もちろん、あくまで葵ちゃんに受けることが目的の雑談だとは、西郷は知らないはずだが。
「バイトなんかしてるのか、お前」
「ああ、ちょっと欲しい自転車があってな。資金を作らにゃならんのだ」
どうやら順と似たような事情、ということらしかった。
参考までに、と時給などについて聞いてみると、
「ビラ配りは、割と時給が高いんだ。なんせ600円ももらえるからな。こうして外で立ちっぱなしだからきついっちゃきついが、客の相手するより気楽でいい」
西郷はそう説明してくれた。
「それ、いいなあ。僕も買いたいものがあって、バイトしようかと思ってるんだけど」
「おう、じゃあ太川も一緒にやろうぜ! 俺一人じゃ手が足りなくて、今もバイト募集中だからな」
順の目は、街路樹の豆電球のように輝いた。時給600円なら30時間ちょい働いて、その給料を手持ちの資金に足せば、値下げ後の「mkⅡ」に手が届く。一日三時間ならたった十日ちょっとだ。しかも、外でのビラ配りなら嫌な客、嫌な上司と関わることもないだろう。
そのまま西郷は、「セントレオ・ハンバーガー」の店の奥にある事務所へと彼を連れて行ってくれた。もちろん履歴書も何も用意していなかったが、西郷君の同級生の北高校生ということで、即決で採用してもらえることになった。
(#14「地道に働くのも悪くない」に続く)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます