#7 トレーシングペーパーと方眼紙

「今日はいよいよ、画面上に絵を描くプログラムについて勉強しよう」

 部室の端に置かれたPC‐6001の前に座った彼に、山岡先輩はそう言った。

 簡単な計算や画面上に文字を表示するプログラムの勉強を何日か続けてきて、すでに初歩的なところはマスターしている。そしてついに、パソコンで絵を描くという段階にまで進んだわけだった。


「オリジナルのキャラクターを考えるのもいいんだが、まずは練習だな。とりあえず、何か適当なキャラクターを書いてみよう」

 部室の隅にあるソファーの上に転がっていた、ちょっと古めの漫画雑誌を何冊か、山岡先輩は持ってきた。これが見本というわけだ。

 パラパラと「週刊少年ジャンプ」のページをめくるうちに、彼は「あゆか」ちゃんの元ネタを発見した。髪型は変えてあるが、瞳などはそっくりだ。

 なるほど、オリジナルのキャラクターというのはこういう風にアレンジして作るものなのか、と彼は著作権的にNGな理解をした。だが、いくら好みのタイプのキャラとはいえ、同じ作品を元ネタにしてしまっては山岡先輩と丸っきりかぶってしまう。せっかくだから、他の漫画を元ネタにしたい。彼は熱心に、漫画雑誌のページをめくった。


「練習だからな、とりあえず簡単に書けそうなキャラを選べばいいぞ」

 と先輩は言うが、せっかくのチャレンジなのだから、やはり気に入った女の子の絵を描きたかった。

 彼が選んだのは、青年誌に掲載されていた、読み切り短編SF漫画の主人公女性だった。大人っぽい横顔と、無邪気な表情のギャップが彼の心を惹きつけたのだ。絵の上手な新人の作品で、その絵柄は割と線の多い写実的なものだった。

 もっとシンプルな絵のほうがいいんだが、と山岡先輩は難色を示した。だが、すっかり彼女を気に入っているらしい順の様子に、「まあ、頑張ってみるか」とOKしてくれた。


 パソコンで絵を描く、と聞いて順が想像していたのは、ブラウン管の画面に特殊なペンを直接当てて線を引く、そんな作業だった。以前に映画か何かで、そんな場面を見たことがある。

「ああ、『ライトペン』だな、それは」

 山岡先輩はうなずいた。画面に絵を描くあのペンはそういう名前らしい。

「だがしかし、ここにそんなものはない。使うのはこれだ」

 そう言って取り出したのは、「トレーシングペーパー」だった。下に敷いた絵などが透けて見える半透明の紙だ。


 こんなものを何に使うんだろうと順が不思議に思っていると、先輩は切り取った「週刊モーニング」のページにそのトレーシングペーパーを重ねて、スコッチテープで固定した。

「まずはこの上から、その絵を鉛筆でなぞるんだ。線が多いと後でデータ化できないから、できるだけ簡潔にな」

 思わず順は、「えっ」と声を上げそうになった。最先端のデジタルな作業と思っていたら、そんなアナログで地味なことをやらなきゃならないのか。

 なぜ先輩が、「シンプルな絵柄のほうがいい」と言ったのか、彼はここにきて初めて気付くことになったのである。


 そこから四苦八苦、何度もトレース作業をやり直して、どうにか納得の行く出来の写しを作ることができた。元絵をめちゃくちゃに簡略化した感じにはなったが、彼女の魅力は十分に伝わってくる。少なくとも彼にはそう思えた。

 さあ、いよいよデータ化だ。これはさすがに、何かハイテックな手段を使うのであろう。

 そう思っていた順が手渡されたのは、今度は「方眼紙」だった。これではまるで図工部ではないか。

 これをどう使うかというと、主人公女性の絵を写したトレーシングペーパーを方眼紙の上に載せて、そこに書かれた線の位置を記録していくのだ。


 三角形が一つあるとしたら、その三つの頂点の場所を方眼紙の上で確認する。それぞれ左から何ミリ、上から何ミリの場所にあるかを記録して行くのだ。こんな作業をひたすら繰り返して、トレーシングペーパー上に引かれた全ての線の場所を確かめていく。


 星座みたいな単純な直線の集まりなら、これはそんなに難しくない。だが、イラストとなると当然複雑な線が多くなるから、それこそ1ミリ単位でできるだけ細かく位置を拾っていく必要があった。この面倒な作業が、つまりはデータ化の作業というわけだった。

 そうやって得られたすべての線のデータを、山岡先輩がプログラムにぶち込んで書かせたのが、あの「あゆか」ちゃんだったわけである。

「PC‐6001」にはメーカー純正のペンタブレットというものもあったのだが、普及しているとはとても言えない状況だった。だから、こういうアナログな職人仕事というのは、割と普通に行われていたのである。

 順の目は点になった。しかし、この作業を乗り越えなければ、「アオイ(仮)ちゃん」に出会うことはできない。点になった目のままで、彼はCG職人としての初仕事に取り掛かったのだった。


「駄目だだめだ! そんな粗いデータのとり方じゃ絵がカクカクになってしまうぞ。そんな女の子に恋ができるのかお前は!」

 山岡師匠のそんな厳しい叱責に耐えながら、彼は何日もかけて、懸命に線の座標を拾い続けた。そんな二人の熱く珍妙な姿を、他のパソコン部員たちは笑いをこらえながら見守っていた。


(#8「ついに出現、『アオイ』ちゃん」に続く)

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